2022/09/17(2)

https://note.com/komo198198/n/nf3ff22c3d8a0

これはゴダールの死について書かれたものではあるが、ゴダールについての文章ではない。私の悲しみがもたらした、ささやかで、束の間の出会いの印象にまつわる覚書である。私はそこに喪の共同作業というものの可能性を見出し、それが私を書くことに駆り立てた。

死別を体験した者にしばしば見られる反応として、遅延もしくは遅滞がある。この遅延は、数週間から数か月、何年も続くこともある。
「遅延が何年も続くことは、この面接調査によって、最近遭遇した死者への
急性死別反応が、何年も前に死去した人への悲嘆によって心を奪われていた
ためだと判った。同様に、ある 38歳の女性が、最近遭遇した母親の死去に驚
くほど重い死別反応を示したが、実は母親の死にはあまり強い悲嘆感情を持っていなくて、 20年前に、転移ガンに侵されて、腕の切断も行われたがたいした延命にならなかった彼女の弟の死について、かけがえの無い人を失って途方に暮れるような夢想に心を奪われていたためだと判明した。以前の未解決の悲嘆反応が、最近の死別を検討するなかで誘発因となっていたことが判明し、それは、以前の弟との死別が話題になった時に、患者が真の悲嘆反応のあらゆる特徴を示したことでただちに実証された。(1)」

私はたった一つの死を、あなたの知らない友達の死を、飲み下すことができないままに、ずっと悲しんでいるのだ。以来すべての死は、その死を思い起こさせるための契機に過ぎないとも言えるかもしれない。わたしは、ずっと悲しんでいる。ひたすらに、あなたの死を。

(1)リンデマン・エーリック著、桑原治雄訳「急性悲嘆の兆候とその管理」社會問題研究. 1999, 49(1), p.217-234(元の論文は1944年発表)


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