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これからの生き方〜ぼくの考え方〜

前書き

『死』に対しての考え方は様々あります。
中には、死は2回あるという主張があります。
これは、『内面の死』と『外面の死』というわけ方です。
(中身も身体も死んだ後、生きている人々の記憶からもいなくなるという記憶的な死を含んだ3回という主張もあります。)

『内面の死』は中身がなくなるということ。
人間特有の感情というものがなくなって、その『人』は存在するけど
ほぼロボットと同じような感じというもの。
脳は機能しなくなってしまったけど身体はまだ存在する脳死というのも
これの一種でしょう。
一方
『外面の死』は一般的に言われる死のことです。
物理的に存在しなくなるということ。
(身体はないけど見えない魂は残ってるかもしれないという可能性は捨てきれませんが、それはまた話が変わってくるので置いておきます。)

さて、ぼくは一度死にました
そう、内面の死です
ただ
上で述べたような定義とは少し違います。
感情が一度どん底に落ちた後、少しずつ回復していっているという感じです。
しかし
この回復も一筋縄ではなくて、元の感情に戻ろうとしているのではなくて
また別の感情が湧いてきているイメージです。
例えて言うと
コップの中に感情という水が入っているとします。
その水が一度こぼれ落ちた後に、元の入っていたコップではなく
違うまた別のコップに注ぎ込まれているという感じです。
前の自分ではない感覚です。

まああくまでも自分の中での定義なので単なるお伽話にしか聞こえないでしょうけど。笑


そんな、一度死を経験したぼくは
それを機に『考える』ということ覚えました。それも深く。
こう言うと
今まで頭使ってこなかったのかと思われるかもしれませんが
まさにその通りで、今まで脳を使ってきた記憶がありません
本当にこの経験を機に初めて脳が働き始めたという感覚です。
そういう意味では
「死んだ」ではなく「生まれた」だったのかもしれません。

さて
『考える』ようになってから思うことがたくさんありました。
今でも常にいろんなことを『考え』ています。
そんなぼくの『考え』を以下にまとめてみました。
あくまでもぼく独自の見解で、
研究者や評論家などのように勉強して述べているわけではないので
事実ではないものもあるかもしれません。ご注意を。



目次
1.お金
2.人間関係
3.勉強
4.考え方
5.感情


1.お金

・自分で稼ぐ

お金に対する関心はどの時代も大きいでしょう。
最近では
老後の2000万問題や景気悪化などで、
不安や心配のマイナスのイメージが駆り立てられる一方でしょう。
何を隠そうぼくもその一人です。

しかし
不安・心配で悩みこむ、もしくは政治家に訴えかける
というのではその問題は解決されません。

自分でなんとかするしかないのです。
要するに
『自分で稼げる力をつける』
ということ。

「サラリーマンとして自分で稼いでます。」
「会社の中で日々考えて営業してます。」
こういうことではありません。
この場合、
会社が倒産したらどうなるでしょうか。
あっという間に稼げなくなってしまいます。

そうではなくて、
自分個人でもしっかりと稼げる
というのが、自分で稼げる力ということです。
いわゆるフリーランス。

副業を解禁する企業も増え
終身雇用を打ち切る会社も少なくない今、
自分で稼ぐ重要性はより感じられるのではないでしょうか。

そして自分で稼ぐと言っても
時給ではないものが望ましいでしょう。

「月にまとめて入ってくるから俺も一応時給じゃない。」
そういうことではありません。

自分が働いたもしくは投資した時間・量が財産となる稼ぎ方です。
例えばAさんBさんがいます。
Aさんはサラリーマン、BさんはYouTuberです。
4月から同時に働き出して毎月同じ時間働いたとします。
4月、Aさんは120時間働いて給料25万円でした。
一方
Bさんは120時間働いて給料5万円でした。
5月、Aさんは先月同様120時間働いて25万円。
Bさんは、先月の動画の分も入り、10万円になりました。
6月、Aさんは変わらず120時間で25万円。
一方Bさんは、先月・先々月分も入り15万円。

もうおわかり頂けるでしょう。
Bさんの労働は単なる労働ではなく、
財産となって価値を保ち続けお金を生み出してくれるのです。
つまり財産です。
YouTubeがいい例なので引用しました。

その後も残り、価値を保ち続ける労働をするべきなのです。
プロブロガーとして名を馳せ、YouTubeでも大人気のイケハヤさんは
「(オリジナルの)コンテンツを作る」
という表現で、常日頃から仰っています。

今ネットで稼ぎ方を指南している方が多くいらっしゃいます。
ネットにすることによってこれからの時代に合う上に、
上限なく稼げることができるのでとても合理的です。
そんなネットで稼ぐ方達が、
よくネット上でその稼ぎ方を指南していますが
ブログが多いように思えます。
要するにブログは近道だということだと思います。
しかし
これからの時代は『映像』が流行るはずです。
だからブログよりもYouTubeの方が確実かと思います。

