記事一覧
2022/09/17(2)
https://note.com/komo198198/n/nf3ff22c3d8a0 これはゴダールの死について書かれたものではあるが、ゴダールについての文章ではない。私の悲しみがもたらした、ささやか…
2024/04/15
壁に向かって喋り続けることができるか?私にはできない。カメラに向かって話しかけ続けることができるか?私にはできない。電話もあまり得意ではない。目の前に相手の顔がなければ、どうも人と話している感じがしなくて、次の言葉が出てこない。
騒がしい街に住んでいる。この前の復活祭の日には、窓の外から道にたむろしているらしい人々の歓びの声が聞こえてきた。おそらく「ホサナ!」と叫んでいた。
先週は誕生日だった。今
2023/06/13
こういう風にだらしのない書き方をすると、もう書いてしまって取り返しのつかないことに対して、もっと違う風にも考えることができたのではないのかという疑念が次々に頭をもたげてくる。誰かひとりのためにすら書かれていない、締まりがなく、面白いところが一つもない。腰を据えてじっくりと書くべきことは見つからない。とりとめのない愚痴のような、足を引っ張るだけの、罪を作るだけの文章を書いている。こうでもしなければ
もっとみる2023/06/10
牛乳パックが綺麗に開けられない。ネジをまっすぐに締めることができない。立体視ができない。キリストのことが書かれていない本は読みたくない。いつも死んだ人のことを考えている。社会保険料や年金、奨学金を払い続けなければいけないことを考えると気が重くなる。あってもなくても何も変わらないような仕事をしている。何かを書くことが好きであるかどうかはわからないが、少なくとも読むことは好きだと思う。どのようなこと
もっとみる2022/09/17(2)
https://note.com/komo198198/n/nf3ff22c3d8a0
これはゴダールの死について書かれたものではあるが、ゴダールについての文章ではない。私の悲しみがもたらした、ささやかで、束の間の出会いの印象にまつわる覚書である。私はそこに喪の共同作業というものの可能性を見出し、それが私を書くことに駆り立てた。
死別を体験した者にしばしば見られる反応として、遅延もしくは遅滞が
2022/06/28
幼いころ、救急車のサイレンの音が聞こえると、つらくてたまらなくなった。誰かの日常が壊れたことを、告げ知らせる音に思えたからだった。それは間違いではないだろう。しかし、救急車がサイレンを鳴らすのは、むしろそれが決定的な破滅になることを防ぐためである。幼いわたしは、それでも悲しかった。誰かの日常が、壊れることがあるということそれ自体が、悲しくてたまらなかった。誰の日常も永遠に決して壊れることがない世
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