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ある種の「殺風景」-人間は果てなく取り過ぎてしまう-

例えば、軽井沢なんかにある別荘地を歩くのが好きである。――元々の森の中に、そこにそのまま建物を建てた感じの街のつくり。――そんなふうに別荘がただ立ち並んでいるだけの道を歩いても、それだけでも何だか気持ちがいいのである。
みなさん、私の別荘にも、今度ぜひ遊びに来てくださいね!
と、言いたいところであるが、……持っているわけがなかろう、私みたいな貧乏人が。(ただ他所から用もないのにふらふら歩きにいっただけですわ。まるで不審者。笑)(※ちなみに見出しに載せた写真は、軽井沢の離山公園の中にある、かつてはどなたか著名な方の別荘として使われていたけど今は公共施設になっている建物です。)

街並みの中に木が植わっている、ではなく、元々そこにあった木々の中に、家が立ち並べられているこの感じ。――理想的な街のつくり方だなあ、と思う。(ただただ、うらやましい。笑)
そうなんだよなあ、人が住む街をつくるにあたって、元々あった森を「切り開く」「身ぐるみ剥がす」必要はべつにないんだよなあ。森の中にそのまま、「お邪魔しまーす」って装いで、建物を建てさせてもらって道を引かせてもらえばいいだけではないか。(と、そんなのは「理想論」だと言われればそうなんでしょうけどねえ……。)

そんな「森の中にある住宅街」に引き換え。
特に都会とか、「人間が我が物顔に壊して作った街」という感じがしてしまう。――人はいくらでも容赦なく「強者」に「成り下がる」というか。
はたまた、元々はそこにあったはずの自然を「我々がぶっ壊している」という自覚が少ない、というか。
で、結果、何だか、そこにいる皆が少しずつ、でも確かに息苦しいという。

とはいえ、土地の値段がバカ高い東京都心ですら、「まったく草木一本も生えていない街」なんてものは見当たらないわけだから、まだ人間にも、少しは「理性」は残っているのかな、とは思いますが。――だって、あれだけ地価が高騰しているわけだから、「金を生まないんだから木なんか一本たりとも植え込んじゃねーよ!すべての地面を、使うかさもなくば金に換えるかしやがれ!」っていう「狂気」が発動してもおかしくはないわけじゃないですか。(笑)

で、まあ、どこもかしこも別荘地のようにはそりゃあいかないのはわかるけれど。(あれだって、何かしらルールを決めているから、結果そうできているだけであってね。――多分ルールが存在しなければ、あんなに「木々の茂る中に住宅地」みたいに作れないでしょうしね。)
それにしたって、互いに果てしなくがっつき合い、少しでも自分のものにと奪い合う、そんな空気は、結果、互いを息苦しくしていくのは、なんとなく皆が感じているところなのではないかなあ、と思うのだが。(あー、でも、若い頃はそこまで「息苦しい」と感じなかったかなあ? たぶん「がっつく」そして「奪い合う」をしてもまだあり余るエネルギーが自分にもあったのかもしれない。笑)

都心に限らず、駅前の地価が高い所から、弱肉強食の奪い合いで目まぐるしく店も入れ替わり、結果、似たような「大手チェーン」ばかりの看板が立ち並んでいる。
――味気ない。
こういうのもまた、ある種の「殺風景」だと自分は思う。