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夢や希望って、叶わなくてもいいのかもね?

「人が望んでも手に入らないものばかりたくさん持っている人」にとって、 既に手に入れているものはもう、後はそのままか、失われていくだけで。

そうなるとそれらのものは(余程強めの自己顕示欲でもって「持っている自慢」でもし続けない限り)、「真新しい望み」とかにはならないんだよな。

「持っている自慢」って言っても、 逆に誰も否定などできないくらいの(「大した事ない」とは誰にも言わせぬくらいの)そんなものを持ってしまっていると、 今度は「自慢する喜び(どうにかしてこれを自慢したいのに!みたいな欲望)」もなくなってしまうだろうし。

何でも持ってしまうということは、何も持たなくなるに近いのかも?


と、いうわけで、昨日「希望」について書いたけど、そこを改めて考えて、もう少し付け足してみようかと思うのだが。



実は「叶う・叶わない」は、人にとっては「本当は」そんなに重要ではなくて、 何らかの希望や期待を持つことそれ自体が (もしかすると「叶うこと」以上に) 根本的な喜びなのかもな。

――希望や期待を何も持たなくなれば、確かに、 「こんな現実世界」からすぐ去りたくなくなる人もいるかもしれんしな。


いや、まあ、「叶うこと」に全くこだわらなくなれば、それはもう「夢や希望」ではなくなってしまうけどさ。(笑)

しかし、もっと「お気楽」でもいいのかもな?なんてことを、自分に向けて考えた、という、これはそういうメモ書きです。