みんな字なんて読まないと思うんです。
これを読んでいるあなたは比較的読む方だとは思いますが、
あなたみたいな人って多くないと思います。
文章なんて自発的に読まない人がほとんどです。
であれば
そのニーズに合わせたほうがいいよね、ということです。
しかも
5Gがもうすぐ到来するというのも後押しになります。


・仕事

稼ぐっていうことはつまり仕事ってことですよね。
そもそも仕事っていうのは
需要と供給が成り立ってのものです。
需要のないものを供給してもそれはなにも意味をなさない。
つまりお金も発生しません。

供給者「Aっていうの作ったから買って!」
需要者「Bが欲しいからAは買わない。」
供給者「なんで買わねーんだよ!」

そりゃそうでしょ。

反対に
しっかりと需要に応えることができれば、
商取引が成立するし必然的にお金もついてくる、という仕組みです。

需要者「C欲しい!」
供給者「お、Cが欲しいんだ。じゃあ売ります!」
需要者「あ、Cあんじゃん!買おー!!」

楽に稼ぎたいからってなんでもかんでも値段つけて売りつけても、
相手側からしたら嫌な気がするだけ。
裏を返して言えば、
相手が
「買いたい、お金を出してでも手に入れたい」
と思うようなもの・ことを提供すれば必然的に商売が成り立ちます

そうして需要と供給が成り立って、
仕事というものが成り立ってくるのです。


・付加価値

無地の白いTシャツが2枚あるとします。
1枚はただの白T。
もう1枚は、GUCCIのもの。
どちらの方が価値があると思いますか?

多くの方は
「GUCCIの白T」と答えるでしょう。

それはなぜか。

GUCCIという付加価値がついているからです。

この付加価値さえつけてあげれば、
前者は1,000円、後者は8,000円
という差さえ生まれます。

裏を返せば、
付加価値さえつけてあげれば価値が変わる
と言うことです。

例えば古本。
古本と言っても一度読んだだけのキレイな本です。
皆さんもそのような本をお持ちかと思います。
ぼくも何冊かあります。
「もういらないから売りたいけど、結構状態がキレイだから安く売るのもったいない。」
そう思ったぼくは
付加価値をつけて売ってみることにしました。

これはプロ奢ラレヤーさんの案を真似したものです。
ぼくのいらない古本を一冊500円で売り出します。
しかし購入者はどの本がもらえるかわからない。
渡す本はぼくがその人を見て選ぶ。
というものです。

何が出るかわからないガチャガチャの
大人の教養バージョンとして売り出してみました。

そこには
本の価値に
ぼくが選んだ(ぼくがオススメする)という価値

何がもらえるかわからないワクワク感という価値
が付け加えられています。

こうすることで、
本来300円程度でしか売ることのできない古本を
500円で売ることができました。
(ぼく自身にも価値があれば値段を上げることが可能です。)


・キャッシュレス

キャッシュレスを推奨します。

まず
社会がキャッシュレスの流れになっているから
その波に乗るという面もあります。
自分だけ「現金がいいからこれからも現金を使う」と宣言しても、
現代に生きる以上そんなことはできません。
現金が使えるお店がなくなる可能性だってありますから。
そこは逆らえない波ですので乗りましょう。

そしてあくまでもお金は信用です。
小銭や紙幣が存在しますが、
それらはすべてみんなの信用で成り立っています。

1,000円札が1,000円の価値があるのは日本国民が信用しているからです。

裏を返せば、
1,000円札は幻想。
ただの紙と同じです。

となると
キャッシュレスも同じです。
キャッシュレスなんて実物が見えないのに買い物ができてしまいます。
繰り返しになりますが、
それは信用だからです。

こう考えると、
現金     =実物がある信用
キャッシュレス=実物がない信用

となります。

こうなれば、キャッシュレスの方が良くないですか?

物をできるだけ減らしたいぼくは思います。

どうせ価値が同じなら
物を少なくできる方を選びたいです。


・貯金

貯金は悪です。

以前本田圭佑さんがツイートしていた言葉をそのまま借りました。
まさにその通りだ思います。

「来月旅行に行くから今は貯めている。」
というような目的のある貯金は構わないと思います。

しかしなんの目的もなく
「将来のために。」
と言って貯めておくのは悪です。

そもそもお金というのは使うためのものです。
使うときに価値が伴います。
貯めていても価値はありません。
例えば
1,000円札は
通常時はただの紙で、買い物(商取引)をする時に初めて1,000円価値が生まれるということです。

