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文学と尺八📖

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古文書・地誌・狂言・詩集などに登場する尺八、虚無僧をご紹介♪
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虚無僧と文学☆夏目漱石『草枕』岡本一平漫画

虚無僧と文学☆夏目漱石『草枕』岡本一平漫画

山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画が出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国は

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木幡吹月『尺八古今集』名言集☆『尺八の世界性』

木幡吹月『尺八古今集』名言集☆『尺八の世界性』

木幡吹月の尺八哲学とは。

昭和26年(1951年)に刊行された月刊『尺八』に掲載されたコラム、『尺八古今集』というものがある。著者は木幡吹月。10回に渡り連載されたようだ。

それをコピーして一冊にまとめた小冊子が、見出し画像左側で、岐阜の師匠、故藤川流光師に譲って頂いたもの。
(表紙の木幡の名前が小幡になっている汗)

これは竹内史光師が作ったもので、当時の門下に配ったもののようです。史光師は

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 なぜ古代尺八は消えたのか☆『文机談』から読み解く

なぜ古代尺八は消えたのか☆『文机談』から読み解く

『文机談』(ぶんきだん)とは、1272年前後に書かれた琵琶の西流を伝承する藤原孝時の弟子の僧、 文机房隆円が書いた琵琶の歴史物語。

藤原孝時とは、平安時代から鎌倉時代にかけての雅楽師の藤原孝道の子。父孝道は楽器の演奏・製作・修理いずれにも長じ、「管絃音曲の精微を窮す人也」と称されたそうです。孝時は二十歳の年から熊野へ詣でて、「我が芸がもし父の芸に及ばなければ、ただちに命を召しあげてください」と申

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1200年代の舞楽の口伝書『教訓抄』における尺八・短笛・猿ノ骨

1200年代の舞楽の口伝書『教訓抄』における尺八・短笛・猿ノ骨

平安時代、宮廷音楽で使われた雅楽尺八の滅亡後、尺八は六孔から五孔へと変化し、武士、僧侶、猿楽師、田楽師、琵琶法師、連歌師など様々な人々へと行き渡っていった。

そして、1200年代の頃は尺八は「短笛」と呼ばれていたことが、『教訓抄』という楽書に書かれている。

教訓抄とは、

まずは、

巻第四
「他家相伝舞曲物語」の目録
『蘇莫者』に、尺八が登場します。

『蘇莫者』といえば、聖徳太子です。

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古代尺八のその後☆猿楽篇📖 『世子六十以後申楽談儀』

古代尺八のその後☆猿楽篇📖 『世子六十以後申楽談儀』

正倉院にある尺八は、 節が三本あり、前に五つ、後ろに一つの計六孔。
古代尺八、もしくは雅楽尺八と称されている。

その頃の尺八は、盛唐期の宴饗楽・讌楽用の楽器の一つとして我が国に伝えられ、これによって吹奏された音楽は当時の中国音楽・唐楽であり、其の演奏者は大陸からの渡来人や帰化人とその系統の楽人であった。

大陸から遠路はるばる日本にやってきて演奏していたということだ。

古代尺八は、前に投稿した

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文学と尺八☆『源氏物語』

文学と尺八☆『源氏物語』

尺八の日本到来は西暦600年頃。

唐代の宮廷の燕饗楽で使われたという楽器が雅楽として日本に伝わった。

本来尺八はそれぞれが十二律の各々に応ずるように作られた十二本一組の縦笛でありました。

絵画に描かれた古代尺八は、古くは平安時代の舞楽、雑楽、散楽などの様子が描かれた巻物である『信西古楽図』があります。

そして平安時代の文学と言えば、かの有名な『源氏物語』。

その『源氏物語』に、古代尺八が

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吉川英治の名作『鳴門秘帖』を読む📖隠密虚無僧☆法月弦之丞!

吉川英治の名作『鳴門秘帖』を読む📖隠密虚無僧☆法月弦之丞!

