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#あたらしい自分へ
「自分でこそ」自分を変えることは多分できる
変われると思えば、たぶん人は変われると思う。
実際、「変われることができた人」はいるのだから。
――その人はきっと 「変われるわけない」とは思わなかったのではないか。
「まず、変われると自分で思わなければ、変われるはずがない」とするなら。
逆にそれならきっと、「変われると思えば、たぶん人は変われる」と、私は感じている、というこれは話である。
そして、自分が変われば、自分を取り巻く日々も、きっ
それは「自分が決めたこと」ではないのなら
どうしたらいいのかは、 わからない。
が、どうしたらいいのか、わかることばかりでは、 あきらかにつまらない。
……なんてことも、この頃よく思うようになった。
あるいは。
「段取り通り動く」時に、それが「自分が決めた」段取りではないのなら、「誰かに動かされているんだなー」 ってことは、 たま~には、よくよく思い出しておいたほうがいい。
……なんてこともまた、この頃よく思うようになった。
精神の「金満主義」に陥ってないか
働く意味とか、
行動する目的とか、
「全てがお金基準・お金中心」
っつーのは、
どうも抵抗があるし。
確かにお金は大変便利なもので、
「ほとんど何でも」
買えてしまったりするのは
事実かもしれないけど、
でも、それで
「何でも買ってしまえ!」
って思考回路になるのにも
また抵抗がある。
(「お金で買っちゃいけない」
あるいは
「そんな高いお金出して
買うべきじゃない」
そんなものもある、というこ
「自意識」より「無意識」整えたい
成程、鏡で自分の顔を見る時は何かしらの「自意識」が働いてしまうというのは、確かにその通りのようである。
で、鏡に自分の顔を映していない時間の方が、日常の大半、ていうか、「ほとんど」なので。
他人に見られるのも、主にそっちの時間の顔がメインになるわけだから、「自意識」働かせていなくてもいい顔でいられるように、 「無意識」から、つまり「心根」から、整えておきたいものだ、なんてことを思った。
現世の「物見遊山」だと思って
世の中は刻々と変化し続けているのに、自分の「先入観」「偏見」は、その変化の速さには追いつけず、いつまでもそこに残ってしまいがちで、邪魔になる。
――折角この世に生まれてきて、つぶさにリアルタイムに感じ取れたはずの数々の事を、それらのせいでみすみす逃して生きていくのは、もったいない気もする。
ついつい気づかぬうちに色眼鏡をかけて自分も物事を見てしまいがちになるが。
「そのまま」を見る様に日ごろから
「善人」でなくて別にいいと思った
「悪い人」って、「誰にとっても悪い人」では必ずしもなく、 「局地的に悪い人」だったりもするんですよね。(笑)(でも、どっちかっていうと、そっちのパターンのほうが多いのか?)
殺人者だけど、人柄は「善人」を絵にかいたようだった、とか。
パワハラ上司だけど、家族は大切にする人だった、とか。
そういう「一聴して至極わかりやすい例」だって、いくらでもある。
(ま、これらは「極端な例」ですけど。)
(つま