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人が淹れたお茶が美味しいのは

他人様が淹れてくれた お茶やコーヒーには、
何か「よいもの」が入っている。

が、それは「成分」としては、けして検出されない。

この世の「よいもの」とは割と
「物質」の姿をしていないのだ。

いや、 その「よいこと」が一部こうして
「物質」の姿を「借りている」 ことは多いのかもしれない。

しかしそれはその「よいことそのもの」が、
成分表示できる種類のものではないからこそ
「物質の姿」を借りているだけ、ともまた言える。

それなのに、私なんぞはついつい、
「表示されているもの」ばかりを、目を凝らして見てしまう。
真っ先に数値や姿や説明を探してしまう。

でも、「そこ」には、「そのよいこと」はない。

そして一向に見つけられぬものだから、
「よいこと」を「よいこと」として
「ただ感じる」余裕などをますます忘れていくので。

そんなふうにしてウロウロ探している割には、
そのまんまいつまでも見つけられずにいることも多い。