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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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2022年5月の記事一覧

未来を明確にイメージし過ぎない(試しにそうしてみる)

未来を明確にイメージし過ぎない(試しにそうしてみる)

(今回の記事は、昨日の続きとしても書いてみました。)

「こういう未来が欲しい」

強くイメージすることが大事です!
叶えましょう、その夢を!!
――みたいな感じのことを、
特に自分が若い頃はよく聞いた気がする。
「夢を叶えるための○○」みたいな方向の自己啓発本とかも
今よりよく書店で見かけた気もする。

自分は、バブルの恩恵には
「ギリギリあずかれなかった世代」だと思うんですが、
(たぶん今現在

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「我」とか「邪気」とか

「我」とか「邪気」とか

強めの「我(が)」とか、
あるいは「邪気」とか、
消せるものならためしに消してみたいものだ。

あと、
「企み」も「計算」も「思惑」も、
何も持たずに生きてみたいものだ。
――こんなちっさい頭の中で
いくら長年に渡り算盤はじいたところで、
いつまでたっても大した目論見も出やしなかった。
(それすら大ハズレ、という始末で。笑)

ただただ、今日という日々を、
やさしい気持ちのまま、思いのむくままに、

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あれ?夢はもう叶っている?

あれ?夢はもう叶っている?

私の子供の頃からの夢のうち、最後まで残っていたものの一つが。

「文章を書いて、それを
顔見知りの知り合いだけじゃなくて、
いろんな人に読んでもらいたい。
文章を書くことを生業にできたらうれしいが、
でも、できなくてもいい、
副業的な形でもいいので、何かを書き続けていたい。」

――って、これ、さりげなく、「ほぼ」だけど、
望んでいたことは既に「叶っている」のでは?

noteも最近ではSNS交流

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空気も水も、時間も「おいしい」

空気も水も、時間も「おいしい」

今朝、週刊文春の伊丹十三の記事を読んでいたら、
伊丹十三のエッセイが読みたくなってしまって。

で、まあ図書館で借りてくる手もあるのだが、
地元の書店を応援したい意図もあって、
(規模としても、あると便利な書店なので、どうしても潰れてほしくないんです、その書店は!)
最近本はなるべくそこで買うようにしていたりもするもんで。

そんなこんなで、記事の中で紹介されていたエッセイのうち、
一番読みたいと

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パワハラ上司の幸福を祈る?!?!

パワハラ上司の幸福を祈る?!?!

先週の土曜、かつて自分が遭遇したパワハラ上司の話を書いてしまい。

たぶん読んだ方も重苦しく感じられて
まあまあ不快になられたかと思うので。(スミマセン!)
(いや、今読み返してみて、「負のオーラ」が立ちのぼっている文章であるなあ、と、自分でも思いました。笑)

なので、
今回はその「災い転じて福となす」な「後日談」でも。

……っていっても、
「普通に今は健康で明るい毎日です」ってだけの話なんで

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『悲しいほどお天気』

『悲しいほどお天気』

「悲しいほどお天気」とは
よくできたタイトルであるなあ、と。
(ユーミンは「恐ろしい子」。笑)

それにつられてか、
青空を見ていると、
時々、悲しい気持ちになるのだ。

その時の空色が綺麗だったり
澄み渡って虚空が遠かったりすればするほど、
なお悲しかったりもする。

今日もいいお天気です。

※写真はすべて、昔撮ったものです!

ある種の「殺風景」-人間は果てなく取り過ぎてしまう-

ある種の「殺風景」-人間は果てなく取り過ぎてしまう-

例えば、軽井沢なんかにある別荘地を歩くのが好きである。――元々の森の中に、そこにそのまま建物を建てた感じの街のつくり。――そんなふうに別荘がただ立ち並んでいるだけの道を歩いても、それだけでも何だか気持ちがいいのである。
みなさん、私の別荘にも、今度ぜひ遊びに来てくださいね!
と、言いたいところであるが、……持っているわけがなかろう、私みたいな貧乏人が。(ただ他所から用もないのにふらふら歩きにいった

