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少しずつ強くなっていく それがいいんだという言葉の意味を解剖する。
最近、ストiii3rdのリュウの「少しずつ強くなっていく それがいいんだ」という言葉の意味を噛み締めていた。
この言葉の持つ意味合いはとてつもなく深い。ので、これから意味性を書いていく。
ひとは急激な成長を求める。特に成長に行き詰まるか、もしくは右肩上がりの成長から一気に不調に陥った時はそうなる。
スランプという言葉があるが、これを使うのは避けたい。なぜかというと、不調になった時にスランプと
もし1本だけ映画を撮れるなら、楽しいアクション映画が撮れればそれでいい
もし1本だけ映画を撮れるという話になったら、貴方はどんな映画を撮るだろうか?
人生総論の誰にも撮れない映画?自分の人生のドキュメンタリー的な映画?見たこと無いような歴史に残る映画?賞を総ナメにする凄い映画?
僕は実は楽しい”だけ”のアクション映画を撮りたい。
自分の頭の良さを証明したり、歴史に残る努力をしたりしない。
そういう創作がダメと言いたいワケじゃない。作家主義の映画だって好きだ。
海外から日本に来た外国人がテレビに映る時「その人が日本に失望するフェーズ」の予感を感じて見れない
私は「外国人が日本に希望を持ってやってくる」姿が映る番組が苦手である。
というより「日本に希望を持ってやってくる外国人」を見るのが苦手なのだ。
海外からやって来た人を取り上げる番組を見ると、あっ。日本っていう国にファンタジーを持ってるな。って感じる外国人が映る時がある。
アニメなり何なりで、日本という国家のまとっているファンタジーを信じている人。
そういう人が映る度に、あっ・・・ってなって
ストリートファイター6が生み出した「スポーツ漫画」の物語が大好きだ
最近、ストリートファイター6にメロメロになっている。
その理由なのだが、ゲームが面白いというより、ゲームが作り出している物語が面白いと感じるのだ。
まずCRカップなどと言ったゲームの大会、これがまずプロット的に面白い。
複数人のプレイヤーが集まり、修行の後に本番が始まり、先鋒。中堅。大将など、全ての勝敗が「チームの勝利」へと集約されていく。
だから先鋒戦こそ面白い。先鋒戦が一番盛り上がると
絵と音楽はコラムに比べて「矛盾していない」事が妬ましくてしょうがない
最近絵が描ける人が羨ましくてしょうがない。
その原因について色々考えたけれど、1つこれだなと思う事があった。
それは絵には矛盾が存在しないという事である。
僕はずっと文字を書いてきている。
けれど、言語化にも絶対的な限界がある。正直。
世の中には「ヤバい」や「エモい」と言うだけの人を言語化できない人間として小馬鹿にするケースがある。
でも、そういう人たちと僕は根本的に同じだと考える。
映画で悪役や主人公がバイクを奪って一般人が「あ、俺のバイク!」ってなるシーンでバイクを奪われた人の気持ちを15分ずっと考えて映画の内容を忘れてる
映画とかで、主人公や悪役がバイクとかに乗って「あ、俺のバイク!」ってなるシーンあるじゃないですか。
主人公や悪役が逃げたり追いかける時に、他人の乗り物を勝手に奪うあのシーンです。
特にこのシーンがよくあったのが1980年代のハリウッド映画。この時期は本当にかわいそうなシーンが多くて、当時の警察官モノは「警察だ!」って言って手帳を見せて車を奪うシーン→車がオシャカになる展開が本当に多かった。
「初心者はwikiを読まないとトロール扱いになる対人・協力ゲーム」が苦手
僕は対人ゲームや協力ゲームにおいて「wikiを読まないとトロール扱いになるゲーム」が凄く苦手だ。
wikiを読まないとトロール扱いになるゲームっていうのはだいたい「チュートリアルが基本のゲームシステムの説明だけで駆け引きの説明が全く無い」モノが多い。
駆け引きの説明とは、例えばオーバーウォッチで言うと「キャラクターのアンチピックを使った後出しジャンケンしながらウルトっていうリソースで戦うゲーム
創作するっていう行為自体が呼び込む躁鬱ってあるよね
僕は躁鬱の気がある。
でも、色んな躁鬱のエピソードを読む内に「そうだね」と思うポイントもあれば「そうでもないかな・・・」と思う場面もあった。
それで、僕が色々考えてたどり着いたのが「僕は創作躁鬱」なんじゃないか?という話だった。
「創作躁鬱」って何だよ。って思うので、こっから説明していく。
まず、僕は躁鬱っていう精神体質以前に「創作という行為自体が呼び込む躁鬱」があると思う。
バズるとい
妄想までしかできずアウトプットできねえオタクが負けってこたねえだろ
僕は妄想している。
それは10代の頃からそうだっし、今でもずっと妄想している。
音楽を聴いたら幻覚を見る。幻覚と言っても実際に浮き上がるそれではない。視覚に反映されずマインドのビジョンとして浮き上がる映像。その映像の方に意識を向ける。そういう幻覚。
僕が音楽の評論を諦めているのは、実は音楽って結局自分のビジュアルの妄想がみんな最優先なんでしょ?って思ってたりするのが原因。
みんな結局音楽を
「自分は素晴らしい存在だ」から始まる自己肯定感の罠
自己肯定感という言葉がある。
この言葉は日本では価値がある。人間なら持たねばならぬ財産であると重宝されている。
・・・が、実際にはこの自己肯定感はかなり危うい片足立ちのバランスで成立している事に気をつけなければならない。
例えば「自分は素晴らしい存在だ」という自己肯定感があったとする。
「自分は素晴らしい存在だ」で止まるなら問題は無い。だが、人間は思考を次へ次へと派生する本能を持つ生き物で
キャラクターに説明セリフを言わせつつキャラの生の台詞を引き出すのが異様に上手い「ZONE OF THE ENDERS ANUBIS」の話
最近、PS2ゲームであるANUBISのムービーをよく見る。
まぁ~上手いのだ。説明セリフがとにかく上手い。
僕も短編小説を書いていた時期があるが、この説明セリフというのはとにかく厄介。
観客に情報を伝達する以上、どうしても説明はしなきゃいけんのだが、説明をすると当然ながら不自然になる。
例えば僕なら
バーのシーンで旧友2人が会話をするシーンで「俺達、高校時代はサッカー部でいいトコまで行っ