そして
お金はみんなが使うことで経済を回します。
経済が回れば、巡り巡ってお金が再び自分のところへ入ってきます。

10,000円を使って巡り巡って再び10,000円が入ってくる
というのと
ずっと10,000円を持ち続ける
というのでは
金額は変わらないかもしれませんが、
前者は一度世に出したことで経済を回す役割も経ているので
国にとっては良いことでしょう。

同じ価値でも
人のためになるものそうでないもの
どちらがいいかということです。

お金は使ってなんぼです。
お金は使いましょう。



2.人間関係

・人間一人では生きられない

人間一人では生きられません。必ず誰かと触れ合い、誰かに支えられて生きていきます。

となると
人生の中で付き合う人は重要になってきます。
付き合う人で自分の人生が左右されると言っても過言ではありません

そのようなことを周知させるために
最近では
「こんな人とは付き合わないほうがいい」
という内容の発信をしている方が多くいます。

「こんなことをする人は要注意。」
「金持ちになるためにはこんなやつと付き合うな。」
など。

確かに
自分の人生の目標、目的を果たすために
そういう人が障害となり得る理由がはっきりわかるし、納得するのですが、
それらはあくまでも
生産性や合理性を前提とした話です。

人生を豊かにしたいのはみんな同じだと思います。
しかし
必ずしもみんながみんな、
「裕福になりたい」、「一切の無駄なく生きたい」
と思っているわけではありません。

つまるところ、
「こんな人とは付き合わない方がいい」という人とは
全員が付き合わない方がいいというわけではありません。

単に
「おもしろいから」
という理由で付き合うのも全然問題ありません。

ただ、
「生産性を上げたい且つしょうもない奴とも付き合いたい」
という場合は
自分の中でしっかり区別することが重要です。
と言ってもその区別ができるのは相当ハイレベルな人だけだと思いますが。笑
しかも
そのハイレベルな人って周囲の環境を比較的生産性・合理性で決めるから
必然的にしょうもない人たちは排除していくのかと。

そしてもうお気づきかと思いますが
自分が付き合っちゃだめな人間側の項目に当てはまる場合は、
周りと距離が離れていく可能性があります。
ですので
そこを目指していくのであれば、
見直す必要があります。


・コミュニティ

どのコミュニティに属するかというのも大切です。
上でも述べたように
周囲の環境で人生がどうなるか変わると言っても過言ではありませんから。

例えば
授業はちゃんと受けるし宿題もしっかりやってくるという“いわゆる”真面目な子が、
授業中はスマホをいじり宿題も期日に提出しない“いわゆる”不真面目なグループに属していたら、
やがて“いわゆる”真面目な子も“いわゆる”不真面目になり得ます。

毎日健康的に、生産性高く生活したいのに
毎日夜遅くまで遊ぶグループに属して、生活リズムが崩れていたら人生が変わるのは言うまでもありません。

夢や目標を追求するするのであれば、
ここは見直す必要があります。

まあ類は友を呼びますから
あまりこの例のようなことはないでしょうけど、
万が一このようなことがあれば考え直してみて下さい。

そもそもコミュニティというのは
属さなければいけないものでもありません。


・周りの人

さて
周りの人たちは、
自分のその人たちに対する振る舞い方で自分に対する振る舞い方を変えます

自分が周りにめちゃくちゃ優しくしていれば
周りも自分に優しくしてくれますし、
自分が無愛想に本心を隠して接していれば
周りも自分に対して冷たくなります。

周りの人たちはこれを意識しているわけではありません。
無意識的に自分の対応と同じ対応をしてしまうのです。
『周りの人』を『自分』と置き換えてみて下さい。
Aさんに対する自分の接し方は
Aさんの人柄に合わせた接し方になっているはずです。
もちろん全員がそうとは限りませんが、
大半の人はこうなると思います。

となると
自分が与えて欲しいと思うのであれば、
周りにとことん与えればいい
ということになります。
「与える者が得る」です。

ぼくの友人におもしろい人がいます。
一緒にYouTubeをやっている名嘉眞要です。

彼は
持ち前の明るさと人懐っこさで、
幼少期から多くの友人に囲まれてきました。
その人間関係の大きさはとても凄いもので、
いつもジェラシーを抱いています。
しかも
その関係は大きいだけではなく
いつでも彼の味方となり、
暖かく接してくれています。

さてその彼は
なぜこんなにも広く暖かい人間関係を築けたかと言うと、
接してきたすべての人に彼が暖かく接してきたからです。

彼が周りにたくさん与えてきたから
周りも彼にたくさん与えているのです。

そしておもしろいのはここからです。
彼の場合
その与えるという行為を無意識的に行っていたためか
「本当にみんながあったかい。先輩も後輩も同期もみんな優しい。ここに生まれて本当に良かった。」
と口にしています。

