ひろ@愛着障害をもつ静岡の予備校講師

両親がヤンキーの少し変わった静岡県の予備校講師です。 自身のもつ、愛着障害を個性と強み…

ひろ@愛着障害をもつ静岡の予備校講師

両親がヤンキーの少し変わった静岡県の予備校講師です。 自身のもつ、愛着障害を個性と強みにすることを目標に。 傷を乗り越えるまでにはまだまだ発展途上です。皆さんの記事を読ませていただきながら、自己形成を図り、大きく成長したいと思います。コメント等でお話してくれると嬉しいです。

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【重めの体験談】私の愛着障害の種

最初に 「将来、犯罪者になったらどうしよう……」 私の母から言われた言葉の中で、最も苦かったものがこれだ。 私は、両親に比べれば真面目に純朴に育っていた(はず)なのだが……。 両親からは、よく、 「寺へ入れる」だの、 「将来、犯罪者になったらどうしよう」だの、 「元々できる子ではないはずだよ」などと、 まるで、【ダメな子ども】と揶揄されているような言葉をかけられ育ってきた。 障害のある種からゆっくり芽が出て、 絶対的な安全基地であるはずの親から自己否定のシャワーを

    • 少しだけおやすみです!

      • noteを始めて1ヶ月!

        小っ恥ずかしいのですが、 感謝の気持ちを込めて、 初めて敬語口調でいきます……! 3月5日から、noteを始めて 1ヶ月が経ちました。 沢山のフォロワーさんに恵まれ、 何とか毎日投稿をすることが出来ました。 本当にありがとうございます! noteを始めるきっかけとなったのが、 このブログにもよく出てくる 上司の一言がきっかけで、 「君、あれだね。愛着障害のブログ書くといいよ」 というものでした。 私は、そもそも文学部出身で、 創作がすきでしたので、その一言で背中

        • 障害か性格か

          いくらか前に、謳歌さんのブログ記事にて、 【病か、能力かを見極めることが大事】というところに、大変共感した。 謳歌さんは自身の経験を客観的な根拠とし、 様々な情報を発信してくれている。 さらに、 私とおそらく性格もあまり似ていないように感じるので、大変参考になる。 今回は、 謳歌さんの記事を参考に、 【障害か性格か】を見極めるということを 自己分析をした上で、明らかにしていきたい。 さて、とはいったものの、 自分の性格を客観視することは かなり難しかったので、

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        • 勉強になる大好きなノート
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        記事

          もう好きぴと認めるしかない

          バー店員が好きだ。 本当に色々考えたのだが、 趣味全く合わないし デート的なの興味無さそうだし 結婚考えられないし 営業かもしれないし 都合いいだけの女だし だけど好きだ。 好きぴと将来について語り合った。 もうもはや、状況としては付き合ってるよね 好きじゃなかったら一緒にいないね 生活の時間帯で上手くいく自信がないし、 店が大変だから今は彼女の存在が負担で 満足させてあげる自信がない。 本当に好きでいてくれてるんだったら 少し待ってて欲しい だけど、彼氏彼

          できないフリで身を守る

          4番目の歯を抜いて絶望している。 だが、職場では正直絶好調である。 私の中で、大きく心境の変化があったのは、先週行われた[離任の会]である。 私は正直、この職場を出たいと思っていたが、願い叶わず滞在となった。 そして、散々職場を掻き回した私なんかと違って 校舎に大きく貢献してくださっていた 三人の先生が異動となった。 私は涙が止まらなかった。 もう会えないかもしれないという思い もっとたくさんのことを教わりたかったという思い 沢山お世話になったのに恩返しができなか

          恋の好きってなに?

          【恋の好き】ってなんだろう。 バー店員とそんな哲学的なことを考えたので まとめたいと思う。 そもそもの男女における好きの種類① 性欲のわかない好き 友人としての「好き」というところであろうか。 体の関係はもてないが、 ハグやキスはできるという人もいるそう。 (ソースはバー店員) ② 無償の愛である好き ここでも性欲を求めない、 無償の愛がここに入るのではないか。 見返りを求めない 唯一無二の存在に対する好きである。 家族、生徒なんかもここに入る? ③ 性欲のある好

          ハードからソフトの時代へ

          私は学生の頃から今までずっと、 iPhone11を使っている。 連絡手段さえ確立できていれば あとは特にゲームなどをしないし、 スマホに高性能を求めていないので、 新しいものに変えなくても事足りているし、 なんなら宝の持ち腐れ状態だ。 そんなiPhone11だが、 ついにバッテリーが悲鳴をあげ始めた。 私は、買い替えも検討したが、 バッテリーを交換し、そのまま使うことにした。 (なんと、本体料金の支払いもまだ終わっていなかったようだ) このように、世の中に溢れてい

          卒業式の思い出

          制服を自分に似合うように着こなし、家族と思われる大人と共に歩く学生の姿を、街中でよく見かけるようになった。頭、両手には花を添え、いつになくカラフルである。 この光景を見ると、 ああ、もう卒業式シーズンかと、 期待と切なさと様々な感情が混沌とした気持ちとなる。 自己紹介として、私は静岡で予備校講師をしている。 20歳の自閉の傾向が強かったセダンの走り屋ヤンキーと、24歳の愛着障害をかかえたヤンキーの無計画子作り行為により、私はこの世に誕生した。家族の間に愛などなかったので

