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大人のタンカレー

レモンティーを飲んでいる。
しかも朝のモーニングの喫茶店で。

珍しい。
昨日あれだけ酒を飲んだのに。
まだ少し頭はぐわんぐわんして、胃は不快感を訴えているが、
スッと起きて「よし、外に出よう、出なければ!」と、
この俺の重い体を外へ引き摺り出したのは、
柔らかい日差しと風を受けて軽やかに舞うモンシロチョウに、
久しい快晴ではしゃぎまわるムクドリたちなのかもしれない。

そして何より、昨日の夜の何の変哲もない、だけど俺にとってはひどく重要な気がするひと時が、武蔵境の上島珈琲に向かわせたのだろう。

たまに湧き起こる脳内浄化作業とでも呼ぼうか。
自分のためにこういうことを書くのか、その他の存在するかもどうかわからない大勢の他者の目を意識して書くのか、ギターを弾くのか
歌詞にしろ、こういう文字の羅列にしろ、ギタープレイにしろそのどっちつかずのバランス感覚を保ちながら書く、弾くことが、ある種の発散になっている気がする。
誰かに見られるかもしれない、至高のオナニープレイなのだ。


突然だが、Twitterで見た美輪明宏の言葉を紹介しよう。

「女々しくて弱々しくて臆病で気が小さくてガラス細工のように繊細な存在、それが男です。現実的でケチで神経が太くていざとなったら図々しく開き直る、それが女です。 逆ですって? とんでもありません! 世の中は男と女の本質を取り違えているのです。」



昨日は「The Ziprock」の初ライブにサポートギタリストとして参加した。

さまざまな「大人」の方々が絡んでいる現場だった。
「大人」のマナーや「大人」の常識という「大人」とされるおっさんどもの古い慣習に、足を踏み入れないとライブすらろくにできない雰囲気に、サポートの自分が参加させられている事に、やんわり腹が立っていた。
口をついてそういう「大人」ぽい言葉を当てつけてくるバンドのリーダーの達也にも少し、イライラしていた。
ライブの失敗などは別にそこまで気にはしていない。
ライブハウスでかっこいい曲を気持ちよく演奏するだけのために、「大人」にならないといけない雰囲気が俺の肌に合わないのだ。「大人」アレルギーなのだ

俺が大人にならないといけないのだろうか。



そんなモヤモヤを抱えたライブ後、次のバンドが始まる頃に、逃げ出すように外に出て、下北沢をぶらついていた。


すずなり横丁にあるバーがある。
俺の大学の馴染みの女の子がそこで働いている。サヨという。
今日は出勤しているだろうか。

店を開けるとサヨはいた。嬉しかった。
読んでいた分厚い本を閉じて、
いらっしゃい、久しぶり!
といつもの人懐こい声で迎えてくれる。
今日のBGMははっぴいえんどだった。

さっきまでのどんよりとした、湿っぽいライブハウスの空間とは打って変わって、オアシスに来た気分だった。

「強くて安いの!」と注文し、サヨはタンカレーをロックで注いでくれる。
サヨにも一杯おごり、久しぶり。と乾杯する。
客は俺一人。
サヨは読んでいた本の話をする。
町田康の本らしく、
今の所面白くないが、淡々と読みすすめていて、それくらいには最近暇してるらしく、店も暇そうだった。

俺はライブハウスから抜け出してきたことを話す。
サヨは俺が今どういう活動をしているか、軽く知っている。
察したように「ま、飲みたい時は飲んだらいいんじゃない」と言う。

そんな他愛もない話をしているところに、一人の中年の男がスーツ姿で入ってくる。
カウンターの俺の後ろのテーブル席に腰をかけ、彼もまたタンカレーのロックを注文する。
サヨはタンカレーをグラスに注ぎながら、俺との話の続きを器用にこなす。

俺は酒を飲みきって、「行くわ」とサヨに伝える。
「あ、探されてるの?」とサヨが聞く。
俺は「そろそろ探されそう。また後で来るかも。」と伝えライブハウスに戻った。


戻ると、次のバンドが演奏していたのでまだセーフだったのだが、ローリングストーンズ大好きそうなハゲたおじさんがステージでミックジャガー風に踊りながら歌う様を見るのは、拷問に等しかった。

ライブが終わり、場内は打ち上げモード。
強制的にその日の共演者と乾杯させられる「中打ち」という名の拷問が始まろうとしていた。
こうも机を並べられて、ささ、どうぞ仲良く飲んでくださいな
とされてしまうと帰りづらくなるものだ。
しかもそのライブハウスの酒は、高く、その値段の割には、お粗末な量をお粗末なコップに注がれる、お粗末なものだ。
経営が厳しいからと、酒で稼ごうという魂胆に、ライブをさせてもらうこっち側としては同情をしなくもないが、俺だって金がないのだ。
同じ値段で酒を飲むのなら、かわいいサヨがいる店に払いたい。
少ない金を、使うべきところに使いたいのだ。


