創刊150周年「読売新聞」を信じてもいいですか?
「読売を信じてもいいですか?」
読売は、今年創刊150周年ということで、「読売新聞を、信じてもいいですか」というPR動画を流しています。
読売新聞 創刊150周年「信じてもいいですか」篇30秒
この「信じてもいいですか」というコピー、読売の微妙な自己認識、というか、自己不信をあらわしていて、なかなか味わい深いと思うんですね。
読売を信じてもいいですか? 聞きたいのはこっちだけど、読売自身があんまり自分を信じていない。
読売は何をやりたいのか。それは長年の謎です。
とりあえずは、朝日・毎日を抜いて、部数日本一が目標だったのでしょうが、それはとっくに成し遂げている。
いまや、ぶっちぎりです。
野球の球団をもっているのは読売だけ。
オーケストラをもっているのは読売だけ。
遊園地をもっているのは読売だけ。
もう、とっくに、読売のひとり天下です。
カネがあまって仕方ないのか、最近はうちの近くの、よみうりランド周辺をあちこち掘り返している。
でも、そこでも、何をやりたいのかよくわからない、と7日にnoteに書いたばかりです。
新聞の中身を宣伝しない読売
うちに来る新聞勧誘ちらしを見ても、読売は「正体不明」です。
新年早々から、うちのポストには、朝日新聞と東京新聞の勧誘ちらしが入っていました。
まあ、朝日新聞を子供に読ませて、アカく染めて、アカい大学に入れよう、という、いつもの朝日新聞。
「真実、公正、進歩的」、この「進歩的」は、望月イソコという活動家記者のことで、いつも元気にカツドウしてますでおなじみの、東京新聞。
こういったサヨク新聞、読むやつの気がしれないけど、とにかく、新聞の中身(紙面)をPRしていることは間違いない。本人たちは自信があるんでしょう。
で、読売新聞の勧誘ちらしも入ってたんですけど、コレですよ。↓
ひときわ大きく派手な宣伝物だけど、これが読売新聞の勧誘ちらしだとは、私のような業界のすれっからしでないと見抜けません。というか、私もよく見ないとわかりませんでした。
2月に東京ドームで「世界らん展」というのをやるらしく、アンケートに答えたら胡蝶蘭とかをプレゼント、というキャンペーン。
それまでの3カ月、読売の勧誘ちらしはどうだったかというと、これです↓
毎月1回、必ず「箱根駅伝応援キャンペーン」のちらしが入ってました。
これも、よく見ないと読売の勧誘ちらしだとわからない。
「初春 蘭ランキャンペーン」のちらしも、老眼鏡を取り出してよーく見ると、小さな字で書いてある。
ご応募いただいた方のお名前、ご住所、電話番号、メールアドレス、年齢、性別などの個人情報は、読売ファミリー・サークル(yfc)、応募者の地域を担当する読売センター(YC)及び読売新聞東京本社が共同で利用し、(中略)ご購読のお勧め、ご購読の延長、新聞以外の取扱商品のご案内、宅配業務に利用させていただく場合があります。
新聞の中身ではなく、アトラクションで釣って、新聞をとらせる、という読売のやり方は、むかしから変わりません。
おい、部数日本一だし、創刊150周年だし、もっと新聞の中身に自信を持てよ、と言いたくなります。
150周年か、100周年か
まあ、創刊150周年というのも、「信じていいですか」と言いたくなるんですけどね。
読売は、日就社が読売新聞を創刊した1874(明治7)年11月2日を創立日としているようです。
それで言えば、今年はたしかに150周年です。
読売新聞を創刊した日就社には、それ自体興味深い歴史があります。
以下にたいへん詳しい記事がありました。
しかし、本当の意味での創刊は、正力松太郎が読売新聞を買収して社長に就任した1924(大正13)年2月25日でした。
そこから数えて、今年が100周年。
150周年より、100周年を祝うのが、いまの読売にはふさわしいはずです。
関東大震災がなければ「朝日・毎日・読売」はなかった
それについては、関東大震災とのかかわりに、ぜひ触れときたいですね。
101年前の1923(大正12)年9月1日に関東大震災が起きました。
