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記憶

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記憶をあつめる作業中。
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#思い出

記憶 −隣りの病院−

記憶 −隣りの病院−

「あなたのせいでおじいちゃんは死んだのよ」

そう言った祖母の言葉が、今も脳裏にこびりついて消えない。

♦︎
中学三年生の時、祖父が入院した。

ちょうどその病院は、中学校の隣りにあって(正確には間に発電所みたいなよくわからない施設を挟んでいたのだけど)、放課後、立ち寄るにはなんの障害もない、便利な立地だった。

ちょうどその頃、生活のほとんどを捧げていた部活動も引退をしたあとで、受験勉強はあれ

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記憶 -濁り-

記憶 -濁り-

5歳の時に死ぬはずだった。

なんて言えば大袈裟に聞こえるが、そんなに大したことがあったわけではない。

実際、大袈裟に言っている。

ただ目を引く一文目を書きたかっただけだ。

5歳の時に "死んでいたのかもしれない" 。

言い方としてはこちらの方が正しい。

♦︎
アウトドア好きな父はよく、私たち家族を連れて、海へ山へと繰り出していた。
父母、7つ上の姉、4つ上の兄、それが私の平凡でごくしあ

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記憶 -写生-

記憶 -写生-

小学校の図工 ( 小学校では"美術"じゃなくて"図工"という名称だった。) の授業で、
《 学校の敷地内で好きな場所のスケッチをする 》
というものがあった。
いわゆる、写生大会だ。

♦︎
私はとても優等生であった。

なんでもある程度、人よりもうまく出来る。

成績は体育以外オール5。
テストは100点じゃないものを数える方が早かった。
絵や書道も、習い事をせずとも、毎回必ず賞を獲っていた。

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記憶 -風刃-

記憶 -風刃-

風圧を、身体の前面で、めいいっぱいに受けとめる。

速く速く前に進みたいと全身が訴えているのに、眼前の "空気の壁" がそれを阻む。

それがとても煩わしくて、この分厚い見えない壁を斬り裂いて、前に、進みたいと思った。

♦︎
中学3年の体育祭でリレーの選手になった。

これは私にとって大躍進の出来事で、私の人生史上、後にも先にもこの時の身体能力を超えることはきっと無いだろう。というくらい毎日必死

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記憶 ー番鳩ー

記憶 ー番鳩ー

私が小学生のあいだ、うちには鳩がよく遊びに来ていた。
鳩なんてどこにでもいるだろう、と思われてしまうかもしれないが、そうじゃない。

祖父が、" 鳩寄せ " をしていたのだ。

♦︎
私の家は、一階部分が駐車場になっている、いわゆるビルトインガレージだったのだが、駐車場部分は前後が大きくひらいたままの風通しのよい造りになっていた。

それで、仄暗いガレージにも、鳩が入って来やすかったのだろう。

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