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日本の未来を潰したマスコミの「5つの大罪」

日本に明るい未来がなくなったのは、政治のせいだとかマスコミは言いますが、それはあなた方マスコミのせいですから。

マスコミの5つの大罪

1 規制緩和への反対


冷戦が終わり、バブルが終わった1990年代、政府はさまざまな分野で規制緩和して日本の未来を耕そうとしたが、マスコミ、特に新聞業界は、それに反対する急先鋒となった。

それというのも、規制緩和が、自分たちの再販価格維持制度(いわゆる再販制)にまで及んだからだ。

ふつう、メーカーから小売店に商品の所有権が移れば、その価格は商店が自由に決められる。メーカーが価格を縛ろうとしたら独禁法違反である。だが、その例外として、メーカーに価格支配を許しているのが再販制だ。

今でこそ新聞の価格は各社バラバラになっているが、それまではカルテルを結んでいるとしか思えないほど価格は同じ、値上げの時期も同じ、紙面も今ほど違いはなかった。要するに新聞業界は、まともな競争をせず、業界団体の政治力で既得権益を守ってきた、真っ先に規制緩和すべき業界だった。

既得権にあぐらをかいてきた新聞業界は、いかなる改革も受け入れる気がなかった。この時の、業界をあげた異常な「規制緩和反対キャンペーン」を私も覚えてる。城山三郎など当時の有名文化人を動員し、「規制緩和は言論弾圧だ」といった運動を政府に対しておこなった。その詳細は三輪芳朗『規制緩和は悪夢ですか』に詳しい。

最近の毎日新聞の、野党と組んだ原英史バッシングに見られるように、新聞は規制緩和派と見ると、悪者と決めつけ、牙をむく(加計学園問題追及の背後にも同じ姿勢がある)。それは今も変わっていない。それは、自らが規制緩和されないための保身なのだ。

新聞の既得権は、戦前からのものである。三輪芳朗・東大経済学部教授は、新聞に規制緩和を潰された悔しさをにじませ、上述の本の最後にこう書いている。

ドイツとイタリアでは新聞はすべて廃刊され、戦後の新聞は新しい題号で新しい経営者により連合軍の許可を得て発行された。日本の新聞は旧題号のまま発行を続け、廃刊を命じられたものはない。1945年の9月10日頃朝日新聞を訪れた米人の新聞記者グループは、「なぜ日本の新聞は廃刊しないのか」と尋ねたという。(中略)「言論の自由」「民主社会」の守護神を自任する機関群の行動と製品の質に対するわれわれの成熟度が問われている。(中略)「新聞の機能」が重要だとしても、既存の新聞という機関がよいとは限らない。

三輪芳朗『規制緩和は悪夢ですか』


2 国民総背番号制への反対


国民総背番号制は、脱税を防いで税負担を公正化するとともに、行政の効率化、電子化のために必要だ(「背番号制」という言葉は、基本的に批判者側の言葉だが、ここでは中立に使う)。

背番号制が実施されていれば、コロナ給付金も早く実施されただろうし、今問題になっている給付金詐欺も防げただろう。

日本政府も、多くの国にある背番号制を導入しようとしたが、1980年代の「グリーンカード」、2000年前後の「住基ネット」と、一貫して反対してきたのがマスコミだった。

日本個人情報管理業協会の中島洋理事長は、

表に立って世論にグリーンカード中止を呼びかけたのは、「個人情報を政府に握られる危険」を訴える「人権派」だった。隠然と対抗してきたグループ(収入を捕捉されていなかった農業者、中小企業経営者、自営業者など)は、この動きを利用して(中略)グリーンカード中止に成功した。

japico.co.jr  japico理事長コラム第24回

と書いている。この「人権派」の先頭に立ったのがマスコミだった。

2002年と2003年、2年続けて日本新聞協会は、毎日新聞の同じ記者、似たような「特ダネ」に、新聞協会賞を与えた。それは、マイナンバーの前身である、住基ネットの情報漏洩に関する記事だった。(そして記事をもとに福島瑞穂が国会で政府を攻めた)

