母親と久しぶりに会って話したので記録を
病んでる私を心配した母が、車で来てくれた。
礼服を見に行き、ステーキを食べ、パンケーキを食べた。
辛い時間だった。お互いに。
相性が合わないのだろうか。
生きてきた時代が違うから分かり合えないのだろうか。
思いやりの心が足りなかったのだろうか。
私も素直に謝り反省しないといけないことがたくさんあるし、
それは、母親だって同じはずだ。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
自己紹介として、私は静岡で予備校講師をしている。
20歳の自閉の傾向が強かったセダンの走り屋ヤンキーと、24歳の愛着障害をかかえたヤンキーの無計画子作り行為により、私はこの世に誕生した。家族の間に愛などなかったので、わずか3年で両親は離婚した。
母親は、回避型愛着パターンを特性として持つものの、家での虐待に耐え、(孫の私にも手をだす祖父である。相当酷かったと推察できる。)昭和の部活で精神的に鍛え上げられ、その後、ヤンキーの世界で強く逞しく生きてきた母親は、私にとって人類最強である。
「我慢できない私」と違って、「我慢」や「流す」といった手法を使い、上手に対人関係を形成しているベテランである。
しかし、言ってしまえば、自分に関係のない「都合のいい人との対人関係形成」が上手なのであって、恋人などと親しい関係を形成するのには難があるようであった。
私に対して「無性の愛だ」とよく伝えてくれていたが、自分の思い通りにならない時には私に対して怒っているようにも見える母親。
今になって思えば、あれは自分に言い聞かせていたのでは……。
こればっかりは、誰も悪くないのだ。
その日は、最初に近況を話した。
するとあとは大体、母親がずっと話し続ける。
家が大変だと起こる弊害を話していた。
具体的には忘れてしまった。
私の
「理論でなんでも考えるところ」
「我慢ができないところ」
「A型ぽいところ」
がダメだと言った。
母親というか、昭和の人たちは、我慢し、耐えて生きてきた。
知識を盾にした理論なんかは、屁理屈だった。
だから、「上司とひろは分かり合えないと思う」とし、
私の何でもかんでも理論で考え納得するところに辟易とするという。
A型の人は、病気にかかりやすいというデータがあるようで、
私も含め、最悪の事態に備え、よく用意をするという。勉強などがそうだろうか。
(全くそんなつもりはないが…。)
そして、私と同じくらいの歳の、母の職場の男の子はB型なのだが、
私と比較したのち、非常によくその子のことを褒めていた。
母親はB型である。
そして、私のA型は父から譲り受けたものだ。
私の父の悪いところを言ったのち、私は父に似ているところがあるとした。
そこで我慢ができなくなった私は、
「そんな奴(パパ)の遺伝子を受け継いだ私なんか後世に遺伝子を残したくない」
と言ってしまった。
そんなこと言わなくてよかったはずなのに、つい感情的になって、
言ってしまった。
~つづく~
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