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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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#考え方

「無意味なもの」に存在する「意味」

「無意味なもの」に存在する「意味」

たとえば。
何故、 ガラスでなくてはだめなのか。

別に、同じように無色透明な、たとえばアクリル素材とかプラスチック素材とかでもいいじゃない。
それなら壊れたりしないのに。

プラスチックにはなくて、ガラスにあるもの。
――質感の違い?

ガラスの質感って、一言で言うと 「壊れやすそう」。

そういう事か。

そこをつきつめると、「花は散るからこそ美しいし、生は限りがあるからこそ尊い。」なんて、

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「わかりにくい地図なら見ないほうがまだマシ」説にもどこか似ている

「わかりにくい地図なら見ないほうがまだマシ」説にもどこか似ている

四六時中誰かに憧れはする。(妄想病。笑)

が、真面目な話をすると。
よくよく考えてみれば意外と、 誰か別の人になりたいわけでもないのだ。

つまるところ、自分ではない誰かの記憶で誰かの感覚で誰かの人生を、少なくとも「ここからは」生きたくはない。

――私は別にそれほど自分が好きでもないし、愛せたら絶対良いだろうと解ってはいるがあまり自分を愛せない。

しかし、それでもそうなのだ。

当たり前の事

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自分の存在しない世界と同じ

自分の存在しない世界と同じ

土井善晴先生のお言葉を、本日はいくつかメモ書き。

私も同感。
何だか、頭で考えてばかりだと、「理屈中心」の思考回路になるが、その「理屈」って、所詮狭い自分自身の頭の中の世界しか見ていないところもあるものね。
「常に変化している外界」とか、キャッチしにくいというか。
「計算では弾き出せないことで溢れている」のが、この現世という気もするし。

土井善晴先生のお言葉
その②

「きれいかどうか」を後回

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「現世」は「旅先」みたいなものなのか

「現世」は「旅先」みたいなものなのか

水木しげる先生曰く、
「この世は通過するだけのものだから、あまりきばる必要はない」
とのことです。

なるほど、そう考えたほうがむしろ(私にとっては)、この世が素敵なところに思えてくる不思議。

そうかそうか、「現世」は旅先みたいなものなのか。

ならば、「出来る限り楽しく」でいいような気がしてきた。
(水木先生の言葉に、勝手に解釈を付け足していく私。笑)

「無駄にしますまい」意識だな

「無駄にしますまい」意識だな

疲弊した時、風邪等でこまめにダウンする人の方が、きっと大病にはならない、 という理屈と同じか。
――一見悪い反応でも、 反応しなくなる状態よりかはよっぽどいいのだ。
アレルギー体質の人のほうが長生きをする、なんて事もよく聞くしな。

すべてのものが、「無駄」にはならない。
いや、 すべてのものを、無駄にしますまい。

「ちょっとでも多く得してやろう」 とか 「ぜったい損したくない」 ではなく。

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「損」してもいいから「無駄」にはしない

「損」してもいいから「無駄」にはしない

善人であろう、やさしさを持とう、 正直に生きよう、 ……と、したばっかりに、 損したり、傷ついたりする事もあったりする。

が、 それらは、 「無駄に」損したり傷ついたりする事とは違う。

つまり、少なくともそれらは 「無駄」ではない、と、私は思うのだ。

「損」は、別にしてもかまわないので。

いろんな事を 「無駄」にだけは、したくないものだ。

――時間もエネルギーも、私の持ち分は、あきらかに

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「ツイている」も「ツイてない」も実はない

「ツイている」も「ツイてない」も実はない

そりゃあ、 うまくいった事を中心に思い出せば、ついていた人生になるし、 ならば、うまくいかなかった事を中心に振り返れば、 ついていなかった人生にもなってしまうよねー。

少なくとも、(ある程度の長さを生きた後であれば特に)「どっちか片方だけの人生」って、あんまりないんではないかな?

