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#人間
生物がいない世界を想像する
「誰もいない世界」を、想像してみればいいのか。
そうすれば、 人というものは、 (見知らぬ人ですらも、) そこにいてくれるだけで、 ありがたい存在ということになるのか。
「何もない世界」――もしも「何も」存在しなければ、この世はただの暗闇の空間でしかないのだ。
その中で、たとえば生物(動物も植物も)――その中でも人ならば殊更、そこにいるだけで、「暗闇の中に灯る一つの明かりのようなもの」にだっ
人間は分類できるものではない
これだけ数多存在する人間というものを、 たとえば「たった二種類」に分類しようという時、 それは確実に、あくまで「大雑把な分類」でしかない、というのは常に念頭におきたいものだ。
「大雑把な分類」には注意が必要だ。
例えば、「男」と「女」。
――それに分類しきれないものは実際にある。
あるいは、「敵」と「味方」。
――自分と意見の食い違う相手は、即ち「全て敵」だろうか?
そうして「敵」「味方
結局私は正気なのか狂気なのか
池田晶子さんの本に、こんな記載があったので、抜書き。
――頭の中で狂気が渦巻いていても、「マトモ」に生きている人なんか、いくらでもいて。
一方で、世間の評価として頭の中は正気で常識人でも、人非人に成り下がって詐取することや蹂躙することばかりに自分の脳力注ぎ込んでいる輩もいて。
あるいは。
「正気」と「狂気」の定義なんて、これまた、時代と共に移ろっていく、「不安定なもの」でもまたあるわけで。
(
いや、むしろ、人間が最も……
人間さえいなければ、 この世界はもっといいようにまとまり回っている気がするから、
「動物(あるいは生物)の中で人間がいちばん賢い」
なんていうのは、 思い上がりも甚だしいと思うの。(笑)
てか、生物の中でということでなくてもさ。
コンピューターなんかよりもずっと、人間のほうがバグりやすいでしょ、 あはははは! (自虐になっちゃった。笑)
――次にもし生まれ変わったら、動物じゃなくて植物になっ
モノより何より「人」
店自体がなくなるわけでも、商品が変わってしまうわけでもない。
……のだが、いつもいた人がそこにはいなくなる、というだけで、 なんだかしんみりしますよねー。
いや、お店に限らず、 何においても。
やはり 「人」の存在は大きいんだとつくづく思う。
モノより何より、 「人」は大事だよ。
(当たり前の事を、でも、改めてメモ書き。)