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「介護時間」の光景㊼「トラック」「雨模様」。3.5.

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。

 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。
 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで書き続けることができています。

 もし、よろしかったら、「2007年3月5日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。

自己紹介

 元々は、私は家族介護者でした。介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 ただ、そうした支援をしている専門家がいるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。それは、分不相応かもしれませんが、介護をしながら、学校へも通い、臨床心理士の資格を取りました。現在は、家族介護者のための、介護相談も続けられています。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
 

 仕事もやめ、母の入院する病院に通い(リンクあり)、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けている時には、将来のことは、1年先のことさえ考えられなくなり、ただ、毎日の、目の前のことだけを見るようになっていました。

 そのためか、周囲の違和感や小さな変化にかなり敏感だったような気がします。

 さらに、2004年に母親にガンが見つかり、手術をして、一時期は抑えられていたのですが、翌年には再発してしまい、だから、あとは旅行などもして(リンクあり)、母が、少しでも楽しい時間を過ごせれば、と思っていました。

 ガンになってからは、私はほぼ毎日、病院に行くようになっていました。
 一人でいる時間よりも、誰かと一緒にいる時間を少しでも増やせば、もしかしたらほんの少しでも寿命が伸びるのではないか、と根拠のないことを思いながら、通っていました。

 そのころの話です。

 前半は、2007年の3月5日のことを書いています。終盤に、今日、2021年3月5日の話を書いています。

2007年3月5日。

「今日は、母の診察の結果を、私だけで聞きに行く。
 いつもとは違う病院に、まず向かう。

 手術もしてくれて、その後の診察も続けてくれている医師が説明を始める。
 ガンの状況を示す腫瘍マーカーの値があって、その数値の意味合いについては、私はちゃんと理解していないものの、2年前は2300だったのが、今は6000台になっていて、悪化しているのは、それもかなり悪くなっているのは、分かる。

 少し黄疸も出ています。

 肝臓の状況がいよいよ悪くなっているということだった。

 貧血も出ています。

 それを、聞いて、でも、仕方ないと思うようにしていた。いろいろなことはしてきたけれど、もう何かができるわけでもない。

 もっと悪くなったら、こちらで診ることになると思います。

 医師は、そう言ってくれる。医師の方針では、患者には、事実を伝えた上で、一緒に頑張りたい、ということを言ってくれたのだけど、母の状況を伝えて、もし事実を知ったら、また意識が危うくなり、会話もできなくなるのでは、という怖さもあって、本人には伝えないまま、ここまで来た。悪いと思う気持ちはある。

 それでも、その時は、すみませんが、お願いします、と言うしかできなかった。

 いざという時、どうすればいいかの目安はできて、それで少しは気持ちが軽くなった気もしたけれど、でも、悪くなっていくこと、死んでいくことには変わりがない。

 あと、どれくらいですか?と聞けない。


 それから、一度、送迎バスで駅に戻って、風が強くて、花屋はほとんどやってないが、なんとか花を手に入れる。

 いつもの病院の送迎バスに乗る。
 母のいる病院に着く。

 母は、いつも通りだった。医師に聞いた時の感じとは違って、元気そうに見えた。

 でも、いつまでも元気なわけではない。死んでいくのは、誰にとっても自然だけど、と思うようにしている。

 夕食は20分くらいかけて、でも、半分くらいしか食べられなかった。

 午後7時に病院を出る」。

トラック

 いつもの時間に病院を出て、県道を渡ろうとして信号待ちをしていると、その道をトラックが近づいてきた。
 背が高くて、荷台にあるのが、ただの四角いコンテナで、だから、もしかしたらトラックとは言わないのかもしれないけれど、夜で雨が降っているせいもあって、その乗り物は、ただ黒いカベみたいなものが、暗い道路の上を、けっこうなスピードでひたすら黙々と近づいてくるように感じたせいか、歩道で待っているだけでも圧迫感があった。

                    (2007年3月5日)

雨模様

 激しい雨。東海道線のドアのところの縦長のガラス窓。そこにすごく激しい風と共に雨粒がいっせいに叩き付けられて、そして、すっと横や斜めに不規則に広がり、一瞬だけ止まり、迷彩の模様のようになり、それから、すぐにそのまま下へ流れていく。
 ガラス窓に叩き付けられ、模様を作り、流れていく。
 短い時間の間に、その繰り返しが続いていく。

 次は私鉄に乗り換える。ガラス窓を見ていたら、さっきのような、そんな模様を見ることはなかった。ただ、普通に激しく雨が叩き付けられて、そして、斜めに流れていくだけだった。

                    (2007年3月5日)


 2007年の5月に、母は病院で亡くなりました。
 その後、義母の介護は続いたのですが、2018年の年末に突然、介護は終わりました。


2021年3月5日。

   午後から雨が降るそうなので、午前中に洗濯をして、干せば、少しでも乾くのではないかと思い、洗濯機を回した。

 昨年から、世界は一変し、コロナ禍という言葉が定着し、外出する時はマスクをするのが常識になってしまった。やたらと手を洗うし、アルコール消毒も、圧倒的に数が増えた。スーパーやコンビニも、レジのところにビニールがはられているのも当たり前になった。

 すでに、それ以前の記憶は薄れ始めている。

 今の話題はワクチンのことになっている。
 緊急事態宣言下にあるはずだけど、そのことも忘れそうになる。
 毎日、重症患者や、死亡者のことも報道されるようになったのだけど、重症患者は、〇〇人減りました、ということを聞いても、それは回復したのか、それとも亡くなったことで減少したのかも分からない。

  緊急事態宣言が出されているのであれば、コロナ専門病院ができてもいいのだけど、そんな話は、自分が情弱のせいか、聞かないままだった。

 それよりも、気を引き締めて、などということは言われているのだけど、どれだけ気をつけていても、感染のリスクはゼロにすることはできない。

 ラジオを聞いていると、入院中のリスナーからのメールで、こんなに気をつけていたのに、コロナに感染してしまった、という無念さと、思った以上に回復までが長く辛い、という話が伝えられている。

 他人事ではなく、怖い。
 家族に喘息の持病があるから、私も感染できない、という気持ちも強い。
 外出を極力減らして、どれだけ気をつけても、それでも、感染のリスクをゼロにすることは、当然だけど、不可能なのも分かっている。

植物活動と植物通信

 妻も外出をなるべく減らしているのだけど、それでも近所で、好きな雑草を眺めたり、家にナチュラルに生えている植物を中心にした小さい庭を作ったり、近くの並木の下に、名札をたてて、雑草の庭を作ったりと、植物活動をしているから、それで、やっと毎日が、息が詰まるというようにはなっていないようで、それは、見ていて、少しほっとする。

 妻のお姉さんも植物好きでもあるので、近所で見つけた草花の情報をメールでやりとりしたり、電話で話をしたり、郵送で植物の「資料」が送られてきて、妻も、また送っているので、植物通信も続いている。それは、やはり、楽しそうだし、豊かなことのようにも思う。

 この前、送ってきてくれた植物通信の中に、はっぱを切り抜いた「作品」が入っていた。最初は、何か分からなかったのだけど、お義姉さんは、このnoteも読んでくれているので、もう少し見たら、私の記事のアイコンだと気がついた。

 とても、うれしくて、すごく、ありがたい気持ちになった。

 それが見出しの写真です。



(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでくだされば、ありがたく思います)。


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