吉川英治作、長編時代小説『鳴門秘帖』とは。

大正15年8月から翌年の昭和2年10月まで、354回にわたって大阪毎日新聞に連載された、吉川英治の前期の代表作のひとつ。まだ大衆娯楽機関のあまりなかったその頃、「鳴門秘帖」のたぐいない面白さに、夕涼みのお内儀さんから使い走りの小僧さん、また花柳界の女性まで夕刊を待ちわびて愛読したそうな。

主人公は、多情多恨の青年剣士である法月弦之丞。

あらすじ

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文学と尺八📖『吉野拾遺』

文学と尺八📖『吉野拾遺』

尺八の音色で魚が躍り出てくる?!🐟🐟🐟

『吉野拾遺』とは、

南朝(吉野朝廷)関係の説話を収録した室町時代の説話集のこと。



懐良親王は若い頃、尺八が上手であった。芳野川への外出時に吹いたところ、見慣れぬ魚がたくさん水から躍り出て、それは珍しく類いなき事だった。昔、妙音院殿が、熱田神宮で琵琶を弾いた時に、魚が陸に躍り出たと言い伝えがある。確かに同じような事だと感じます。尺八は以前から

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とりわけ憎んで厭うべし?!虚無僧ならぬ虚無族の実態が書かれた草茅危言を読む📖

とりわけ憎んで厭うべし?!虚無僧ならぬ虚無族の実態が書かれた草茅危言を読む📖

18世紀末頃の普化寺や虚無僧たちの所業の実態について書かれた書物に、中井竹山(積善)著 『草茅危言』(1789年)があります。

中井竹山とは、江戸時代中期の儒学者。大坂の学問所 懐徳堂の四代目学主として全盛期を支えたそうな。
詳しくはこちらをどうぞ↓

『草茅危言』とは、

因に、四字熟語の草茅危言の意味は、

と、言う事で、批判満載の書物なんですね。虚無僧に関してもなかなか厳しい苦言が呈されて

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暮露ってだれ?『七十一番職人歌合』を読み解く!

暮露ってだれ?『七十一番職人歌合』を読み解く!

暮露と文学 其の一!

中世の頃、虚無僧の前身といわれる「ぼろぼろ」「暮露々々」「暮露」という人々が存在しました。

彼らは一体どのような人々であったのか⁉️

『暮露』の名称は以下に記録があります。

 

十四世紀初め『徒然草』では「ぼろぼろ」「ぼろ」(始原として「ぼろんじ・梵字・漢字」)

十四世紀頃の『暮露々々のさうし』では「暮露々々」「暮露」

十六世紀初めの『七十一番職人歌合』では「暮

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文学と尺八📖『年山紀聞』

文学と尺八📖『年山紀聞』

『年山紀聞(ねんざんきぶん)』という随筆に『尺八」の記述があります。

年山とは安藤 為章(あんどう ためあきら)の号です。

安藤 為章(1659年 - 1716年)は、江戸時代初期から中期にかけての国学者。伏見宮に仕えたが、水戸光圀に召され『大日本史』編纂にかかわる。契沖の指導も受けたとのこと。契沖とは江戸時代中期の真言宗の僧であり、国学者。

こちらが『年山紀聞』↓

○尺八

源氏末摘花に

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ニンジャの虚無僧?!『絵本高木英雄伝』📖

ニンジャの虚無僧?!『絵本高木英雄伝』📖

またまた虚無僧キーワードで探しておりましたら、明治時代の珍しいイラスト出てきました。

『絵本高木武勇伝』 寛永舎 1885年刊

表紙です。

こちらは見出し画像の挿絵。

「二人の虚無僧、八幡宮の社前にて武術試合す」

よく見ると二人の虚無僧が忍者みたいな武器を持ってます🗡✨

文章には「妙安寺門下」「一月寺の門流」と書かれています。関東対関西の虚無僧寺の争いでしょうか🤔

そして、

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虚無僧をさがせ!『絵本慶安太平記』

虚無僧をさがせ!『絵本慶安太平記』

「虚無僧」をキーワードに探し物をしておりましたら、このような絵本に行き当たりました。絵本とありますが挿絵はとても少ない…。が、漢字のふりがなはバッチリです。

まずは、

『慶安太平記』とは?
慶安の変を題材にした実録本・講談・歌舞伎などの題名または通称。

『慶安の変』とは?江戸時代の前期1651年、軍学者・由井正雪 (ゆいしょうせつ)が、槍の達人だった丸橋忠弥(まるばしちゅうや)らと共に、幕府

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