この暖かい人間関係を築き上げたのは
他でもない名嘉眞要自身なのにも関わらず、
自分で「暖かい」と言っているのです。

なんだか矛盾しているようでおもしろいですよね。

さて話を本題の戻しますが
結論として、
周りの人は自分の振る舞い次第ということです。


・人間

人間というのは案外簡単で
何かを与えればすぐに喜びます、すぐに自分に好感を持ってくれます。

例えば日々の生活の中で
笑顔で挨拶するだけで、相手は自分を『いい人認定』してくれます
近年では
SNSでの『いいね』を押すだけで、相手の心は満たされます
現にぼくも
『いいね』は大好物です。
(こんなものに固執してもしょうがないのですが。笑)

さて
上でも述べましたが、
人間は必ず誰かと関わりながら生きていきます。
その関わる人間がいい人であればあるほど、
自分の人生も豊かになっていきます

そして
その周りの環境を作り上げるのは
他でもない自分自身である
ということも述べました。
つまり
自分の振る舞い次第。

となると
これだけ簡単な手法を使わない手はないでしょう。

いい周囲の環境を作り上げる、
いいコミュニティを作り上げる、
いい人生を作り上げるためには、
笑顔の挨拶を心がけたり『いいね』をたくさんあげたり、
気前の良さやノリの良さを上げる
だけで
できてしまうのです。

他人の感情は変えられるものではないけど、
こうして仕向けることはできてしまいます。笑


3.勉強

・勉強の意義

まず
そもそもなぜ勉強をしなければならないのでしょうか。

それは国を支えるためです。

『国』というのは国民一人一人から成っています。
国民が経済を活性化させる、政治を行うことで国が動きます。

命あるものは皆いつか死んでいきます。
世代はどんどん更新されていきます。
要するに
ゆくゆくは若い者が国を支えていきます

その支える主体がバカだったら
その国は滅びてしまうでしょう。
だから勉強するのです。

もちろん
金持ちになるために勉強するという見方もあります。

めちゃめちゃ勉強して科学者になって
ものすごい年収を得る。
一念発起で起業して
莫大な収入を得る。

このような金目当てに行ったことも
結果的に世のため人のためになることをしているので、
自然と『国』に資することになっているのです。

つまりは
勉強は最終的に国のためとなります。

しかし
『国』というのはあくまでも人が作り出したコミュニティです。
絶対的なものではありません。あくまでも幻想です。
だから
勉強をする意義は
『国』というコミュニティがどうでもいいという場合は破綻すると思います。
人が本当に個人の単位で、誰とも関わらず生活するというのであれば、
勉強しなくても構わないはずです。
なぜなら食えればいいから。

とはいえ
もう何千年も続いている『国』というものを今更なしにするというのもできないだろうし、昔から築いてきた住みやすい街づくりの賜物が現代の国の形のはずです。

だから
現代に生まれた以上、『国』を抜きにして考えることはできません。
そしてこのことは必然的に
勉強の必要性も兼ねます。

これらのことから
「勉強はするべき」と言えます。


・読書

本を読みましょう。

本の良さはいろいろあります。
まず
映画やテレビと同様、一つのコンテンツとして楽しむというものがあります。
一種の娯楽です。
さらに
多くの字を読むということで、
語彙力や表現力の向上が見込めます。
そして
多くの考えに触れることで、
思考力・想像力が養われます。
ここはぼくが読書の一番の良いところだと思っている部分です。

本というのは言うまでもなく、
『誰か』が書いています。
つまり
本にはその『誰か』の『考え』が反映されていることになります。
そして
本は世の中に何百万冊もあります。
要するに
何百万もの人の考えを読むことができます。

もちろん著者が同じ作品もあるし、
一生をかけてもそんな数は読めないでしょうけど、
それで計算しても
何千という考えに触れることができます。

こうして多くの考えに触れることで
考えの多様性を知り、
思考力・想像力を養うことができます。


・最初の一歩

「これだけ高度に発達した社会で
周りもみんな高度なことをやってるから、
今からやってもしょうがない。」

こう思っている方もいるでしょう。
そうやってやらずにいても
結局将来勉強することになると思います。
そしてこう思うでしょう。
「あの時始めてれば、、、」

最初、わからないのは当たり前です。
今はまだその体積量がゼロなんですから。

例えば
あなたの得意分野もしくは好きなものはなんですか?
ゲームが得意ですか?
キャンプが好きですか?
ジャンルに関わらず、
あなたが得意なこと・好きなものにおいての知識は通常よりあると思います。
ぼくはサッカーが好きです。
サッカーの知識は並以上のものがあると自負しています。

