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建築家、食を語る。「ラーメン嫌い(ピザも)」

皆さまご存知の通り、私はラーメンが嫌いである。

食べられない訳では無い。
ただ、アミノ酸とタンパク質と炭水化物を同時に5分で食べる、
という「在り方」が私の美意識と相反するのである。

私は、自宅での夕食も毎日2時間かけている。
「ダーウィンの進化論」に沿って、野菜~貝類~魚類~哺乳類と進む。
これに日本酒やワインという「太陽と大地と水の恵み」を挟みながら食す。

「食」とは、地球との対話である。

地球の成り立ちから植物、生命体の発生までを体験し、今在る大地と水と空気の恵みに触れる、という神聖なる行為である。

一方ラーメンは、恋愛も前戯も無く強烈なアミノ酸で5分で抜く、まるで性風俗である(そちらの業界には詳しくないので、あくまでイメージです)。

極めて短時間の間で急激な快楽を求める、という行為は、それが5分間であっても「人生の時間の無為性」を感じる。

同じ理由でピザも嫌いなのである。

トマト、チーズ、パン、と別々に食べれば良いのだ。
トマト、ワイン、チーズ、ワイン、パン、ワイン、だ。

何故、一緒にしてしまうのか?
その「無時間性」、
時間が発生しなくば宇宙は発生しない。

しかるに、「対話」は長い方が良い。

朝の日差しがやがて夕暮れの色に移り変わる。
我々が定期的に開催しているオイスター食事会は、平均3時間、最長4時間に及ぶ。

まるで天皇即位の礼の様に、厳かにゆったりと進む。
その間、我々は宇宙の始まりから現在、そして未来までをありありと体験する。
そして最後は『2001年宇宙の旅』のラストシーンの如く、「オイスターチャイルド」として生まれ変わる。

スタンリー・キューブリック監督『2001年宇宙の旅』より


これが「食」というものである。

ただ、長浜ラーメンは時々無性に食べたくなる。
その時は「性風俗」と割り切って行く。

何しろ「中洲の女は日本一(最近人に聞いた言葉)」だからである。

ついでに言うと、
私はスーパー猫舌で熱いラーメンが食べられないのだ。

「熱っちいな!この野郎!」とブチ切れてる間に目の前で麺が伸びていく、、、

この世の地獄である。


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