本能は本能にすぎず、先天は先天にすぎない。 すなわち、生涯の全ては後天的であり、意識の全ては能動的であるから、経験の全ては本能と先天性を超越していて【本態】的である。 未知との遭遇は幼少児の特権ではない。 どんな出自であれ自身の発祥に固有性を認めるべきではないのだ。 動的先祖
カロッサ詩集 【汎神論】に根ざした詩が多い👇 『母よ、深く働きかけ、燃えるものよ、あなたにむかって、ぼくは呼吸する』【自然に寄す】より 母は自然を指し、自然を神そのものと捉えている。汎神論は神の人格を否定する。キリスト教では異端な考えだが🤔自然崇拝は日本には馴染み深い。
ベランダ掃除しました。長年の土埃がいっぱい。そしたらベランダの神様が「綺麗にしてくれてありがとよ〜」だって。よくトイレ掃除すると開運する(ダジャレか?)とか言うのって、やっぱトイレにも意識があるからでしょうね。水も記憶するそうですし。高次元からのお恵みなんじゃないですか? 感謝🙏
香川のうどん作る番組。生地こねながら「美味しくな〜れ美味しくな〜れ」って唱えると本当に美味しくなるんですって。こういう発想がほんと好き。非科学的だとか意味不明とか思う人もいるでしょうけど、うどんも生きてると思うな〜。実際美味いからね。スピは人生観。それで充分。美味しく頂きました!
神々の国に来ています。いま汎神論を実生活に取り入れている方ってどのくらいいるのでしょう。わざわざ人に言いふらすことでもないので隠れキリシタンならぬ隠れ汎神論者はそこそこいる?というか日本は八百万の神の国なので特に意識せずとも汎神論的な精神が日常に根づいてるんですかね。気になります