では、
それはなぜでしょう。
なぜ知識があるのでしょう。

それは
長く続けていたり、深く探求していたりするからです。

ぼくはサッカーを15年ほどやっていました。
ですから
ぼくの場合は15年もサッカーに関する知識を積み重ねていったから、
知識があるのです。

つまり
今始めたての分野において
あなたがわからない・できないのは当然
です。
なぜなら何も積み上げていないから。
だから
焦る必要はありません、怖がる必要もありません。
これから積み重ねていけばいいだけです。

必ずしも結果がついてくるとは限りません。
結果がついて来ないからと言って途中で投げ出すというのは
思いとどまった方が良いです。
確かに
結果が出ないと不安で自信もなくなるかと思いますが、
努力は必ずプラスになります
継続は力なりです。

結果が出ない理由は主にこの二つです。
・堆積量が少ない
・やり方が間違っている
堆積量が少ないことの改善方法はただ一つ。
やり続けて堆積量を増やすということだけです。
引き続き頑張って下さい。
やり方が間違っている場合はすぐにやめて違う方法で試して下さい。
今はネットが発達してどんな物事にも攻略方のようなものがあるので
調べれば出てくるでしょう。
それでやってみて下さい。
調べた方法でもダメだったらその人を恨んで。笑

こうやって見ると
何かを始めるのにはだいぶ苦労があるように思えますが、
何事にも苦労はつきものです

大変そうだから始めないというのは後悔のもとになるでしょう。


4.考え方

・時間

他人の時間を使いましょう
少し言い方は悪いですが、これは死活問題です。

よくお人好しで
人に頼まれたらなんでもやっちゃう
という人がいます。
ぼくはそんな人を見ると
「あーかわいそうだな」と思ってしまいます。

もちろん
人のために時間を割いて何かをしてあげるというのは素晴らしいことです。
なんなら仕事といのはそれで成り立っていますから。
しかし
何でもかんでも引き受けていたら
自分が埋もれてしまいます

しかも
「あいつなら頼めばやってくれる笑」
みたいな評判もついてしまいます。
それによって相乗効果で
どんどん頼みごとが来て時間を使われてしまうということがあります。
それでは自分のやりたいことさえままならないでしょう。

そうではなくて逆に他人の時間を使いましょう。
嫌なこと、面倒なことは他人に任せられるだけ任せちゃいましょう。
こうすることで
自分のやりたいこと、すべきことをしっかりと行うことができます
これぞ
堀江貴文さんの言う『多動力』です。


説いてきましたが
だいぶ聞こえが悪いでしょう。
「他人を使え」なんてひどいと思いますよね。

しかし
これが資本主義です
搾取する側と搾取される側があるのです。
そして
その差は情報です。
知っているか否か。考えているか否か。
皆さんはどちらがいいですか?
言うまでもないですよね。


・時間とお金の関係

「時間は金よりも大事だ」
というような声を多く聞くかと思います。
堀江貴文さんは
「Time is moneyはおかしい。
『時間』は『お金』と同じくらいの価値があるものではなくて、『お金』以上に価値のあるもの。」
と言っているくらいです。

現代でこれだけ言われていれば、
自然と「そうなのか」と思います。
そして
時間を大切にしようとします。

しかし
ぼく自身の経験が浅いためか、
まだその実感を得られていません
なぜ時間がお金よりも大切なのかはいまだに掴めていません

少し考察してみます。

何かの重要性に気が付くのには、
それを失った時
もしくは
それによって成果が出た時
だと思います。

この論理に当てはめれば、まず『お金』は
『お金』を失った時

『お金』をかけて何か成果が出た時
になります。

例えば、
せっかくもらったお年玉の1万円札をどこかで落としてしまった。
お金をかけてより安全な車を買ったら事故を免れた。
こういった時に
『お金』の大事さがわかるでしょう。

年齢によって経済力の違いはあれど、
お金の大切さを知ることは
誰もが経験できること
なのではないでしょうか。

一方
『時間』の重要性に気が付くのは
『時間』を失った時

『時間』をかけて何か成果が出た時
になります。

例えば、
休みの日にダラダラしてしまって、
次の日になって「昨日あれやっておけばよかったな」と思う。
こんな時に
時間を失った感じがして、時間の大切さに気づくでしょう。
または、
受験勉強を周りより早く始めたことで、
自分だけが受かり周りは落ちてしまった。
こんな時にも
かけた分の時間が成果として出たから、時間の大切さがわかるでしょう。

つまり
どういうことが言いたいかと言うと、
歳を重ねなければ時間の大切さは十分にはわからないのではないか
ということです。

上で述べた例では
確かに若くして気づけているようにも思えますが、
そんなものはたかが知れているでしょう。
一日や一週間、長くても一年ほどのものです。
ここで言っているのは
5年や10年ほどのより膨大な時間のことです。