大地震により、読売新聞社も、のちに合併する(そのころは読売より部数が多かった)報知新聞社も、ほかの在京新聞社同様、壊滅的被害を受けました。
そこで、大阪資本の朝日新聞と毎日新聞が、東京に進出して、東京勢が弱っているあいだに、まんまと天下をとります。
当時、正力松太郎は、警視庁の幹部でした。
そしてその年の12月27日、皇太子(のちの昭和天皇)が難波大助に狙撃される虎ノ門事件が起こり、警視庁警務部長だった正力は、責任を問われ、懲戒免職になります(のちに恩赦)。
正力は、虎ノ門事件だけでなく、大震災時に起きた朝鮮人虐殺、亀戸事件、甘粕事件などにたいしても、(直接手をくだしたわけではありませんが)責任を問われる立場でした。
難波大助が虎ノ門事件を起こした動機の一つが、亀戸事件(社会主義者十数名が警察と軍に殺された事件)だったと言われますから、正力は二重に責任を負っていたと言えます。
大震災と虎ノ門事件の関連は以下の記事に書きました。
その正力が、大震災の翌1924年、虎ノ門事件からわずか3カ月足らずで、壊滅状態にあった読売新聞を買収し、社長に就任しました。
関東大震災がなければ、現在の全国紙としての朝日新聞と毎日新聞はありません。
そして、関東大震災がなければ、たぶん虎ノ門事件もなく、虎ノ門事件がなければ、正力松太郎が警視庁を免職になって読売の社長になることもありませんでした。
つぶれかかった読売をよみがえらせたのは正力です。
関東大震災は、そういう意味で、朝日、毎日、読売のいずれにとっても、現在にいたる原点になっています。
正力・務台コンビで躍進
読売新聞の本当の歴史は、100年前のここから始まりました。
そして、5年後の1929(昭和4)年、正力は、「報知新聞」の販売局長、務台光雄を読売新聞に引き抜きます。
「報知新聞」は、かつては在京紙No1部数だったのですが、いまや朝日・毎日に抜かれていました。
正力と務台は、積極経営で読売の部数を伸ばしました。それは、メディア史ではおなじみの話です。
そして1942(昭和17)年に、読売と報知新聞が合併。
あくまで東京ブロック紙としてでしたが、「読売報知」は、戦中に在京No1の部数に躍進します。
そして戦後、西日本に進出して全国紙体制となり、朝日・毎日を猛追して、日本一(一時は世界一)の部数を達成し、いまにいたるーーというわけです。
読売新聞は「右翼新聞」か
いま日本にある新聞社は、100年以上の歴史をもつ、古い会社ばかりです。
この業界、新規参入が難しい、閉鎖的業界なんですね。
でも、新聞社は、その長い歴史を、あまり誇らないように思います。
現存する最古の新聞とされる毎日新聞も、数年前に150周年を迎えましたが、あまり大騒ぎしませんでした。
たぶん、「長い歴史」を強調しすぎると、
「戦争中は何をしてたんだ」
と、「痛い腹」を探られるからだと思うんですね。
以前、書いたように、いまは正義の味方みたいな顔をしている新聞社ですが、いろいろな「原罪」を背負っています。
そのなかでも、戦中の戦争協力は、触れてほしくない部分でしょう。
読売新聞社主の正力松太郎は戦後、A級戦犯容疑で巣鴨に拘留され、不起訴ながら公職追放されましたからね。
新聞界では唯一ではないでしょうか。毎日新聞「社賓」の徳富蘇峰も公職追放されましたが、終戦の日に毎日に辞表を出して、形の上では毎日と関係ないようになっています。
その戦中のおこないを含めて、
朝日・毎日は左翼だけど読売は右翼、
または、
朝日・毎日は反権力だけど、読売は権力ベッタリ
みたいなイメージがあると思うんですけど、そういうのも業界の「印象操作」の面があります。
戦争協力で言えば、読売よりも、朝日・毎日のほうが断然「上」でした。
そのころの読売は関東のブロック紙で、朝日・毎日のほうが断然世論に力を持っていた。
それが証拠に、これも以前書いたけど、戦後GHQに「焚書」された戦中出版物の数は、朝日がトップで、2位講談社、3位毎日新聞でした。
朝日・毎日は、戦争中のことはなかったことにして、しれっと「反権力」ムードを出している。