そんなことを思いながら、俺は楽屋で、同じくサポートメンバーでドラムを叩いているネクロマティックサティスファイアラビニクス君お得意の、終わることのないアイドル、メタル談義を聞かされ続け、白目になっていた。


中打ちがやんわりと始まる。
サポートメンバーの空が、この後仕事ですぐに富士山に向かわないといけないので、乾杯しましょう!と焼酎のソーダ割りを持ってきた。
どんな予定だよとツッコミながら
ネクロマティックサティスファイアラビニクス君と俺と空の3人で机を囲み飲み始める。

達也と、キーボードのアヤカがライブの精算が終わり、ギャラを持って、戻ってきた。
軽く乾杯をし、空はライブハウスを後にした。

軽いライブ後の反省会が始まったので適当に聞き流し、相槌を打つ。
俺は早くサヨの元で酒を飲み直したかった。

疲れたから帰ると言い、俺はライブハウスを後にした。

早歩きですずなり横丁へと歩く。




バーの5席あるカウンターの右端で先ほどの中年の男が飲んでいた。
左端では若めのにいちゃんが飲んでいた。
俺は真ん中に座る。

「とりあえず強いのんちょうだい」とサヨに言うと
若めのにいちゃんが「お、スピリタスとか?笑」とからかってくれる。
「ないっしょ、流石に。」と返す。
サヨは「ジンでいい?」と言い、俺は「うん、タンカレーで。」と応える。

サヨ「お疲れ、もう終わったん?」
と言いながらタンカレーのロックを置いてくれる。
俺「うん、中打ちから逃げてきた。」
サヨ「そっか、まあ飲んで。」
中年の男「僕以外みんな関西弁じゃないですか!ここは関西人以外NGなお店なんですかあ?」
俺「というと、あれ、お兄さんも関西なんですか?」
若めのにいちゃん「はい、僕京都です。」
俺「へぇー!僕も出身京都寄りの大阪なんですよ。」
と、自然と会話が進んでいく。

その時々の初めましてのさまざまな経歴、年齢の人たちと酒を一緒に飲みながら、ゆるい知り合いになってゆくこの感じを、サヨがこの店で働いている時何度か経験している。
ここに寄りたくなってしまう理由の一つだ。
それもこれも、バーテンダーとしてのサヨの手腕だろう。
酒やソフトドリンクを注文してさえいれば、サヨは誰とでも自然と平等に接してくれる。
また、タチが悪い、気に入らない客がいれば、相応の対応をとれる。
小柄で可愛いくせに、肝が据わっていて、器が広い。
サヨの前では、ルンペンも、小金持ちも大金持ちも、皆平等になってしまう。
皆、その銭湯のような居心地の良さを求め、ここに集うのかもしれない。
俺は密かにそんなサヨを小さな巨人と呼んでいる。

話が途切れると、店内には相変わらず、細野晴臣の気怠い声と、卓越なスチールギターの音が響く。

俺は、ライブハウスでの悩みを軽く吐露する。
若めのにいちゃんもそっち関係の人間らしく、軽く頷きながら話を合わせてくれる。
中年の男も、自分の兄が、ベーシストだったと教えてくれる。
中年の男は相変わらずタンカレーを、飲みながら、新たにピスタチオを頼む。

俺が飲んでいるのもタンカレーだったので、
中年の男は「僕も好きなんですよね。家の冷凍庫に必ずストックしてあります。」
と、俺に話しかけてくれる。
「うまいっすよね。まあ僕はとりあえず強いの頼んだらこれが出てきたんですけどね。」と返しながら、「サヨ、お代わり!」と新たに注文する。
「あらあらあらペース早くないですかあ?」と中年の男はからかうように言う。少し顔が赤く染まった中年の男と話す。

塾を経営しているらしく、昔はその塾の生徒だったことや、覚醒剤に手を染めた中学生の生徒のことなど、いろんな話を聞かせてくれた。

口調はすごく柔らかく、優しさが見てとれる人だ。包容力がある。

しばらく4人で話していると、中年の男が席を立つ。
中年の男「サヨさん、ご馳走様です。そろそろいきます。」
サヨ「ありがとうございます。結局緑道の桜は見に行かれるんですか?」
中年の男「いやあ、今日もやはり、帰ります。」
俺「あれ、この辺でなんか綺麗な桜見れるとこあるんですか。」
若めのにいちゃん「この先行ったところにあるんですよ。」
中年の男「ずっといきたいんですけど、ここにピットインしちゃうんですよねー。酔っちゃって。」
俺「そうですよね。ピットインしちゃいますよね。こんな場所があると。」
中年の男「そうなんですよお、と言うことで、また!」
俺「あら、ピスタチオこんなに残ってますけど!」
中年の男「あ、いいですよ、よかったら食べてください。」
俺「やった!アザース!」
サヨ「お得意のこじき精神ね」