          ② 母親と久しぶりに会って話したので記録を

          前編はこちら 私と母は顔がよく似ている 「そんな奴(パパ)の遺伝子を受け継いだ私なんか後世に遺伝子を残したくない」 と言ってしまった。 そんなこと言わなくてよかったはずなのに、つい感情的になって、 言ってしまった。 母も感情的だった。 「なってみないとわからないでしょう。考えすぎなんだよ。案ずるより産むが易しでしょ。」 言ってしまった後悔とともに、 自分が不憫に思えた。 母の言うこともわかる。 子孫を残し繁殖することが私が生まれた理由だ。 そんな命のサイクルの

          ② 母親と久しぶりに会って話したので記録を

          母親と久しぶりに会って話したので記録を

          病んでる私を心配した母が、車で来てくれた。 礼服を見に行き、ステーキを食べ、パンケーキを食べた。 辛い時間だった。お互いに。 相性が合わないのだろうか。 生きてきた時代が違うから分かり合えないのだろうか。 思いやりの心が足りなかったのだろうか。 私も素直に謝り反省しないといけないことがたくさんあるし、 それは、母親だって同じはずだ。 どうしてこうなってしまったのだろうか。 自己紹介として、私は静岡で予備校講師をしている。 20歳の自閉の傾向が強かったセダンの走り屋ヤン

          母親と久しぶりに会って話したので記録を

          愛着障害者が本気で恋愛を考える

          久しぶりに学生時代好きだった西野カナの歌詞を思い出した。distanceという曲の歌詞だ。 中学生の頃に聴いていたからだろうか。 歌詞に共感するのだろうか。 この曲を聴いていると、 中学生の頃の加藤ミリヤ化していた自分を重ねて、少し辛くなるとともに、 恋に熱中していた自分を羨ましく思う。 私は恋愛における無償の愛の感覚が分からないので、いくらでも男は代わりがいると思ってしまっている節がある。 恋愛に熱中していた頃の過去の恋愛、あれは無償の愛だったのだろうか。 恋

          愛着障害者が本気で恋愛を考える

          私の見えるところであからさまに他の女子と楽しそうに話すのやめろよ!

          寡黙な男の子がいた。名をたかしという。 私は、たかしに毎日【好き】を伝えていたが、 残念ながら結ばれなかった。 そんなに毎日伝えていたら、【好き】という言葉が軽くなってしまうことも知らず、 一生懸命思いを毎日伝えていた。 そんな寡黙なたかしが、ほかの女の子と話していると衝撃を受け、ヤキモチを妬いた。 【私の見ているところであからさまに他の女子と楽しそうに話すのやめろよ!】と思った。 面白いのが、 たかしと私は付き合ってないのである。 嫉妬をする権利がないので笑

          私の見えるところであからさまに他の女子と楽しそうに話すのやめろよ!

          AKB48の恋愛の歌詞に憧れたのに実際の恋愛は加藤ミリヤだった話

          2010年、世はまさにAKB48時代だった。 私は小さい頃から、モーニング娘の辻・加護に憧れを抱いており、童顔で声が可愛く、そして、悔しさのあまり泣いてしまうような女の子に強く惹かれていた。何ともいじらしく、自分の奥底に眠っている母性本能とやらがくすぐられるのだ。 今でも童顔で声が可愛い女の子が大好きなので、今は、指原莉乃がプロデュースしている、「=LOVE」という、声優アイドルユニットを推している。(しかし、自身が全くオタク気質では無いため、オタクは語れない。にわかだ。

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          【実体験・随筆集】昔から性的搾取が絶えなかった。

          【序章】祖父の話 一番最初に自分の性器を手で広げてしっかりと他人に見せたのは、血の繋がった祖父だった。小学校1年生の頃だろうか。 祖父と一緒にシャワーを浴びていた時、突如「見せて欲しい。触らせて欲しい。」と頼まれたのだ。 「じいちゃんのも触っていいから」という祖父。私は別に触りたくもなんともなかったのだが、祖父の方が触ってほしそうな感じだったので2回ほどつんつんした。 祖父には「ナイショだよ」と言われたが、思い返してみると、 幼稚園のプールですらコンパンを履いて隠す

          【実体験・随筆集】昔から性的搾取が絶えなかった。

          怒られるのが好き

          日記を小6の頃から書き始めてもう13冊目だろうか。 愚痴やムカつくことを友人に言ってはマズいと思うような(当時は)心優しい子だったので、マイナスなことは日記に吐くようにしていた。(今では構わず言ってしまうので気をつけたい。) 1冊目の日記は、嫌だったことの他にも、初恋のしゅんすけくんと、何をしたという記録と、担任に何をして叱られたかの記録が残っている。 ちなみに、最近の日記は、主に職場の人間が私に対してどんな発言をしたのかの記録と、職場の人間が何を考え、何の能力がどの程