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【重めの体験談】私の愛着障害の種
最初に
「将来、犯罪者になったらどうしよう……」
私の母から言われた言葉の中で、最も苦かったものがこれだ。
私は、両親に比べれば真面目に純朴に育っていた(はず)なのだが……。
両親からは、よく、
「寺へ入れる」だの、
「将来、犯罪者になったらどうしよう」だの、
「元々できる子ではないはずだよ」などと、
まるで、【ダメな子ども】と揶揄されているような言葉をかけられ育ってきた。
障害のある種
少しだけおやすみです!
noteを始めて1ヶ月!
小っ恥ずかしいのですが、
感謝の気持ちを込めて、
初めて敬語口調でいきます……!
3月5日から、noteを始めて
1ヶ月が経ちました。
沢山のフォロワーさんに恵まれ、
何とか毎日投稿をすることが出来ました。
本当にありがとうございます!
noteを始めるきっかけとなったのが、
このブログにもよく出てくる
上司の一言がきっかけで、
「君、あれだね。愛着障害のブログ書くといいよ」
というも
もう好きぴと認めるしかない
バー店員が好きだ。
本当に色々考えたのだが、
趣味全く合わないし
デート的なの興味無さそうだし
結婚考えられないし
営業かもしれないし
都合いいだけの女だし
だけど好きだ。
好きぴと将来について語り合った。
もうもはや、状況としては付き合ってるよね
好きじゃなかったら一緒にいないね
生活の時間帯で上手くいく自信がないし、
店が大変だから今は彼女の存在が負担で
満足させてあげる自信がな
できないフリで身を守る
4番目の歯を抜いて絶望している。
だが、職場では正直絶好調である。
私の中で、大きく心境の変化があったのは、先週行われた[離任の会]である。
私は正直、この職場を出たいと思っていたが、願い叶わず滞在となった。
そして、散々職場を掻き回した私なんかと違って
校舎に大きく貢献してくださっていた
三人の先生が異動となった。
私は涙が止まらなかった。
もう会えないかもしれないという思い
もっと
ハードからソフトの時代へ
私は学生の頃から今までずっと、
iPhone11を使っている。
連絡手段さえ確立できていれば
あとは特にゲームなどをしないし、
スマホに高性能を求めていないので、
新しいものに変えなくても事足りているし、
なんなら宝の持ち腐れ状態だ。
そんなiPhone11だが、
ついにバッテリーが悲鳴をあげ始めた。
私は、買い替えも検討したが、
バッテリーを交換し、そのまま使うことにした。
(なんと、
② 母親と久しぶりに会って話したので記録を
前編はこちら
私と母は顔がよく似ている
「そんな奴(パパ)の遺伝子を受け継いだ私なんか後世に遺伝子を残したくない」
と言ってしまった。
そんなこと言わなくてよかったはずなのに、つい感情的になって、
言ってしまった。
母も感情的だった。
「なってみないとわからないでしょう。考えすぎなんだよ。案ずるより産むが易しでしょ。」
言ってしまった後悔とともに、
自分が不憫に思えた。
母の言うこと
母親と久しぶりに会って話したので記録を
病んでる私を心配した母が、車で来てくれた。
礼服を見に行き、ステーキを食べ、パンケーキを食べた。
辛い時間だった。お互いに。
相性が合わないのだろうか。
生きてきた時代が違うから分かり合えないのだろうか。
思いやりの心が足りなかったのだろうか。
私も素直に謝り反省しないといけないことがたくさんあるし、
それは、母親だって同じはずだ。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
自己紹介として、私
愛着障害者が本気で恋愛を考える
久しぶりに学生時代好きだった西野カナの歌詞を思い出した。distanceという曲の歌詞だ。
中学生の頃に聴いていたからだろうか。
歌詞に共感するのだろうか。
この曲を聴いていると、
中学生の頃の加藤ミリヤ化していた自分を重ねて、少し辛くなるとともに、
恋に熱中していた自分を羨ましく思う。
私は恋愛における無償の愛の感覚が分からないので、いくらでも男は代わりがいると思ってしまっている節があ
【実体験・随筆集】昔から性的搾取が絶えなかった。
【序章】祖父の話
一番最初に自分の性器を手で広げてしっかりと他人に見せたのは、血の繋がった祖父だった。小学校1年生の頃だろうか。
祖父と一緒にシャワーを浴びていた時、突如「見せて欲しい。触らせて欲しい。」と頼まれたのだ。
「じいちゃんのも触っていいから」という祖父。私は別に触りたくもなんともなかったのだが、祖父の方が触ってほしそうな感じだったので2回ほどつんつんした。
祖父には「ナイショだ