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歴史を体感する【史跡めぐり】

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寺院を中心に各地の史跡をご紹介します。
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千利休が歩いた道

千利休が歩いた道

岡倉覚三『茶の本』を読む

隠しているわけではないのですが、私のオンラインサロンで「隠れ講座」的になっている講座があります。
そこではこの一年、岡倉覚三の『茶の本』を読み説いてきました。

一年間かけて、一冊の本を深めていく。

そんな気の長い(?)講座は今時珍しいことでしょう。
「読むのが難しい」「意味がよく理解できない」
そんな『茶の本』を毎月みんなで読み合わせ、私なりの解説を加えた上で
さら

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上野界隈に明治日本の恩人を思う~文化財保護法の父、アーネスト・フェノロサ

上野界隈に明治日本の恩人を思う~文化財保護法の父、アーネスト・フェノロサ

上野を歩くなんて何年ぶりだろう。
忘れかけていた懐かしい風景、そう、東京は案外緑の多いところだった。

もともとは上野寛永寺の敷地だったのを、明治政府が取り上げて
軍用地にしようとした。

それを断固阻止したのは、実は、日本人ではない。
オランダ人軍医のボードワン博士である。

その猛反発ぶりに明治政府が折れ、上野公園としての整備に取って代わられた。明治の元勲といえば、なんだか立派そうだけど
その

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涙が苔に染みこむ祇王寺

涙が苔に染みこむ祇王寺

祇王寺。

ここには祇王の涙が

染み込んでいる。

この美しい苔は

祇王の哀切そのものに見える。

表情も変えずに

静かに耐える女御たちは

選択肢が多い故に悩む

現代の私たちを見たら

どんなふうに感じるだろう。

比べるのは無意味なことだれど

もっと大きく広やかな

時空に立ってみたらどうだろう。

歴史を学ぶってね、

生きやすくなることなの。

上野にて。ボードワン博士、モース、フェノロサ、そして岡倉覚三へ

上野にて。ボードワン博士、モース、フェノロサ、そして岡倉覚三へ

上野を歩くなんて

何年ぶりだろう。

忘れかけていた懐かしい風景、

そう、東京は案外

緑の多いところだった。

もともとは上野寛永寺の敷地だったのを

明治政府が取り上げて

軍用地にしようとした。

それを断固阻止したのは

実は、日本人ではない。

オランダ人軍医のボードワン博士である。

その猛反発ぶりに明治政府が折れ

上野公園としての整備に

取って代わられた。

明治の元勲といえ

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神仏分離に思うこと

神仏分離に思うこと

神仏分離などと

つくづく馬鹿なことをしたものだ。

王政復古などと言いながら

仏教を興し栄えさせよとしたのは

王政を執り行っていた天皇ではないか。

この3年ほど神仏分離は講座のテーマのひとつとなっているけれど

歴代天皇がどれほどの思いで仏教を頼られたか

史実に触れるたびにあらためてやるせなくなる。

大覚寺は、もとは嵯峨天皇の嵯峨御所だった。

そこへ空海が持仏堂を建てたのが嵯峨天皇崩

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高山寺 明恵上人に会いに行く

高山寺 明恵上人に会いに行く

「憑かれたように」という言葉があるが

古刹を歩き回る時の私は

実際、憑かれているのだと思う。

今回の上洛は明恵上人の軌跡を辿ることにあった。

何年も何年も恋焦がれる想いを抱き、夢にまで見た栂尾。

私にとって明恵上人は特別で「みょうえ…」と口にしたそばから

涙が滲んでくるほどだ。そのため滅多に語ることはできない。

一度、明恵上人と北条泰時をテーマに講話をしたが

喉が詰まって大変だった

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作家の肩書きを自分に許可しようかという件

作家の肩書きを自分に許可しようかという件

そろそろ作家と名乗ってもいいかな。

ふと、そう思いました。

というのも、昨日、連載原稿を書いていて

「プロだな」と、思えたから。

その原稿とは、北条政子を描いているもの。

写真は連載三回目ですが

もう五回目の分まで書き進めています。

一回の文字数は約800ワード。

それを48回、書いていきます。

(一年間48回の掲載となる)

800ワードというのは、けっこうな少なさで

少ない

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