AKB48の恋愛の歌詞に憧れたのに実際の恋愛は加藤ミリヤだった話
2010年、世はまさにAKB48時代だった。
私は小さい頃から、モーニング娘の辻・加護に憧れを抱いており、童顔で声が可愛く、そして、悔しさのあまり泣いてしまうような女の子に強く惹かれていた。何ともいじらしく、自分の奥底に眠っている母性本能とやらがくすぐられるのだ。
今でも童顔で声が可愛い女の子が大好きなので、今は、指原莉乃がプロデュースしている、「=LOVE」という、声優アイドルユニットを推している。(しかし、自身が全くオタク気質では無いため、オタクは語れない。にわかだ。)
そして、AKB48の中でも私は「渡り廊下走り隊」というアイドルユニットを推しており、髪の毛3センチの青春時代をすごした私にとって、「渡り廊下走り隊」こそ、私の憧れであり、かわいいと愛でる対象であった。
こんな甘くてキラキラした青春時代を送りたい。輝かしい青春を送りたい!
と、願っていたのだが、当時ギャルブームでもあった時代。こんな輝かしい青春時代を送れた子どもは実際少なかったのではないかと考える。
振り返ると、私の青春時代の恋愛事情は、西野カナや加藤ミリヤの歌詞の方が近しく共感できるものが多い。
そこで、今回は加藤ミリヤだった学生時代を振り返りたいと思う。
自己紹介として、私は静岡で予備校講師をしている。
20歳の自閉の傾向が強かったセダンの走り屋ヤンキーと、24歳の愛着障害をかかえたヤンキーの無計画子作り行為により、私はこの世に誕生した。家族の間に愛などなかったので、わずか3年で両親は離婚した。
父からの愛着形成が上手くいかなかったことで、私は好きな人が途切れたことがなかった。(刹那的なものではあるのだが……。)
中学3年生の頃だった。
初めて付き合った彼氏がいた。
私が呪いにかかっている【ゆうたくん】である。
(なぜ呪いかと言うと、初めてゆうたくんと付き合ってから、「ゆう」くんか、「たあ」くんとしか上手くいかないのだ。)
日記を見返してみると、ゆうたくんと別れて以降、私たちはどうやら別れるも、「なんかお互いのことが気になる」といった両片想いのケンカップルのようだった。
なんとも中学生らしい【もはや小学5年生レベルの】可愛らしいやりとりの羅列が並んでいた。
──おそらく周りはドン引きである。
今ではこんな光景は考えられないのだが、この頃はこんな事が日常茶飯事だったような気もする。(地域色もあるかもしれないが……。)
そして、文章の後半に出てくる、【けんた】こそ、私の大切な青春時代の恋愛を加藤ミリヤ化した元凶である。
このブログ記事に短くまとめることは不可能なほど色々あった男だ。こいつは「ゆうたの呪い」に該当しないので、本当に良くなかった。
私やクラスの男子たちは、いわば、【小5テンション】で毎日遊んでいた。
しかし、私以外のクラスの女子たちやけんたは、少し大人びていて、【高校生のテンション】で毎日過ごしていた。
私から見て、けんたは私よりもお兄さんで、大人な印象だった。
私がゆうたに、「私はゆうたのこと好きだけどなー?」というと、ゆうたは顔を真っ赤にして「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」と、いかにも中学生らしい反応を示すのだが、
けんたはどちらかというと、「なんで?ひろ(私のことである)いいじゃん。俺は好きだよ?」と言ってくれるような大人の対応をしてくれていた。
私はそんな大人なけんたに憧れ、次第にひかれていくようになる。
──本日二度目のドン引きである。
こうして晴れてけんたと両想いとなり、つきあうことになるのだが、なんと12月1日に突如別れることとなる。
以下、11月25日の日記である。
──本日3度目のドン引きである。
私は、2番目の父の隠し持っていたエロDVDを友達と鑑賞したことがある程度の性の知識しかなく、この時の耳の愛撫やディープなキスの意味をよく分からずやっていた。
なんなら、ファーストキスは普通のキスが良かったと思っていたくらいだ。
ここから、けんたの暴走が始まる。男としての何かに目ざめ、男としての自信をみにつけてしまった彼は、あらゆる女を口説く性欲モンスターへと豹変してしまう。
今思えば彼がそうなるトリガーは私なのだが、そんなことも分からない純朴で無知な小5レベルの少女には、辛く苦しいものだった。
今でも仲のいい、【あつと】という「男版・陽の部分の私」というような、それこそ小5テンションの坊ちゃん系ヤンキーがいたのだが、その子も根はお兄さん気質でよく、けんたのことは聞いてくれていた。
すると、けんたは何様のつもりか、あつとと仲良くしている私にヤキモチをやき、私を操作しようとしてきた。
──非常に気持ちが悪い。
私はこいつから現在メッセージが来ても「はい」「いいえ」でしか会話していない。それくらい気持ちが悪い。
私はここから、ヤリモクに恋をしてしまうことになる。
次の日の24日のクリスマス。
なんとしてでも、けんたにまた好きになってもらいたい私は、けんたに会いたい一心でけんたの言いなりになってしまう。
付き合っていないのに、重なるからだ。
付き合っていないのに、重なる唇。
付き合っていないのに……。
そこから私も次第に壊れ始める。
──非常に楽しそうである。
メンヘラが爆誕してしまった。この時期受験の大切な時期なのだ。頼むから勉強してほしい。
この読みづらいギャル語の羅列…。このように頭もおつむも低かったので、やりもく相手には格好の餌食であろう。
もしこれが、菜々緒とかだったら、溢れ出るオーラや気品で、そんな簡単にやりもくの餌食になんかされていない。
この辺りから、自分の見られ方や、自分の売り方を意識するようになったかもしれない。
そして、ゆうたとケンカップルしていた頃に比べて、加藤ミリヤの歌詞のような日記になってしまっている。
離れようとしたら「好き」と言われて、
好きになったら、会いたい気持ちが押えきれず、
のこのこ会いに行ってしまって、
そして付き合っていないのに体を重ねて、
自己嫌悪に浸って、
離れようとしたら「好き」と言われて……
この負のループから抜け出すことが出来たのは、高校1年生になった年の9/23である。
今思えば、本当に良かったのが、あまりにもけんたの技術が下手だったため、プレイにのめり込まなかったことと、私の性感帯がまだ未成熟だったことで、行為そのものにのめり込まず依存しなかったことが非常に良かった。だから、私は一貫としてセフレを認めず、ゴールは付き合いたいだった。(しかも、痛すぎて一度も成功しなかった。それも良かった。)
その後、自閉傾向の男の子二人を好きだと錯覚するのだが、上手くいかず……。
高校2年生の春、人生で一番大恋愛をした【たかし】くんと出会うことになる。
振り返ると、
けんたは、あまりにも気持ちが悪かったが、
私のファーストキスはディープキスだったが、
AKB48の歌詞のような恋愛はできなかったが、
それでも、この経験が大きくなってからでなくて良かったのかもしれない。
大人になってからこのループにハマってしまったら抜け出すのが大変だったろうし、色々なことを諦めていたかもしれない。
学生時代にミリヤを経験したからこそ、
自分を客観視し、恋愛の状況を俯瞰できる自分がいるのかもしれない。
やりもくとしての格好の餌食にならない自分を演出できているのかもしれない。
だから、これで良かったのかもしれない。
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