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サカナクションのドキュメンタリーを見て最後の「開けない夜は無い」というナレーションに凄く引っかかった感想


サカナクションのうつ病のドキュメンタリーを見た。

私自身はサカナクションのファンとしてはそこそこぐらいで、ファンクラブに入会した経験があり、コロナ時代のインタビュー動画を片っ端から見まくったり、アルバムのコメンタリーを聴いて表参道26時が表参道のファミレスで別れ話をする男女のカップルの話だっていう事を知ってるぐらいの、目が開く藍色のライブ音源と三日月サンセットが好きなそこそこのファン。ぐらいだと思って欲しい。

全体的に面白かったけれど、番組全体の掲げる物語性が「再生していく」とか「復活する」とか「開けない夜は無い」と言った、うつ病当事者に向けて「再生する」事を促すナレーションが多く、正直引っかかった。

まず、うつ病当事者の語る「だるさ」への説明をもっとするべきだった。

うつ病当事者の「だるい」は、決して一般の人々の「だるい」とは決定的に次元が違う。

けれど、だるいという言葉は一般の人も使うので「あーわかる!私もやる気出ないって時あるよ~」って言われてしまう。

違う。うつ病のだるいは「だるい」という単語に当てはめる事が絶対に正しくないほどキツい。

私はうつ病における「倦怠感」とか「だるい」っていう単語自体が良くないと思う。

一般の人と共通の言葉を使っているから「だるい」→「なまけてる」の等式がイコールで繋がってしまう。そこが良くない。

まずうつ病の「だるい」とはどういう事なのか。ここの説明をするべきだったと思う。

特に、うつ病から「再生する」「復活する」というストーリーがドキュメンタリー全体に貫かれていたのがダメだった。

うつ病を治す上で一番大事なのは「べき思考」をいかに外すかだと思う。

開けない夜は無いという最後のナレーションは「夜開けるべき→つまり今日元気にならないとおかしい」になって、余計苦しくなってしまう。

元に戻ろうとする事を肯定するのもピンと来なかった。うつ病になった事を「変わった」と受容する方が先決だと思う。復活するという希望こそがうつ病患者を最も苦しめる毒である事は、当事者なら理解できると思う。

雨なんかやまなくて良い。元に戻らなくていい。そういうスタンスがうつ病当事者には必要だと思う。

それから、うつ病になると「特定の時刻に100%のパフォーマンスを出す」のがメチャクチャ難しくなる。だから、ライブをやる事に全面的に肯定的な番組のスタンスもピンと来なかった。

もちろんライブが出来るのは素晴らしい。でも、できなくなったらいつでもはしごを下ろせるポーズは取っておいた方が良いと思う。

山口一郎さんが元気なら良い。けれど、今回のドキュメンタリーは「山口一郎復活すべき」という「べきのストーリー」を山口一郎さんに背負わせてしまった感じがある。

「山口一郎は、ここから再生していくのです!」という物語を彼に負わせてしまった感が凄い。良いのよ。いつでもやーめたって言ってはしごを外していいのよ。と彼の事が心配になってしまう。

サカナクションが好きだからこそ、貴方はずっと夜にいて良いのよ。って思う。夜を乗りこなしてきた貴方じゃない。良いじゃない。夜のままで、開けなくてもいいじゃない。貴方の曲は全て夜の月だった。だから休んでいいのよ。30%のアウトプットでいいの。私はそう思う。

つまり、うつ病当事者に「復活や再生のストーリーを背負わせるのはやめてほしい」と私はこのドキュメンタリーを見て思った。

夜なんか開けなくたって良い。やまない雨があったって良い。やまない雨の中でとりあえず使える傘を探すとか、そういう生き方の方が大事だと私は思う。

もちろん全ての主張がダメだったわけじゃない。ただ「前に進む・復活する物語を背負う」事が、うつ病当事者にとってリスクなんだよ。っていう事もちゃんと伝えて欲しかった。

再生の物語は美しい。でも、その物語が重くなったら、いつでもその物語を捨てちゃって良いのよ。って最後に言ってくれると嬉しかったなぁ。と思う。

ただ、全面的に凄くいい番組だったとは思うし、この記事で挙げた悪いと感じた点も悪気は無いので、NHK様も悪い人では無いです。

ただ、当事者としてそうじゃないっていう事を書いた。そういう話でした。

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