【実体験・随筆集】昔から性的搾取が絶えなかった。
【序章】祖父の話
一番最初に自分の性器を手で広げてしっかりと他人に見せたのは、血の繋がった祖父だった。小学校1年生の頃だろうか。
祖父と一緒にシャワーを浴びていた時、突如「見せて欲しい。触らせて欲しい。」と頼まれたのだ。
「じいちゃんのも触っていいから」という祖父。私は別に触りたくもなんともなかったのだが、祖父の方が触ってほしそうな感じだったので2回ほどつんつんした。
祖父には「ナイショだよ」と言われたが、思い返してみると、
幼稚園のプールですらコンパンを履いて隠す部分なのに、
トイレの時にも個室に入って誰にも見せないようにしていたのに、
自我が芽生えてからは、誰にも見せたことがない部分だったのに……。
それをしっかりと見られてしまったことが泣くほど辛かったので、帰りの車の中で母親に一切を話してしまった。母親は怒っていた。私はその時、内緒を守れず、祖父に申し訳ないきもちになった。
あれから20年の月日が経った。
20年の月日が経っても鮮明に覚えている怖い記憶。
痛みは消えた。祖父のことも嫌いでは無いしむしろ好きだ。
だけど、自分の性欲を満たすために無知で純朴な少女を利用し、「内緒だよ」と自分の都合しか考えない声掛けをしたことは許せない。
このような経験はきっと、私が特別な経験をした訳ではなく、むしろ珍しくないのではないか。
ただ、周りに話さない(あるいは話せない)だけではないだろうか。
ぜひ、身近にあるということを知り、周りの大人は純朴で無知な子供が性的搾取されないよう、守って欲しいと願うばかりだ。
自己紹介
自己紹介として、私は静岡で予備校講師をしている。
20歳の自閉の傾向が強かったセダンの走り屋ヤンキーと、24歳の愛着障害をかかえたヤンキーの無計画子作り行為により、私はこの世に誕生した。家族の間に愛などなかったので、わずか3年で両親は離婚した。
望まれず生まれた生命には「愛着障害」というものを宿し、社会からは「今どきの若者は」と罵られ、生きづらさを抱えながら、現在、生命を全うしている。何が尊い命だ。こんな状況で我ながら頑張って生きていると思う。
ピルの話
そんな自身の経験から、「責任をもてないのなら簡単に生命を宿してはいけない」と思い、高3の時から24歳までピルを飲んでいた。
高3の頃である。2番目の父が他の女性と結婚するショックや、怪我によりスポーツが出来なくなった悔しさ、進路へのストレスから鬱になりかけていた私は、高3の時に処方されていたピルを不注意で机に出しっぱなしにしてしまったことがある。
それを見た母に「真面目すぎて怖いよ」なんて言われたものだから、母には辟易としている。
「お前の無計画子作り行為のせいで、今の私こうなっているんだろ」と言う怒りに加え、気持ちに余裕がなかったこと、そして、自身も人知れず子作り行為をしてしまっていることを暗喩するそのピルに、やましい気持ちがあった私は、高3ながらに癇癪を起こしてしまった恥ずかしい過去がある。
今考えても辛い時期だった。
今でもこうなる以外の納得解が見つからない。
しかし、今「教育者として教壇に立っている」ことを考えると、この過去の出来事は信用失墜に繋がりかねない。
「不良だった先生に授業を任せられない」
なんて言われかねない。
それなら、不良に一度でもなった人間は、悪いことをした人間は、希望を胸に社会貢献していくこと自体が難しいということになってしまわないか?
不良の道に外れる前に手を差し伸べてくれた大人は周りにいたのか?
しかも、自分の要因ももちろんあるが、2番目の父の結婚なんてものは外的要因に他ならない。愛着障害だってそうだ。生まれもったものではなく、後天的な発達障害だ。
このことがバレることはまずないと思うが、もし何か言われた暁には、「うるせえ」というマインドで、徹底的に論理で討論したい。そいつを泣かせるまで。
2番目の父(ぼう)の話
小学四年生の頃だろうか、股の当たりに温かみがあった私は、目が覚めた。暗闇だった。そして、目の前で人が立ち上がった。そのまま、何も言わず人影は去っていった。
驚きすぎて目をまん丸にしてその姿を目でおった。2番目の父だった。
何をしていたのだろう。寝ぼけた頭で考えた。
──間違いなく、私の性器をさわっていた。何かの間違いかと思ったが、しっかり感覚が残っていた。
小学五年生のころ、胸が膨らみ始め、硬さがあった。だから、少しの刺激で痛くて悩んでいた時期だった。
2番目の父(以下、ぼうとする)とベッドに入ってくすぐりあったりイチャイチャして遊んでいた。
自己紹介記事でも書いたように、彼とは怖い思い出しかないのだが、今思うとこんな事して心から楽しんで遊んだのは最初で最後かもしれない。
私はくすぐられた仕返しに、くすぐり返した。しかし、そこは急所だったようだ。
寡黙なぼうは、朴訥とした話し方で
「──そこは、ちん○だ。」といった。
私は悪気がなかったので、「ごめん」といった。
そして、気まずくなった。
私は目を閉じた。いつの間にかぼうを一人残して眠ってしまった。
そして、どのくらいの時間が経ったかは分からない。痛みで目が覚めた。
「痛い。」
胸の痛みだった。ぼうが私の胸を感触を確かめるように手のひら全体を使って触っていた。
「嫌だ!やめて。」
するとぼうは、「恥ずかしい?」と聞いた。
恥ずかしいの意味がわからなかった。
その後どうなったかは覚えていない。
私は血の繋がった異性が自閉傾向の父と祖父しかいないから分からないのだが、普通、血の繋がりを持ったもの同士は遺伝子レベルで身体接触を拒むと聞く。
