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#今日の私メモ

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日々のつぶやきをまとめています(“文字数ぴったり”を狙いたくなるのは、私の…癖? 趣味? 美学⁇)。
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2022年1月の記事一覧

最初と最後が、特に難しいんだよね…。それをずっと追いかけてる。『物語』はすでにここにあるのに、読めば済むのに(笑)、それを“どう見せる&魅せるか”ってことを、つまり……すでに脳内でできていることを(読むことで)、わざわざ「見る」に変換する技術? 今の私にはまだまだ初体験の領域だ〜

さて、1月も最終日(なんか妙に長くなかった?)。とにかく……やれるだけのことはやる。あとになって「あのときもう少し、がんばっておけば…」とか思わないように。限りある時間の中で、その日の集中力を出しきって、それをじりじり積み重ねて。今のベストを尽くそうと、頭も心もフル回転で、挑む。

毎日少しずつ。もうすぐ半分。相変わらず、エネルギーに満ちている。創作の日々を……というより、生きること・生き延びることへの励まし(私は彼の「あとがき」も好きなのだ)。こんなふうに、魂込められた作品(今回も命がけだな…)しかもう読めない&読みたくない。彼の作品と出会えて、よかった。

今の私にとって「作品への愛」は「自分への愛」であり「この人生への愛」でもある。“だから届かないんじゃない?”と心の中で誰かが言っても、「作品の可能性を模索し続けること」は、「私を」そして「この人生を」あきらめないことと同じだから…。でも地球、重すぎ。遅すぎ。出会いを、叶えさせて!

今日も力尽きる。シナリオの不慣れさ・難しさに直面するたびに、「小説ってなんて自由なんだ!☆☺︎♡」と愛が広がる。小説愛。思い出すよー、思い知るよー。それでも、作品が届くなら……と続く挑戦。もうほんと、“こんなの無理じゃね? がんばったって無意味じゃね?”って何度も思いながら。

「時間」にしか成し得ない「魔法」が、確かにあると思うんだ。私はそれを村上春樹の長編小説から学んだ。カップラーメン的な音楽や文章や短編小説などにはもう、ほとんど興味がない。多くのものは、ほんのひととき消費され、あとはただ消えていく。時間には時間が、応えてくれると信じてる&感じてる。

自分で書いた小説の「シナリオ化」は、ほんと難しい。どのシーンも、どのセリフも、削りたくないし削れない。だけど〈映像〉として捉え直そうと頭(脳みその別の部分)をフル回転させることで、〈文章〉のときには出会えなかった新しいアイデアを得られたりもして……向き合うほどに、また愛が深まる。

久々にシナリオ。noteの創作大賞用に手直ししようと思って。この場所から、ひとりでも、この作品のためにできることがまだあるなら……そして気が向く限りは、私は何度だって実験&挑戦できる。この「情熱」は、砕け散っても砕け散っても勝手に再生してくるし。届くなら、生きてるうちに味わいたい

そうして&だからまた、私は図書館の本に救われる。久しぶりの中村文則作品。一緒に借りた本があまりにも「単なる文章」すぎて(芥川賞受賞の意味がわからん。“物語力”の欠片もない)、こっちを借りておいてよかったと心から思った。信頼と実績。最初からもう面白い。いっきに世界に連れてってくれる

太陽と冥王星がヒットして→さらに蟹座の満月どーーーん!→ドラゴンヘッドが双子座から去っていき、天王星が順行になって→水瓶座の季節のはじまりはじまり。で、ようやくホッと一息……って感じでもまだないなぁ…。うねるうねる宇宙のエナジー。あの平穏な日々はどこいった? あの私はどこ消えた⁇

愛が伝わらないなら愛じゃない。それは愛じゃない。これは愛じゃ……ない? 私たちは愛を学ぶために生まれてきたのか? 愛は学ぶような、学べるようなものなのか? 「あなたが存在していること、それ自体が愛なのです」的なことなら、こんなにも伝わらない私は愛じゃないのか。存在していないのか?

今回の蟹座の満月すごくない? ゆうべから(気づいたら雪。仙台にしてはけっこう降ってた)押しつぶされている(“むぎゅーーーっ”と上から)。太陽×冥王星のパワーか?(まじで噴火してるし)/出かける予定をやめにして、ベッドでバタンQ〜。午後に月が獅子座に移ったら、少しは楽になるかな? 

とてもとても久しぶりに読んだ『沈黙』。初めてこの作品を読んだときの、あの……魂がふるえるような……熱くなる感じを思い出す。私にも、彼にとってのボクシングのようなものがあったら……どうだろう、もう少し違う人生になっていたかな。結局同じかな。何度読み返してもまだ救われる、特別な作品。