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昔、パワハラ上司ありけり。-負の循環から自分は抜け出す-

昔、パワハラ上司ありけり。-負の循環から自分は抜け出す-

昔、パワハラ上司ありけり。

そのパワハラ上司、
いちいち底意地悪いわ、機嫌悪いと当たり散らすわ、自分の失敗を部下にしらっと押し付けるわ、ベラベラベラベラ口ばかり動くが手が動かない(つまり仕事していない)挙句その分の仕事をまた人に押し付けるわ、まるきり机まわりの整理整頓が驚異的にできなくて自分が失くした書類を人に探させるわ(こっちは忙しくて目が回りそうだというのに!サービス残業毎日毎日何時間させら

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でも、この世の誰も助けてくれないなんてことはないから、「大丈夫」である。

でも、この世の誰も助けてくれないなんてことはないから、「大丈夫」である。

「この世の誰も何も助けてくれない」なんてことはない。
だから、
きっと、誰もが、「本当は」大丈夫なはずなのである。

但し。

大前提として「大丈夫である」のだが、
しかし、
例えば自分を「治す」という作業は、
やはり自分でなんとかするしかない。

自分というものが、治癒をしなければならない状態に陥った時、
もちろん、他人様の力はおおいに、どーんと、「借りて」いいのだ。
(そんなのお互い様でもある

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遠くの街明かり

遠くの街明かり

そこは知らない場所のはずなのに
「遠くの街明かり」は、
何故か懐かしいのであった。

無論、そこに暮らしているのは、
私の知らない人々ばかりのはずである。

本当の意味での 「一人で生きる」ということは、
この街明かりすらすべて完全に失った、
真っ暗闇の中を生きるということだ。

私はそんな「真の闇」を、
これまでに体験したことは、はたしてあっただろうか?

「一人で生きています」だなんて、

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「今できていること」をまず何より大切に

「今できていること」をまず何より大切に

学生時代にしか学べないことに気づくのは、
学生時代が終わった後であることが多い。

――とはいえ、まあ、
「やる気になった時がやるべき時」って考え方もまた、
私は基本的に支持したいのではあるが。

が、しかし、その前にやはり、
「やろうと思えばいつだって」 という文言、これがまた案外、
「気休めのおまじないでしかない」という場合が多いことも
重々承知しておかねばならないだろう。
――実際は、

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「老いたから無理が出来なくなった」のではなく

「老いたから無理が出来なくなった」のではなく

「老いてきて、何だか無理ができなくなってきちゃった。」
と思うことがいろいろとある今日この頃であるが。
――いや、しかし、
よくよくよーく考えてみるとそれは、
「身体が素直に正直になった」というだけなのではないか?
そしてそれは、
「若い頃は、気づかぬうちに、
平気で身体にいろいろ無理をさせてきただけかもなあ。」
という感想にも転じる。

例えば、最近、
やむない事情で(遊びとかではもうしませんね

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人が淹れたお茶が美味しいのは

人が淹れたお茶が美味しいのは

他人様が淹れてくれた お茶やコーヒーには、
何か「よいもの」が入っている。

が、それは「成分」としては、けして検出されない。

この世の「よいもの」とは割と
「物質」の姿をしていないのだ。

いや、 その「よいこと」が一部こうして
「物質」の姿を「借りている」 ことは多いのかもしれない。

しかしそれはその「よいことそのもの」が、
成分表示できる種類のものではないからこそ
「物質の姿」を借りて

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予定調和は退屈で-「大人気行列店」には行きたくない理由-

予定調和は退屈で-「大人気行列店」には行きたくない理由-

まずは昨日の記事の一部再掲から。

これって実例を出してみれば、「そうか、そういうこともあるかもな。」と思っていただきやすい気がするので、本日はそこら辺の話から続けてみようかと。

旅先での自分の最大の関心事は概ね「どの店で飲食するか」なのだが。
(食い意地がはっている自分なもので、この実例パターンがやけに多い。笑)

【実例1】
そこで、ある旅に出かける際に、「損も失敗も後悔もしたくない」と考え

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