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怒られるのが好き


日記を小6の頃から書き始めてもう13冊目だろうか。

愚痴やムカつくことを友人に言ってはマズいと思うような(当時は)心優しい子だったので、マイナスなことは日記に吐くようにしていた。(今では構わず言ってしまうので気をつけたい。)

1冊目の日記は、嫌だったことの他にも、初恋のしゅんすけくんと、何をしたという記録と、担任に何をして叱られたかの記録が残っている。

ちなみに、最近の日記は、主に職場の人間が私に対してどんな発言をしたのかの記録と、職場の人間が何を考え、何の能力がどの程度あるのか等の分析が書かれている。年々、恐ろしいノートに変貌しつつある。

自己紹介として、私は静岡で予備校講師をしている。

20歳の自閉の傾向が強かったセダンの走り屋ヤンキーと、24歳の愛着障害をかかえたヤンキーの無計画子作り行為により、私はこの世に誕生した。家族の間に愛などなかったので、わずか3年で両親は離婚した。

安全基地であるはずの家族からは【ダメな子】という趣旨の言葉掛けばかりされ、

学校でも褒められる場面の少なかったことから、

当時は叱られることをして大人の気を引くしか、方法が無かったのである。

更に、家では2番目の父が怖すぎたため、家庭での笑顔や会話がなかったことにも、問題行動に拍車がかかり、学校でしか自分の素を出せず、わがままをしたり甘えたりと言った子どもらしいことが出来なかったのである。

学校では、ギリギリラインの悪さを毎日して、1日5回注意されれば充分満たされていた。

なんとも悲しく可哀想なことである。

そして周りは非常に迷惑だったであろう。


その頃、「叱られることが嬉しい自分がいるな」と客観視できていたから、まだ、染まりきっていなかったし、自画自賛だが、本当はおそらく賢い子だったはずである。

誰か一人でも分かってくれる人がいたら
誰か一人でも寄り添ってくれる人がいたら

私の人生はまた違ったかもしれない。


以前の私のように、

障害の種から出ている芽を、自己否定のシャワーによって、しおれかけている子ども。

いいご家庭育ちが正論を振りかざして、私に何をなんと言おうと、

そんな子どもの目線に立てる講師であり続けたい。
それが教育者をめざしたきっかけなのだから。

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