それほどまでしてマスコミは「背番号制は邪悪である」というイメージを国民に植え付けようとした。それは、現在のマイナンバー普及率の低さにも影響し、その結果、日本の行政の電子化は進まない。

なぜマスコミは、国民にこれほどの不便を強いて、平気なのだろうか。本当の理由は、正直、私にはわからない。

ただ、上記の中島理事長は、

「この論争は本質的に『政府を信じるか』『信じないか』という問題に帰着する」

と言っている。「背番号制反対」を通じて、マスコミは「政府を信じるな」と国民に吹き込みたいのであろう。国民はそういうイデオロギーの犠牲になっている。

また私は、新聞社がよく税務調査の対象になっているのも知っている。


3 電波自由化への反対


1996年、孫正義とルーパート・マードックは、テレビ朝日株を買収しようとした。

2005年、ライブドア(堀江貴文社長)がフジテレビ株を買収しようとした。

同年、楽天(三木谷浩史社長)がTBS株を買収しようとした。

いずれも、結果として買収は(そして買収の目的である経営参加は)失敗した。政治も巻き込んだ旧体制の必死の抵抗があったからだ。

彼らが主要テレビ局の経営の一画を担えば、マスコミは、ひいては日本の未来は、大きく変わっただろう。

これに、朝日新聞に発するリクルート事件(違法性は低かった)を加えれば、江副浩正、孫正義、堀江貴文、三木谷浩史、と、日本のビル・ゲイツやジョブスになったかもしれない人たちの「出る杭」を叩いて、彼らが伸び過ぎるのを抑えてきたのは、マスコミであることがわかる。

テレビ局の株は新聞社が持っている。最近も、日テレ取締役会に一度も出ない読売の渡辺恒雄が、日テレ取締役に再任されて、話題になったばかりだ。そして、新聞社の株は日刊新聞法によって公開されない(つまり買収不能)。

このシステムにより、新聞がいかに売れなくなっても、テレビの電波権を独占でき、そうである限りは、5大系列(朝日・毎日・読売・産経・日経)は盤石なのである。いくら批判されようが「マスコミのツラに小便」なのは、この仕組みがあるからだ。

マスコミは、自分たちの業界さえ安泰なら、日本の未来など知ったことではない。

(だが、その報いとして、マスコミの給料は下がり続けるだろう。新しい価値を創造しないのだから。給料が下がると、よい人材が集まらなくなり、ますます質が落ちるだろう)


4 デジタル化への反対


日本は、デジタル化で、韓国、シンガポール、台湾などに大きく遅れを取っている。最近ではタイなどより遅れているかもしれない。

遅れを取り戻す最後のチャンスを潰したのはマスコミだったと、民主党政権で文部科学副大臣だった鈴木寛が『テレビが政治をダメにした』で書いている。

特に最大手の読売新聞が反対した。

 2010年9月に読売新聞主催で、「デジタル化教育を考える」というデジタル教育反対のシンポジウムを行います。基調講演をお茶ノ水大名誉教授の藤原正彦氏がやって、「デジタル化が日本を滅ぼす」といった内容の講演をしたときには驚きを隠せませんでした。そこに私と、「国語デジタル教科書」などの開発をした光村図書出版の取締役が呼ばれて、もう完全アウェーでボコボコに批判されたのです。
 しかも、全国紙の一面で5回くらい批判を展開する。また、田中真紀子氏と外山滋比古氏は『頭脳の散歩 デジタル教科書はいらない』(ポプラ社刊)を書いて、デジタル教育反対と一斉にデジタル教育が悪玉にされ始めたました。(中略)この一件で、結局日本の教育はITC化がさらに遅れてしまい、シンガポールとか韓国に追いつくチャンスを逃してしまったのです。