言うまでもなく
大人は若人に比べて何倍もの時間を生きています。
多くの時間を積んでいます。

その積んでいった時間の中で失った時間を後悔する。
それで初めて時間の大切さがわかり、
「時間が大事」と言うのではないでしょうか。

こうして考察して見ると
『お金』は年齢に関係なくその重要性がわかる。
『時間』の重要性は年齢に比例する。

ということではないでしょうか。
しかも
『お金』は取り戻せますが、
『時間』は取り戻せません。

かくして
「時間はお金より大事」
と言えるのではないでしょうか。


・何かをやめるということ

長らく続けてきたことをやめるということに、
多かれ少なかれ抵抗があるというのは皆共通のことだと思います。
ぼくもそうです。
特に日本は
やり抜くこと=美、やめること=悪みたいな風潮があるため、
日本人の多くは何かをやめるということにマイナスのイメージがあるのではないでしょうか。

しかし
変化が激しい今の時代、何かに固執してやり通すということが意外と危険だったりします。
例えばタクシードライバー。
AIの技術も高まり、自動運転が開発されている現代で
タクシードライバーに固執して生きていこうとするのは少し危険なように思えます。
さらには美容師。
歩合性のようにも見えるあの世界で、
しかも聞くところによると副業禁止もあるとか。

もちろん
全てがそうとは限りませんし、続けることも素晴らしいです。
しかし
「せっかくとった資格が、、、。」とか
「また就活か、、、。」などと考えて
何がなんでもそれに固執するというのは違うと思います。
やめるという選択も時には重要です。
(また何かを始めるということに億劫な方は〈3.勉強  『最初の一歩』〉に戻ってくみて下さい。)

やめるということは悪ではありません。
悪だと思っているのは、単なる幻想です。
やめるのがもったいないと思っている時間がもったいないかもしれません。

思い立ったが吉日、
スパッとやめてみるのも悪くないかも。


・変化に対して

変化に対応できる人ほど強い人はいません

生物の歴史を見てもそうでしょう。
絶滅した種族は変化に対応できなかったから絶滅したのです。
反対に
今も繁栄を続けている種族は進化に対応できてきたからなのです。

しかも
上でも述べましたが、今はとても変化が激しい時代です。
その変化に対応できなければ必ずおいていかれるでしょう。

例えば
今キャッシュレスが流行っています。
中でもスマホを使った決済手段も多くありますよね。
そんな中で、
「スマホがわからないから。」
「現金の方がいいから。」
と言っていたら置いていかれるのは当然です。

そして
インターネットも普及しています。
「機械はわからない、、。」
「実物がないから怖い。」
と言っていたら今の時代生きていけないでしょう。

確かに変化は怖いかもしれません。
しかし
上の〈4.考え方  『何かをやめるということ』〉でも述べましたが、
変化しないということがかえって危険だったりします。

そもそも
「変化が怖い」
というのは、何が待ち受けるかわからないからだと思います。

続いて
「怖い」
という感情は、命を脅かされる時に出る感情だと思います。

この論理でいくと、
変化の先が命を脅かすものでなければ怖いとは言えない
ということになります。
要するに
少々強引ですが、怖い変化というものはないということになります。

ぼくの考察ではだいぶ手荒なのできなった方は、
『チーズはどこへ消えた?(扶桑社)』 スペンサー・ジョンソン
を読んでみて下さい。


・考えるということ

思考の格差=行動の格差=(収入格差)

収入格差だけを括弧で括ったのは、
お金がすべてではないから。

もちろん
お金があれば欲しいものが手に入るし、いろんなところにも行けます。
しかし
それってあくまでも、
充足の基準が『お金がかかるもの・こと』だからですよね。

例えば小学生の頃って
放課後グラウンドで友達とサッカーして走り回っていたら
充足できてたと思うんですよね。
たとえそれが一週間続いたとしても。(少なくともぼくはそうでした。)
しかし
大人になった今、
一週間サッカーして走り回っていても充足しないですよね。
飲みに行ったり買い物したり、友達と遊んだりしないと満ち足りないですよね。

それってつまり
充足させるもの・ことが有料あるいは高価になったということです。

自力で稼ぐことができて経済力を持てるようになった大人は、
その分自分を充足させるためのことの値段も上がったということです。
ただ
これをうまく利用すればお金持ちになれます。
というか
お金に興味がなくなります。

その究極がプロ奢ラレヤーさんです。
彼は彼自身を充足させるためのもの・ことにお金がかかりません。
物や食、生きている環境など
ぼくらが普通お金をかけたいと思うところにお金がかからないそうです。
となると
必然的にお金は貯まりますよね。
経済力(収入)が上がるけど充足にかかるお金(出費)はほぼ変わらないから。

とちょっと説明が長くなりましたが、
彼のような人もいるので収入の部分には括弧をしました。(まあこれで経済が回っているという一面もあるのでみんながみんなやっちゃうとダメになっちゃいますけどね。)

