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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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#あたらしい自分へ

「素の自分」とは?

「素の自分」とは?

「物心ついた頃」の自分に、少しずつ戻りつつあるのかも? という気もする。
……といったところで、本当には戻れないけどな。(笑)

でも、小学校の中学年くらいから、 周りに「同調」「合わせる」という名の「顔色窺い」する事を覚え始め、 ――で、多分、自分はそれが得意な方だったのかもしれないな、とは思う。
別にこれまでの自分が 「本来の自分」「素」ではない、というわけでもないが、「同調」してきたその「

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「自分でこそ」自分を変えることは多分できる

「自分でこそ」自分を変えることは多分できる

変われると思えば、たぶん人は変われると思う。

実際、「変われることができた人」はいるのだから。
――その人はきっと 「変われるわけない」とは思わなかったのではないか。

「まず、変われると自分で思わなければ、変われるはずがない」とするなら。
逆にそれならきっと、「変われると思えば、たぶん人は変われる」と、私は感じている、というこれは話である。

そして、自分が変われば、自分を取り巻く日々も、きっ

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それは「自分が決めたこと」ではないのなら

それは「自分が決めたこと」ではないのなら

どうしたらいいのかは、 わからない。

が、どうしたらいいのか、わかることばかりでは、 あきらかにつまらない。

……なんてことも、この頃よく思うようになった。

あるいは。

「段取り通り動く」時に、それが「自分が決めた」段取りではないのなら、「誰かに動かされているんだなー」 ってことは、 たま~には、よくよく思い出しておいたほうがいい。

……なんてこともまた、この頃よく思うようになった。

「ま、どうでもいいか?」で新たに開く扉も結構ある

「ま、どうでもいいか?」で新たに開く扉も結構ある

「ま、どうでもいいか?」で生じるその「隙間」から、 新たに生まれるものは結構存在するし、 むしろそっちのほうがかえって良いものだったりすることも多い。

もうこれから私は、ほとんどの物事を、「どうでもいい」「どっちでもいい」 でいこうと思う。(それは極端すぎますよ。笑)

また、そのほうが、予定調和にならず新鮮だったりもする。

何かを「具体的に」望み過ぎると、それに縛られてしまって、「予定外のサ

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精神の「金満主義」に陥ってないか

精神の「金満主義」に陥ってないか

働く意味とか、
行動する目的とか、
「全てがお金基準・お金中心」
っつーのは、
どうも抵抗があるし。

確かにお金は大変便利なもので、
「ほとんど何でも」
買えてしまったりするのは
事実かもしれないけど、
でも、それで
「何でも買ってしまえ!」
って思考回路になるのにも
また抵抗がある。
(「お金で買っちゃいけない」
あるいは
「そんな高いお金出して
買うべきじゃない」
そんなものもある、というこ

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ここからが本番

ここからが本番

できる範囲で、がんばればいい。

できる範囲を越えてまで、がんばる必要は本来ない。

――という、当たり前の事に、人は気づきにくくなる時がよくある。

「限界を越えてぶっ壊れるまで頑張る事は美しい」
みたいな、間違った刷り込みを、どこかでこれまでにされたような気もする。

子供の頃は「どこまででも歩ける」ような気がしていたけれど。
今は「どこまででも歩ける」ような気はしなくなった。

「人ってそう

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「自意識」より「無意識」整えたい

「自意識」より「無意識」整えたい

成程、鏡で自分の顔を見る時は何かしらの「自意識」が働いてしまうというのは、確かにその通りのようである。

で、鏡に自分の顔を映していない時間の方が、日常の大半、ていうか、「ほとんど」なので。

他人に見られるのも、主にそっちの時間の顔がメインになるわけだから、「自意識」働かせていなくてもいい顔でいられるように、 「無意識」から、つまり「心根」から、整えておきたいものだ、なんてことを思った。