鈴木寛『テレビが政治をダメにした』

1980年代まで、マスコミはデジタル化、IT化に必ずしも否定的でなかった(その頃は「ハイテク」と言われた)。それは、自分たちが主役になって進められると思ったからだ。

しかし、それが自分たちの利権を脅かす、と業界が感じたのは、インターネットが爆発的に普及しはじめ、新聞部数が減少に転じた1990年代後半だと思う。

それ以降、できる限りデジタル化に反対しようとする。紙の新聞を学校に強制的に買わせようとする動きすらある。アマゾンが癪に触るから、嫌がらせのように「街の書店の素晴らしさ」をしょっちゅう記事にするのも同根だ。


5 愛国心教育への反対


この「愛国心教育への反対」は、マスコミの中でも主に朝日・毎日の左派の大罪だ。朝日・毎日は、明治以来の「大(おお)新聞」で、他紙に比べて知的で高級だという権威を主張してきた。(読売はかつて庶民向けの「小新聞」であり、産経は、紙名で分かるとおり、もともとは日経と同じく経済紙だった)

また、これは新聞・テレビだけでなく、岩波のような出版界含めた罪でもある。

私は右翼ではないので、天皇制や神秘主義を核にした愛国心教育には反対だ。

愛国心は強制できるものではない。だから、自然に育まれる愛国心を大事にするのがよい。

多くの識者が指摘するように、日本の教育の問題は、その「自然な愛国心」すら否定する、保守用語を使えば「自虐」的教育にある。

その「自虐」を後押しし、愛国心や道徳心などの言葉を見れば、脊髄反射で「戦前復帰だ」「軍国主義復活だ」と攻撃したきたのが、朝日、毎日をはじめとした左派マスコミだった。

その結果として、世界でも稀なほど国民に愛国心のない国になった(後述の調査では世界最低である)。

一般に、愛国の度合いは、若者より中高年がかなり高い。

しかし日本は、全体として愛国心が低いうえに、現時点で、中高年の愛国心が低い珍しい国である。

国防意識調査の結果を分析した本川裕はこう書いている。

つまり、「最近の若者は国を守る気概に欠ける」のではなく、「最近の中高年は国を守る気概に欠ける」のである。 これは、「戦後民主主義」の洗礼を受け、戦争は悪と叩き込まれた団塊の世代が、若い頃の精神を保ちながら中高年の域に達したからであることは言うまでもない。

本川裕、上記記事

この世界にも稀な「愛国心なき人々」である団塊世代が、部長になり、役員になり、という具合に日本のマスコミの中核にいたのが1980年代〜2010年代だった。(そして私は、その「悪」を現場で経験している)

団塊世代だけでなく、団塊に媚びて出世した下の世代の人たちを含めて、この「愛国心なき人々」は、マスコミから日本を呪い続けた。(私は、青木理氏のようなのを「妖怪・ダンカイのケツ舐め」と呼んでいる)

ここに記したような「悪事」は、その「愛国心なきマスコミ報道」約30年の影響の表れであり、結果であると言える。

その間に、日本は完全に世界に遅れてしまった。これが真の「失われた30年」だと思う。

愛国心がなければ、国をよくしようとも思わない。

愛国心のない人たちがマスコミにいたために、他国が攻めてくる前に、安い年金で物価高の日本に暮らす老後の苦労を恐れ、誰もが国外脱出を考えるような国になりつつある。


今の50代以下の世代は、インターネットで情報収集するので、マスコミの悪影響から逃れて、比較的健全な感覚を持っているのが救いだ。

若い世代がマスコミを含めて変えていってほしい。だが、この「愛国心なきマスコミ」が日本に与えたダメージからの回復は、至難に思える。

憲法の問題を含め、これらの問題について、私はこれまでもさんざん書いてきた。これ以上の多言は無用と思うが、それでもどうしても書いてしまう。ほかの誰が許そうと、私だけはマスコミを許せない。

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