手を振りながら、見送る。

店内は3人になり、俺のピスタチオの殻を割る音と、はっぴいえんどの曲が響く。

少し間をおいて、サヨが口を開く。

「あの人、去年に奥さん亡くしはってんて。」

俺は、「え。」とこぼす。
サヨは続ける。
「インスタグラム始めたばっかりで、最初で最後の投稿が奥さんと一緒に見た緑道の桜やってんて。そっからインスタの更新できてないんやと。」

俺は、口をおさえながら、「それ、、俺がライブハウス戻ってる間に話してはったん?」とサヨに問う。

サヨ「うん、私もそれ聞きながら、泣きそうなって。」

俺は自分が泣いていることに気づいた。

俺「そんな、、俺めっちゃ軽々しく話しかけて、、」

若めのにいちゃん「いや、それは全然問題ないでしょ。むしろそっちの方が、嬉しいと思いますよ。」

俺「そっか、、緑道までなかなか行けへんのは、、そういうことか。。」

サヨ「そうかもね。インスタグラムも更新したいなとは言ってはるんやけどね。」

涙が出てくる。

きっと、奥さんとの思い出に浸りたくて、桜が咲いている今、緑道に向かいたいのだろう。
でもまだどこかで死別を認めたくない気持ちもあるんじゃないか。
その矛盾した気持ちの狭間で揺れ動きながら、仕事帰りの寂しい夜道を、一人で歩くわけだ。

家に帰っても一人。

緑道に行けば、寂しさも少しは紛れそうだが、やはり怖いんじゃないだろうか。
だから、緑道までの道にあるこのバーに、ついピットインして、タンカレーを煽りたくなるわけだ。

強い酒をくれなどと、ちっさな悩みを言いながら、抜かしてた自分の不甲斐なさが情けなくなってしまって、また泣きたくなる。
なんてかっこいい人だ。くそ、俺は情けない

同じタンカレーでも俺が飲んでいたタンカレーはまだ子供向けな気がした。

そんな気持ちで「サヨ、お代わり。」と言いながら、ピスタチオの殻を割る。

俺は、メモとペンをサヨに借り、中年の男の特徴をおもむろに書いていた。

タンカレーが、美味い。

他人の不幸話をアテにタンカレーを煽っている気がして、また自分が嫌になりそうだったが、酔いが回っていたのが救いだ。それに、タンカレーが美味くなっているような気もする。

ひどく自分が子供に思えてきた。
それでいい、俺はガキだ。子供でいい。
でも同時になぜか、少し大人になれた気がする。
酒が美味くなった気がする。

そんなセンチメンタルな雰囲気をよそに、新たに若い客が入ってきた。
若めのにいちゃんとは顔馴染みのようで、親しい感じだ。サヨが軽く、紹介してくれる。俺も軽く自己紹介する。
俺の右隣に座る。

客が入れ替わるたび、バーの雰囲気は変わるわけだが、俺はさっきの中年の男を胸に留め、センチメンタルな気分に浸りながら、タンカレーを煽っていた。
皮肉にも、やはり、酒がより美味くなってしまっている気がする。

新たに右隣に座った若い客の話にも合わせながら、時は経つ。
5人ほどの若者の客が入ってきて、バー内は先ほどまでとは打って変わって、派手な雰囲気になる。

サヨは器用にテキパキと、客を捌く。
俺を挟んで、二人のにいちゃんが話す中、次のタンカレーを注文しようとした時、

サヨが「帰らへんつもり?そろそろ終電ちゃうん?」
と、確かに終電を忘れるふりをして、酒を注文しようとしている俺を見透かしたように言ってくれる。

「そやな、帰るわ、ご馳走さん。」
俺はサッと立って、皆に会釈をし、下北沢駅に向かって歩いた。

今日のライブのことは頭の中から消えていた。
先の中年の男の顔ももう頭にはない。

あるのは、居ても立っても居られない、生への渇望だった。
自分の中に長く溜まっていた膿が体外に出てスッキリした感じがする。

単純な作りでできてやがる、この体は。

俺はバーを出る時にポケットに詰め込んだピスタチオをボリボリと食べながら、
帰路に着いた。



井の頭線の車内は終電間際にもかかわらずすごい人の数だ。




ポケットの中のピスタチオを全部食べ終わる頃、
一人暮らしをしているアパートの最寄りの駅に着く。
いつもと何ら変わらない日常に戻ってきてしまった。



いや、少しいつもと変わってることといえば



桜の花で溢れ返る玉川上水沿いの緑道を、
いつもよりスッキリとした顔で堂々と歩いている俺






ぐらいだろうか。


次あの中年の男性と飲むことがあればタンカレーをボトルで降ろしてゆっくりと飲んでみたいものだ。












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