「無駄にしますまい」意識だな

「無駄にしますまい」意識だな

疲弊した時、風邪等でこまめにダウンする人の方が、きっと大病にはならない、 という理屈と同じか。
――一見悪い反応でも、 反応しなくなる状態よりかはよっぽどいいのだ。
アレルギー体質の人のほうが長生きをする、なんて事もよく聞くしな。

すべてのものが、「無駄」にはならない。
いや、 すべてのものを、無駄にしますまい。

「ちょっとでも多く得してやろう」 とか 「ぜったい損したくない」 ではなく。

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だって人生の9割は「どうでもいいこと」で出来ている

だって人生の9割は「どうでもいいこと」で出来ている

最近、 素敵なことは、「大切なこと」より、「どうでもいいこと」のほうにあるように感じられて仕方ない。(笑)

「人と時間の目を盗んで、お茶してばかりの人生」然り。

「ヒト気のない場所へ、ヒト気のない場所へと動いていく、自分の習性」然り。(人の気配ましてや人混みなんてとても嫌いな私です。笑)

「私も飽くることなく無心にシャボン玉追いかけて遊びたい。」
なんて、幼い子らの姿を、秋の公園のベンチから

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死ぬまでに理解(わか)りたいことだらけでこの世は出来ている(笑)

死ぬまでに理解(わか)りたいことだらけでこの世は出来ている(笑)

「他人が不幸になったからといって、自分がその分、幸福になるわけではない。」
というその事を、 人間が実感として本当の意味で理解できるようになるまでにかかる時間は、 およそ「それぞれの人の一生分」だそうです。
(――はい、テキトーな※個人の感想です。笑)

死ぬまでには解りたい事だらけで、きっとこの世は出来ている。

でも、 死ぬまでにも解らない事だらけ、 きっとそっちの数のほうが、圧倒的に多いの

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私は「底なし沼」(笑)

私は「底なし沼」(笑)

前回の記事の続きとして。

まずは同様にこの言葉から始めてみたいと思う。

――それはさておき。
(そりゃあ、「それはさておき」だよ。やはりね。笑)

そう、「本当の自分なんて、ここにいなけりゃどこにもいない」というのは、紛れもない事実である。

しかし、「本当の自分」を、自分自身が100%知り尽くすなんて、そんなことできるのだろうか?という疑問もまた、私の中にはあったりもするわけなのである。

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「本当の自分」はたぶんどこにもいない

「本当の自分」はたぶんどこにもいない

「本当の自分」なんて、ここにいなけりゃどこにもいないわ! ……っていうね。

――それはさておき。(笑)

「本当の自分」を探すとなると、ついつい自分の内側内側へと探りを入れるイメージになりがちだが。
でも、どちらかと言うと、内側から一回外へ出てしまって、自分の事を俯瞰で見る、ごくごく客観視する、みたいなそういう事のほうが「自分探し」になるんじゃないか、って最近思う。

「完全に外側からの視点」

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現世の「物見遊山」だと思って

現世の「物見遊山」だと思って

世の中は刻々と変化し続けているのに、自分の「先入観」「偏見」は、その変化の速さには追いつけず、いつまでもそこに残ってしまいがちで、邪魔になる。
――折角この世に生まれてきて、つぶさにリアルタイムに感じ取れたはずの数々の事を、それらのせいでみすみす逃して生きていくのは、もったいない気もする。

ついつい気づかぬうちに色眼鏡をかけて自分も物事を見てしまいがちになるが。
「そのまま」を見る様に日ごろから

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「善人」でなくて別にいいと思った

「善人」でなくて別にいいと思った

「悪い人」って、「誰にとっても悪い人」では必ずしもなく、 「局地的に悪い人」だったりもするんですよね。(笑)(でも、どっちかっていうと、そっちのパターンのほうが多いのか?)

殺人者だけど、人柄は「善人」を絵にかいたようだった、とか。
パワハラ上司だけど、家族は大切にする人だった、とか。
そういう「一聴して至極わかりやすい例」だって、いくらでもある。
(ま、これらは「極端な例」ですけど。)
(つま

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