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少しずつ強くなっていく それがいいんだという言葉の意味を解剖する。


最近、ストiii3rdのリュウの「少しずつ強くなっていく それがいいんだ」という言葉の意味を噛み締めていた。

この言葉の持つ意味合いはとてつもなく深い。ので、これから意味性を書いていく。

ひとは急激な成長を求める。特に成長に行き詰まるか、もしくは右肩上がりの成長から一気に不調に陥った時はそうなる。

スランプという言葉があるが、これを使うのは避けたい。なぜかというと、不調になった時にスランプという言葉を簡単に使うと、簡単に抜け出せない不調であるというマイナスのレッテルが貼られてしまう可能性がある。スランプか一過性の不調かどうかは後で考えれば良い。

いずれにしても、どの技術の修練でも、右肩上がりに一直線で成長するという成長曲線が終わる上達のラインがある。

絵でも、スポーツでも、格闘ゲームでも音ゲーでも、文章作成でも何でも、右肩上がりのストレートな成長曲線ではなくなり、下に沈んだまま中々戻らないということが上級者になってから平然と起きるようになる。

だからこそ「少しずつ強くなっていく それがいいんだ」という言葉が必要になってくる。不調になった時にはこういうストーリーにしがみついてしまうからだ。

自分が結果が出せないのは、何か才能が引き出せていないからであって、その才能が露見するきっかけさえあれば、不調など脱却して、自分の才能が開花して素晴らしい結果が待っているに違いない。

そしてそういう人が「才能を開花させるきっかけ」を狙って「天才たちの考え方!これを読めば貴方も天才になれちゃうかも!?」みたいなタイトルの本を買って更に路頭に迷うまでがテンプレである。

こういう物語を成長曲線が止まった人は持ちたくなる。でも、だからこそリュウは「少しずつ強くなっていくことを愛せ」と語る。

「それでいい」じゃなく「それがいい」ここに言葉の美学が存在している。

「少しずつ強くなっていく それがいいんだ」という言葉には、緩やかな成長を愛するという意味合いも込められているが、それ以上に「才能が開花する」とか「突破口を見つけて一気に成長する」といった、急激な成長への期待の中で期待と失望に振り回されるなよ。というリュウの警告でもある。

才能があると期待すれば、才能が無いことに失望する。急激な成長を求めれば、急激な成長をしない自分にイライラする。いずれにしても、ラクに成長する物語を作るのはリスキーだから気をつけろよ。というリュウという人間の警告でもある。

凄く短いセリフだけれど、僕は「技術の熟達」を語る上で、この言葉の重みは外せないと思う。ので、今回はその説明をしたって話です。

じゃあまた。

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