僕は「100メートル走で1位を取る」とか「画力で漫画家の頂点を目指す」みたいな事をやめるようにしている
最近、とあるきっかけで野村克也という人物の記事を読んだ。
野球経験は全く無いが、この記事のこの言葉に猛烈に僕は惹かれた。
この言葉は凄い。ここ半年の中で耳にした言葉の中ではぶっちぎりでグッと来た。
僕自身、全く固有の才能が無くて、固有の才能が与えられていない人間としてどうやって立ち回るかという事は人生のテーマとしてずっと考えていた。
努力には力がある。
努力の多くは報われると思う。だからこそ勉強には価値がある。
けれども、報われない努力も絶対にある。
例えば、100メートル走において9秒台を出せる選手は限られている。
これは10秒台に留まっている選手の全員がやる気が無く努力不足。というワケでは絶対にない。そんなのありえない。
つまり才能はあるのだ。絶対に選ばれし人間に与えられる固有の才能。その領域でしか到達できないゾーンがある。
100メートル走には華がある。だからランナーは全員100メートル走でテッペンを取ることに憧れる。
漫画において画力は華がある。だから漫画家において画力で戦う事に対する憧れは強い。
どの業界にも華があるという技術の領域がある。野球ならホームラン力。投げるボールの速度。漫画なら画力。小説なら文章の美しさ。頭の良さなら知識の単純な量。
どれも華がある。でも、華がある領域というのは競争率が高く、才能が無ければ努力をしても絶対に勝てない。
僕は凡人として「華がある領域の努力はしない」ようにしている。
確かに努力の効力は凄まじい。でも、才能がある人が全力で努力をしたらこっちは絶対に負ける。
僕は華がある領域で戦わない。このコラムだって、例えば知識を披露する頭の良さで戦ったりはしていない。
ドーキンスを読み、ハイデガーを読み、全ての哲学者の本の言葉の意味を完全に理解している人間は実在する。毎日ずっと映画を見ている映画鑑賞数強者がいる。アニメを本当に全て見ているアニメ本数強者がいる。
数には華がある。知識量。アニメを見た本数。読んだ本の数。数字は魅力的で、だからこそ競争率が高い。ギネスブックだってそうだ。ギネスとは数の持つ華の力の象徴である。
だからこそ僕は華がある領域では戦わない。コラムという概念なら自分が戦えると思っているからこうして文字を書いている。
という事を野村克也の言葉から感じて、僕は感動した。
考える人間の言葉は美しい。だから僕もそれを表現したい。
努力してできることを課題にして練習していかないといけない。
この言葉が見つかった。とても良い日だった。
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