……などという至極当たり前の事を、 掃除しながら、 でもしみじみと考えられるのは、きっと心にまだ余裕がある証拠だ。

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勝たなければ負けないし

勝たなければ負けないし

「絶対負けたくない」とか 「必ず勝者になってやる」とか、そういうこだわりみたいなのを捨ててしまえば、 少なくとも、 負けることも敗者になることもなさそうだ。

勝ち負けって、いらないかも?
と、個人的に思った。

――負けもそうだが、 何なら勝ちだって (かわりに誰かが「負け」になったってことでしょ?)、 別に自分はそんなに気分よくない。
いい子ぶっているわけではない。
だって、誰かからそれで「妬

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「居心地」もまた変わっていく

「居心地」もまた変わっていく

「居心地のいい場所が失われてしまった」 と感じる時、実は 「自分の居心地(の感じ方)のほうが変わってしまった」 というケースも多い気がする。

――「心地」とかそういう感覚的なものだって、記憶には残る筈なのだ。

だからこそ、「失った」とか「失われた」とか捉えてしまうと、折角残されたその「感覚の記憶」をも、失ってしまいそうだ。

「感傷」まではいいけれど 、「悲嘆」に入って「絶望」とか「怒り」にま

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「小賢しい」のが一番ダメな気がする

「小賢しい」のが一番ダメな気がする

他人の脳みそを使うと、 他人になってしまうからダメなのです。(笑)
――最後には必ず「(せめて一度は)自分で考える」を挟まないとな。

それならいっそのこと、自分の脳みそ、あと5つくらい欲しい!
……と、思ったけど、でも、実際やったらうまく役割分担できなくて、5倍の処理能力なんて発揮してくれないんだろうな。(笑)

「私の脳が元々ダメだった」というより、「私自身がこれまで私の脳をダメにしてきた」と

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「形に残るもの」よりよっぽど貴重

「形に残るもの」よりよっぽど貴重

「できるかできないか」 も大事かもしれんが、 「やるかやらないか」のほうが、もっと大事だと思う、 今日このごろの自分。

これまでの自分や今の社会の空気って、
「できるがやらない」 (1×0=)も
「できないがやってみる」 (0×1=)も
結果0ならおんなじ事じゃねーか、という考え方が多勢なような気がするけど。
なんでもかんでも結果重視というか。

しかしだ。

「やってみる」の1は、いつか0を

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人は「使うもの」じゃない

人は「使うもの」じゃない

「自然と心が動くこと」は、その人にとっての宝物だ。

音楽でも文学でも漫画でもアニメでも映画でも、 何でも当てはまると思うのだが。
若い頃に熱中した「好きなもの」に、今でも救われているなー、と、常々思う。
ずいぶんと、 (例えばこんなご時世でも、) それらのものに、 気持ちを引っ張り上げてもらっている気がする。

学生の頃って、(勉強も大事なのかもしれないが、) そういう「熱中するもの」に対する

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あと正解と不正解は同時に成立する場合もあるしね

あと正解と不正解は同時に成立する場合もあるしね

もう、 「世の中がどうかしている」 よりも、 「私のアタマがどうかしている」 のほうが、 簡単でいい、いっそのこと。
(もうどんどん「どうかしている自分」でいこうと思う。笑)

――そんなこの世の中の、そこにいるすべての人に好かれるのは、やはり無理だ。(少なくとも私には。)

すべての人に好かれようとすることは、結局、 四季の花を一つの季節に咲かせようとした花壇みたいに、 残りの三つの季節の花をす

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夢や希望って、叶わなくてもいいのかもね?

夢や希望って、叶わなくてもいいのかもね?

「人が望んでも手に入らないものばかりたくさん持っている人」にとって、 既に手に入れているものはもう、後はそのままか、失われていくだけで。

そうなるとそれらのものは(余程強めの自己顕示欲でもって「持っている自慢」でもし続けない限り)、「真新しい望み」とかにはならないんだよな。

「持っている自慢」って言っても、 逆に誰も否定などできないくらいの(「大した事ない」とは誰にも言わせぬくらいの)そんなも

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