では本題です。
行動というのは考えに基づくものです。

〈1.お金  『仕事』〉でも言いましたが、
仕事というのは需要と供給が成り立ってのもの。
だから
その形はどんなものでもいいと思うんです。
もちろん悪徳商法はダメですが。

だから例えば
一見自己満足のように思える最近流行のYouTuberという職業も
しっかりと仕事と言えると思うんです。
なぜなら
視聴者が見たいという需要に対して
YouTuberが投稿するという供給が成り立っているから。

あくまでもぼくイメージですが、
昭和生まれのおっちゃんとかは
「YouTuberなんて苦労してないから仕事じゃねえ」
みたいなこと言うと思うんですよね。
そういう人ってまず仕事の仕組みを履き違えてるんですよね。

そういう人は
苦労すること、疲れること=仕事だと思ってるんですよね。
だから
例えば非生産的なことでも肉体的疲労がくれば
「めちゃめちゃ仕事した」って思うわけで。
でも
実際それってただ疲れただけで
なにも生み出してなかったりごく少量だったりする
んですよね。

今は多少是正されていると思いますが、
特に日本の社会は如実だと思います。
疲れること=仕事という式は正しくありません。
需要と供給を成り立たせること=仕事です。
ここをしっかり把握しておくことが重要です。
それだけでも仕事に対する考え方が変わると思います。

ちなみに
ぼくもチームでYouTubeをやっていますが、
YouTuberって思っている以上にしっかり疲れますよ。笑


・現代の『ものごと』に対する考え方

ほとんどすべてのものごとは
経済を基にして考えられる
のではないかと思います。

例えば、ホームレス。
(ここでいうホームレスはまさに無一文のそれです。)
これには皆「なりたくない」かと思います。

ではその理由は何でしょう。
不潔だから?みすぼらしいから?
順を追って考えてみます。

清潔感、見た目などの容姿は
生きるう上でなんとかなるでしょう。
これは最悪なくても大丈夫なものです。
住居はどうでしょう。
家も最悪なくても問題はありません。
今は選択的にホームレスをやっている方もいるくらいです。
では
食はどうでしょうか。
こればかりはどうにもすることはできません。
最悪なくても生きていけるとは言えません。

では反対になりたいもので考えてみましょう。

大企業の社長はどうでしょう。
タスクや責任などの細かい部分は抜きにして、
これには皆なりたいと思うのではないでしょうか。

ではその理由は何でしょう。
スーツを格好よく着こなせるから?
いろんな人に認められてもらえるから?
おそらく
年収1000万以上ありそうだから。
という答えが多くなるのではないでしょうか。

要するに、
ホームレスになりたくないというのも
大企業の社長になりたいというのも、
おそらく
「食っていけないから」や
「お金をたくさん自由に使えるから」
というような答えに集約される
と思います。
これらのことはつまり、
経済的な考えが基にあると言えます。

さてそして
この考えが集約されてしまうのは
現代だからなのではないでしょうか。
何をするにしてもお金のかかる現代だから
経済というものが土台に来てしまうのではないでしょうか

〈4.考え方  『考えるということ』〉でも述べましたが、
確かに
プロ奢ラレヤーさんのような価値観であれば、
生活にお金がかかることはないかもしれません。
しかし、
それはごく少数の方達で
多く人が現代において、
お金のかからないを生活を実践するのは難しいです。

つまり
結果的にほとんどすべてのものごとは
「経済のために」判断されることになります。


ここで一つ、ぼくの中で違和感が生じました。
それは
目的と手段の逆転です。

本来経済は、
人がよりよく生きるための手段
であるはずです。
しかし
上でも述べたように
現代ではその手段である経済が生きる目的になっている気がします。

少し面白いですね。

昔であれば
ほとんどの人が自給自足の暮らしをしていて、
経済なんて概念はありませんでした。
そのため、
もちろん生きる上で経済が目的になることもありませんでした。
しかも
たとえ経済が存在したとしても、
現代ほど発展していなかったためか
このような逆転になることはなかったと思います。
(家を作るのにも食べ物を得るのにもお金はともかく、権利や許可なども無かったから、経済をほったらかしにしても生きていけたはずだから。)

ただ
これを「正すべき」とは言いません。

もうこの時代、
生きる上で必要な衣食住は、やはりお金がかかるわけで。
これだけ発展した経済が
目的になるのもしょうがないかと思います。
そもそも
人がよりよく生きられるよう進化した形が現代のはずですし。

何度も繰り返しになりますが、
お金が全てではないし、
プロ奢さんのようにお金のかからない生き方ができるのも間違いありません。
しかし
あらゆるものごとがコンテンツ化し
日々成長を続ける現代の資本主義社会では、
お金はやはり必要不可欠になってきます。

