2023/06/13

 こういう風にだらしのない書き方をすると、もう書いてしまって取り返しのつかないことに対して、もっと違う風にも考えることができたのではないのかという疑念が次々に頭をもたげてくる。誰かひとりのためにすら書かれていない、締まりがなく、面白いところが一つもない。腰を据えてじっくりと書くべきことは見つからない。とりとめのない愚痴のような、足を引っ張るだけの、罪を作るだけの文章を書いている。こうでもしなければ、こうでもしなければ、どうしたってみじめだ。

 先ほどの文章では、言い落したことがたくさんある。その埋め合わせのように、弁解めいたことを書いていると、みるみる画面が文字で埋まっていく。小島信夫は、書くということはどういうことか、いかに書くか、という話をあちこちでしている。書くことについて書くということが、これほどまでにできるということが、ひとつの不思議であるように思える。その内容とは何なのか、立ち止まって考えようとすると、妙な気がしてくる。

 腐った死体にも虫は群がる。欲しがってくれる存在がいる。今日は精神の病院に行って、幼少期の頃からのことを話せと言われた。そうするとどうしても病気のことを中心にした語り方をしてしまう。まるで、病気になるために生まれてきたかのような具合になる。ところで、病院では非常に病人扱いされるのでびっくりしてしまう。精神科の床の写真をSNSにアップする人の気持ちわかるような気がする。なんだかとてもひとりきりである気がしてくる。冷房があまり効いていないので、じわりと暑い。消毒用のアルコールが、液体ではなくて、どろりとした感触のもので気持ちが悪い。知らない獣を抱いているかのようだ。帰りにユニクロに寄って、夏用のジャケットを買うつもりであったが、大きい駅で降りることが億劫で、まっすぐに家に帰った。

 最近は楽しいこともあったのだが、なぜだかそういうことは省いてしまう。なので私が書くものは深刻な顔をしている。つまらない話をしても、その話はつまらないよと指摘してくれる人は少ない。笑顔を作って聞いてもらえる。僕もにこにこしながらこの人の話はつまらないなと思うことがある。花火大会に行ったが、人が多くて疲れたという話を同僚から聞かされて、つまらないなと思いながら興味のありそうな相槌を打った。今年の花火は星のようだと感じて、コンタクトレンズをしていないことに気づいたと言っていた、その話は面白いと思った。それから家で飼っている犬の話になった。他人の家のペットの話は退屈で、写真を見せられても可愛いだけで、そう思ってしまうのは僕だけなのだろうか。本当は天気の話だって二度としたくない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?