私は当たり前だが、性的な魅力を父や祖父に感じない。そして、彼らもそうであるはずなのだが──。(うちの祖父はイレギュラーかもしれない)
2番目の父であるぼうは、私と血の繋がりがある訳では無い。だから、ぼうは大人と子供の狭間の未成熟な身体に性的な魅力を感じたのかもしれない。
そして、以前の記事にも書いたが、ぼうは、スパイファミリーのロイドに似ている。カッコイイのだ。
本人も、シャイで不器用だから、自分が恥ずかしいようなハメを外すようなことはしないし、自分の恥ずかしいことを言われたくないような人だったので、祖父のように「内緒」とは言われなかったが、暗黙の了解で、誰にも相談できなかった。
小学6年生の頃、ぼうが出張に連れていってくれることになった。
ぼうは、たまに見かけるトラックの助手席に娘を乗せている光景を見て、憧れを抱いたようだった。
なんだかんだぼうのことは好きだったので、(もちろん恋愛では無い)連れていってくれると聞いて、嬉しかった。たしか、2日間のトラックでの車中泊だった。
しかし、頭のどこかで、また体を触られたらどうしようとも少し思っていた。小学校の国語の授業で「二度あることは三度ある」を習ったばかりだった。
だけど、体も大きくなり身長も148センチに伸びていた。背の順は前から2番目に昇格したからきっと自衛できるし、ぼうはプライドが高いから拒絶されたらそれ以上手を出してこないだろうと分析していた。
そして、ぼうも大人だから性行為といった犯罪を犯すラインを超えることはしてこないだろうとも思っていた。
そして、本当に何も無ければぼうへの不信感はここでさっぱり断ち切ってあげようとも思っていた。
トラック遠征は非常につまらないものだった。ただでさえ、映画やドラマをじっと座って見ていることができない多動傾向だったため、助手席でじっと座っている時間が24時間続くことは退屈でしか無かった。
そして、ぼうも寡黙で不器用でシャイな人柄だったため、二人でいても話が弾むタイプでもなく、ただただ気まずい空間であった。
夜の時間がやってきた。
後ろの席を寝かせて、2人で横並びで仮眠をとることにした。
(ちなみに、うちの家族の旅行はいつだって車中泊である。そのため、夜出て朝遊ぶようなことは慣れている。決して虐待ではない。)
私は目が覚めた。体が異変に感知したらしかった。
ついにその時が来た。やっぱり、奴は性器を触ってきた。でも、「やめて」がいえなかった。声が出なかったのだ。
(気づかなかったふりをしてやる。見逃してやるから、今のうちにその手を引っ込めろ)という意図を込めて、私は器用に足を動かし、ぼうの手を太ももと床に挟み、押さえつけた。
しかし、ぼうは、手をもぞもぞと動かし、手をぬこうとした。(おいばかっ!気づかないふりしてあげてるんだぞ!今のうちに手をそっと引っ込めろよ!)と思った。その葛藤の中で、私は再び眠りについてしまった。その後どうなったのかは分からない。
その後、中学校に入ると私はバレーボール部に入ったこともあり、髪の毛を3センチにした。
それから、ぼうの性的な嫌がらせはパタリと消えた。
そして、153センチになった私は、最強だった。
ぼうとまだ一緒に風呂に入っていることを、空気が読めない人を装って言いふらし、ぼうは私と風呂に入ることをやめた。
ぼうがもってるエロDVDを見つけた際には、外へ持ち出して、友達と鑑賞会をした。そして何事も無かったかのように母親に困っているふうを装って、「こんなのがあって怖かった🥺」と言いつけた。
ぼうは、「友達にもらったやつ、全部しまったと思ったんだけどなぁ」と、内心焦っている挙動を示しながらも、平然を装って、朴訥した話し方で照れくさそうにしていた。
この仕返しにより、私の中でぼうとのことはチャラになった。
高校生の時にちかんに会った時には怒ってくれていた。そういうことはダメだという自覚はあったのかいと思いつつも、怒ってくれたことが嬉しかった。
子どもと大人の狭間の身体を付け狙う悪い大人は沢山いる。血の繋がらない異性の親と子どもは特に多いのではないだろうか。
生々しい話で申し訳なかったが、「まさかうちも」と疑うことを忘れないで欲しい。
「まあ、暴言や性的な嫌がらせなんてことは昔はよくある事だったから」ではないのだ。
そんな正論はいらない。何でいじめも体罰もされた側が我慢しなければいけないのだ。おかしいだろう。よく考えてみてほしい。
よく聞いて、寄り添ってあげて「辛かったね」という言葉を子ども待っているのだ。子どもを守れるのは大人しかいないのだ。それ以外誰が守るのか。
そんな世の中だから大人になった愛着障害者が自分を守れるのは自分しかいないと、時間と金を使って自分でインナーチャイルドを癒してあげているのだ。そりゃ周りの人間を信用なんてできないし、対人関係形成だってうまくいくはずがない。
それを、何が「今どきの若者は」だ。
結局大人はいつだって自分に都合がいい子どもが「いい子」であり、好きなのだ。虫唾が走る。
ろくに苦労もしないで生きてきたくせに、自分の思い通りに人を動かそうとし、そうでないやつは、「最近の若者は」なんて批評、都合がいいにも程があるだろ。そういう奴がいちばん嫌いだ。
どうぞ似た者同士で戯れてもらって構わない。こちらには干渉しないでください。
ただでさえ、子どもは「自分が悪かった」「自分が我慢すれば」「そういう時代だから」と思って我慢しているのだ。これ以上子どもに何を求めるのか。いい加減にしてほしい。
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