かくして
現代では、
ほとんどすべてのものごとを
経済を軸にして考えていて、
それゆえ
目的と手段が逆転している
ということが言えると思います。


・教育における留意点

教育において
何かを子どもに教える時に、教えた内容が正しいことだとしても
それを
「正しいから絶対これなんだ」
と押し付けてはいけないと思います。

なぜなら
考えなくなってしまうから

「これが絶対」という教え方をしたら、
子どもはその教えられたこと以外のものは
自動的に排除してしまうと思います。

例えば薬物。
確かに
薬物は人間の体を蝕み最悪な方向へと導くものとして、
絶対的にダメだと教育されています。
もちろん法律でも禁じられています。
しかし
教育する時に、
否応なしに「100%ダメ」
と言い切ってしまうのもまた違うと思います。
それでは
「薬物は何がなんでもダメなんだ」
という考えしか持つことができなくなってしまいます。

「法に触れろ」と言っているわけではなくて、
別の側面も考えてみる必要がある
ということです。
実際に最近では
マリファナ(?)が合法化されている国が増えています。
このことは
「薬物は100%ダメ」という常識を疑った結果でしょう。

このように
何か進展があるかもしれないので、
教育をする際には
正解を絶対的なものにするべきではないと思います。


・『絶対』はありません

上の内容と少し似ていますが、
世の中絶対というのはありません

こうして
いろいろ指南のようなことを述べてきましたが、
こうすべきという生き方はありません

昨今は
生き方を指南する本や記事が多いですが、
そういうのに振り回されてはいけません

もちろん
そういう生き方が好きでやりたくてしょうがないとか、
ちょっと要所要所取り入れるみたいなことは良いと思います。
ぼくもそうですし。
しかし
そういうの詰め込みすぎて
本来自分がやりたいこととかけ離れる、
その通りにやってるけど辛い
などという状況になってしまっては本末転倒です。

あくまでも指南書は
万人向けの攻略本であって、あなた個人の攻略本ではありません。
「じゃあ俺の私の攻略本はどこ?」
って思うかもしれませんが、そんなものありません。
あなたの親でさえ持ってません。

強いて言うなら
あなた自身の中にあるかもしれません

「かも」としたのは、
作るのはあなた次第だから。
何もしなければ、
攻略本は奥深くに眠ったままだし。
作り上げていけば、
より細かく読んでいておもしろい攻略本が出来上がるだろうし。
あなたの人生の攻略本を見つけるのはあなた次第です

せっかくの人生おもしろい方が良くないですか?
まあこの記事を読んでいるということは
勉強熱心な人でそれほど心配することはないでしょうけど。


5.感情

・人間という生き物

『感情』は丁寧に扱って下さい。
「すぐに怒ったりしないで優しくいて」
ということではありません。
『感情』というものを価値のあるものだと認めて、
大切にして欲しいということです。
なぜなら
『感情』は人間特有のものだからです。

ミニマリストが流行り、インターネットの普及も追い風となり、
より効率的に、より合理的にと社会が向っていますが、
すべてがすべて合理的にいかないのが人間でしょう
なぜなら
その主体が人間だから

『感情』は
人それぞれ、時と場合によって違います。
もちろん
誰かが死んだ時には悲しいとか、誰かが結婚した時には嬉しいとか、
特定のシチュエーションでは多くの人の感情が集約されると思います。
しかし
全員ではないですよね。
つまり
齟齬が生じます。
この人間の感情の齟齬がものごとを合理的に進められない要因です。

『スタンドバイミードラえもん』を見て泣く人もいれば、
何も感じない人もいます。
誰が買うんだみたいな商品を買う人がいたり、
落ち葉が1,000円で売れていたり。
絵画はいい例えだと思います。
絵画の値段はあくまでも相対的な価値です。
絶対的な値段はないはずです。
なのに高額で取引される。

こうやって
『感情』というものを持つ人間が運営する社会は
合理的にはいかないことが多々あります

いわば
価値観の違いですね。

ぼく自身
ミニマリストで、
身の回りの物は合理的に整理していますが、
共感を得たいという承認欲求などは強い方ですし、
人の意見を聞くということもまた好きです。
しかも
すべてを合理的にやってしまったら、
ロボットと変わらなくてなってしまうとも思っています。

これから
AIが発達してロボット化が進み、
合理性が増していくでしょう。
それに対して
我々人間が、合理性でロボットに太刀打ちするのではなく
ロボットとは違う、
感情を持った生物として優位性を保ちながら共存していくのです。

それが人間だと思います。
人間特有の『感情』というものを大切にしていきましょう。
(僕が読んだ『感情』に関する本はコチラ
 →『ハートドリブン 目に見えないものを大切にする力(幻冬舎)』 塩田元規)

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