過去を振り返って、恥ずかしいのは朝日・毎日のほうで、読売はそれにくらべればたいしたことない。
でも、正力松太郎のイメージで、損をしてますね。
アイデンティティーの分裂
もう一つは、読売新聞が、いわゆる「小新聞」(こしんぶん・庶民向けの新聞)出身で、「大新聞」(知識人向けの新聞)の朝日・毎日からサベツされてきたことがある。
いまでも、読売の「大手小町」などを見ると、「小新聞」のよさが生きていると思います。かつての「あたしンち」とか。
「大新聞」なんて言ってるけど、朝日・毎日も、結局はそのつど権力にしっぽを振ってきたことは、これまでさんざん書いてきました。それにくらべれば、「小新聞」のほうが罪がない。
「小新聞」で悪いか、と、読売はもっと胸を張っていいと思うのだけど、「信じてもいいですか」ですから。
創刊150年なのに、読売のアイデンティティーがよくわからない。
結局、「小新聞」時代の最初の50年と、警察官僚の正力が社主になってからのその後の100年とを、読売自身が、まだ「統合」できていない。
ナベツネ後への期待
1980年代以来、読売を牛耳ってきた渡辺恒雄(読売グループ本社代表取締役)という人物も、発信力が大きいわりに、何を考えているかよくわからない。左翼出身の右翼、だけど、右翼でもなく実は左翼(安倍晋三嫌いだった)、という面がある。
そういえば、正月というと、ナベツネの年頭所感というのが、いつも新聞業界紙に載っていた。販売店の新年会でしゃべった話ですね。それがいつも面白くてねえ。わたしはファンでした。あれは、いまでもやっているのかしら。
いずれにせよ、わたしの現役時代の読売のイメージは、よきにつけ悪しきにつけ、ナベツネの個性で決定されていた面があります。
1990年代、ナベツネが書いていた社説は、冷戦終了後の日本をリードしているように見えました。ナベツネは「日本のネオコン」なんて呼ばれてましたね。読売憲法試案を出したり、中央公論を買収したり、とにかく目立っていた。
しかし、2000年前後から、ナベツネは、読売だけでなく新聞業界全体の代表者となり、規制緩和反対とか、デジタル化反対とか、日本の反動勢力の象徴と化していました。
その功罪は、なかなか見きわめがたい。
経営戦略についてもそうです。
読売が「紙の新聞」にこだわり、デジタル化が遅れたことは、不利な条件に思われます。
しかし、いずれにせよ「新聞」そのものが斜陽である現状を見れば、力を残した地域の「販売店」を拠点に、「読売経済圏」のようなものを作ろうとしているのは、正しい戦略にも思えます。
前述のように、球団や遊園地を持っているのは、いまや読売だけです。そうしたアトラクションをうまく使って、家族単位で「読売経済圏」に取り込めれば、「新聞」が終わったあとも生き残れるかもしれない。
でも、そういう「経済圏」づくりに、本気で取り組んでいるかと言えば、たとえば「読売ファミリーサークル(yfc)」のサイトなんかを見ても、あかぬけないというか、本気度を感じないのですね。
よみうりランド周辺開発を見ても感じる、「何をしたいのかわからない」という感じ、「信じてもいいですか」という感じが、読売にはつきまとう。
いまの読売の社員は、どう考えているんでしょうね。
やはり、ナベツネがいなくなってから、いろんなことがはっきりするのでしょうか。
そういう意味では、創刊150周年を過ぎ、ナベツネ後から新しい読売の歴史が始まるのかな、とか思います。
新聞業界は、いまだに古臭い「護送船団」業界に見える。
150年以上つづく「老舗」ばかり。変化がなさすぎ、なんですよ。
そして、新聞社がクロスオーナーシップでテレビ局と結びついているので、新聞業界の硬直が、日本のメディア全体の閉塞感につながっている。
わたしはぶっちゃけ、読売には、競争力をちゃんと発揮してもらい、さっさと毎日新聞を片づけてほしい。
そのあと、若い、新しいメディアが、読売を倒してほしい、と思っています。
<参考>
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