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高山寺 明恵上人に会いに行く

「憑かれたように」という言葉があるが

古刹を歩き回る時の私は

実際、憑かれているのだと思う。

今回の上洛は明恵上人の軌跡を辿ることにあった。

何年も何年も恋焦がれる想いを抱き、夢にまで見た栂尾。

私にとって明恵上人は特別で「みょうえ…」と口にしたそばから

涙が滲んでくるほどだ。そのため滅多に語ることはできない。

一度、明恵上人と北条泰時をテーマに講話をしたが

喉が詰まって大変だった。



上人のもとを訪れるなら若葉の頃だと決めていた。

5月17日の夕方に上洛、翌朝7時代に高尾ゆきのバスに乗り

8時には栂尾に到着した。

降りたとたん清滝川の水音が届く。

両親を亡くした数え九つの上人は、神護寺に入るため、泣きながら橋を渡った。

その名の通り清らかな流れは今も変わらず澄んでいて

眺めていると、たちまち胸の内に涙があふれるように感じる。

明恵上人の涙と、私の涙が重なった。

あたり一面、翡翠色に輝いて、

足元に落ちる陰までもが初々しい緑に染まっている。

打ち水がされたばかりの飛石は、なめらかな光を反射し

薄紫色をしたミヤコワスレの花弁は

ほとんど透き通って見えるほどだ。

ふだん競歩みたいに早足な私が、一歩一歩、踏みしめながら歩いた。

あまりのもったいなさゆえに。



高山寺は不思議なお寺で、山の中に極めて簡素な建物が

点在しているに過ぎない。

目に見えない無限の祈りのほかは、ごく僅かなものしか残さなかった

明恵上人らしい。

この山が、上人そのものといっていい。

石水院にそっと坐ると山の音が一段と強くなった。

風の音、水音、鳥のさえずり、歌うような河鹿の声

時おり近づく羽虫のブゥンという羽音。

いつしかすべてが溶けて、一体化していく。

自分などというものはなくて、ただ無限の世界が存在している。


やはりそうだった。

上人は生きている。

わかってはいたけれど、ここに来て確かめたかったのだ。


十七歳の私に教えてあげたい。

とこしえは、あるよ、と。

でもきっとわからない。

ここまで生きてきたからこそ、心の奥深いところで実感できるのだ。


翌日(19日)、翌々日(20日)と、三日半、みやこにいたけれど

こんな見事なお天気は、この日だけだった。

あとで写真を確認したら、不思議なものが写り込んでいるものが

たくさんあった。


それは、公開しないで、そっとしまっておくことにする。

今日(5月21日)は北条泰時が承久の乱の総大将として

鎌倉を出立した日。

泰時さんは、明恵上人との約束を、御成敗式目で果たしたのだ。

それはなんとしても、誰がなんと言おうとも

絶対に絶対に成さねばならないことだった。

明恵上人の祈りがここにも生きている。


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