妄想までしかできずアウトプットできねえオタクが負けってこたねえだろ
僕は妄想している。
それは10代の頃からそうだっし、今でもずっと妄想している。
音楽を聴いたら幻覚を見る。幻覚と言っても実際に浮き上がるそれではない。視覚に反映されずマインドのビジョンとして浮き上がる映像。その映像の方に意識を向ける。そういう幻覚。
僕が音楽の評論を諦めているのは、実は音楽って結局自分のビジュアルの妄想がみんな最優先なんでしょ?って思ってたりするのが原因。
みんな結局音楽を聞く時に、自分の好きなビジュアルや景色を夢想する脳内の個人的精神反応を発生させる道具としてしか音楽を聴いて無くて、僕はそこに音楽批評の求められてない原因をそこはかとなく感じているワケだけれども。
話を元に戻す。
よく、映画やアニメとかなんかで「実は妄想でした」ってオチの終わり方をする作品がある。
そういうエンディングはだいたい悲劇的に描かれていて、そこで僕が引っかかったのは妄想する事以上のアクションが起こせないオタクは負けなのか?っていう部分だった。
今はアウトプット時代だと思う。
中でも、妄想の多さで戦う系のクリエイターは特にyoutubeとかで増えている。バーバパパ辺りにはその気が強いと感じる。
じゃあ、妄想するだけで、それ以上のアウトプットができないオタクって負けなの?と。ふと思ってしまった。
僕自身がこうやって文字列を書けるようになるまでは、ずっと妄想だけをしてアウトプットをせずに生きてきた。
僕が大好きな芥川龍之介の河童も、ラストは精神病院で妄想でした・・・ってオチで終わるワケで結局は「妄想だけじゃ・・・ダメっしょ」っていう終わり方の印象を受ける。
そこにどうしても引っかかる。妄想するだけのオタクだって負けてねえよ。って。
理屈はわかんねー。でもアイツらは負けてねえよ。って思う。
そこには、最高のビジュアルを音楽を聴いて脳内で合成する圧倒的脳力があって、それらはアウトプットっていう導線が引けなくても十分エモいと思う。
もちろんアウトプットできたら最高ですよ。最高だし、伝わるのはすげー。
でもそれが、妄想するっていう行為だけに留まって、アウトプットできてねえヤツらは負け~!にはならん!とどうしても思ってしまう。
もう人間の脳っていう構造に問題があるというか、もうそろそろ妄想だけでアウトプットが成立できるヘッドギアが開発されて欲しい。
妄想だけでアウトプットできないオタクはあまりにも報われてなさすぎる。
俺もそうだったから。妄想をするだけで何もできないもどかしさは痛いほどわかる。
でもこうやって書いていく内に、やっぱ力つけるしかねーよな。とも思う。技術を付けないとアウトプットはありえない。妄想というこの1点においてもやはり弱肉強食はそこにある。
でも俺は思うし、ここで言うけど、この記事を読んでる読者に「妄想まで」で止まっちまって、1ミリもアウトプットできてないオタク同士がいたら言いたい。
君はそれでいい。
妄想をアウトプットできないのは辛い。
アンタのそれは最高のビジュアルだろ?イケイケだろ?わかるぜ。その景色。そのキャラクターの動き。サイコーだよ。見えねえけど、それはわかる。
だからアンタはそれでいい。社会的な理屈もわかんねーけど、そのサイコーの妄想のビジュアルはサイコーで、それはアウトプットできねえとしても宝だぜ。
っていう事を言いたかった。
妄想だけで止まっちまうオタクは負けてねえ
理由を聴かれてもわかんねーけど
そういう感じがする。お前は負けてねえから、脳内で最高の景色と最高の動きを再現してやってくれよな。
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