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【温故知新】歴史の闇から学ぶ ~ フォードとヒトラー ~

アメリカの大衆消費社会を実質として主導したフォードとヒトラーの関係はあまり注目されないが、ヒトラーはフォードの理想を実践することで恐慌下のワイマールドイツを立て直し民衆から感謝された。その支持のおかげで恐慌の元凶と見なしたユダヤ人排撃に走ってしまったが、これが歴史の闇に封印されれば損をするのは人類だ。

ヒトラーが戦争に強かったことを強調する人は多いみたいだが、実際にヒトラーがよかったのは金を中心とした経営ではなく、人を中心とした経営を国家政策に取り入れたことだ。だからこそ、過激なことをやっていても民衆は受け入れてしまった。敗戦で熱を冷めさせられたドイツ国民も非道については猛省したが、ユダヤにまつわる勢力はヒトラーにまつわる存在そのものを全否定を促した。そのせいで本質がゆがんで伝わってしまっている。

人はあまりにも全てを外部が要因だと決めつけがちだ。資本主義を欲を外部に切り離して、責任の自覚も分離することで、罪悪感なしに欲を欠いた大人しい人間を搾取するためのシステムだと見立てることは可能だが、さらにその補完として反する二面性を隠蔽し続ける嘘くさい宗教があったわけだ。宗教も形骸化していけば、正義を外部に委ねるための装置に過ぎなくなる。

極端な話、このように外部に自分の在り方を投げ出す生き方を人類が反省する域に達しなければ、もうこれ以上、歴史の発展はない。発展とは新しい精神が住むために自然と起こるものだ。だから、逆に言えば、歴史がここから発展するとしたら、人類がそういう反省に直面するだけの経験をすることは必然である。ここからこれから先の未来というのはいくつかの分岐でかなり精緻に予測できる。

新しい世界についてわかった人は、外部を中心とした生き方から切り替えるだけだ。若い人であれば地球規模のリアリティで間に合った世界線の住人になれるかもしれない。こういうことがわからないほど愚かな有様にまで若い人たちが洗脳されているのであれば、そういう国家には文字通り未来はないだろう。過去へ戻るだけだ。歴史は繰り返すからこそ、繰り返さなくするために温故知新の心で学ぶのだ。

闇に葬られた歴史の方が間違いなく価値はあるし、学会に認められない学説の方が価値がある。なぜなら多数派に支持されることは正しいとは限らないし、逆に煽動されやすい性質が多数派の特徴なら、それらに支持されることはそうなりやすいものだけを選定した存在がある。逆に、一人一人が自立しているために集団を形成しないマイノリティ(そもそも派ですらない)の方が、真実を見ようとしてるだろう。

理想が実現しないのだとしたら、煽動されやすい多数派に着目して現実を感じるからなのであって、ちゃんと理想的に生きたいと願うなら自分をとことん信じられるように生きた方がいい。その方が生涯の最後が納得に包まれるし、そうやって獲得した経験値が魂に受け継がれる可能性が少しでもあるなら儲けものだ。急がば回れ、苦あれば楽あり。いつからでも遅いということはない。

どんな酷い世界であっても、自分が心の底から納得して意義を感じているなら幸せは得られる。メーテルリンクなんかも本当はそういうことを言いたかったのではないかと思う。外に見せようとしない、外から守ろうとしない。それを徹底すれば嘘も必要なくなる。必要がないけど「遊び」としては楽しいので確信犯になる。(ファッションも経営もそういう「遊び」だ。)

生存に必死にさせられたら本当に負けだ。働くのであれば自分の本質に刺さるように工夫していかねばならないし、そのためにこそ働くことが義務とされているのだ。ニートと社畜の極端を反省して、中道をいけ。自分の幸せのためにこそ、人を幸せにすることを目指せ。フォードはそれを綺麗に体現した人だ。



宇宙が真実を抱きながら、真実でない虚構や嘘を創造したのも、宇宙が自分で「遊び」たかったからだ。この世界の存在理由はそれしかない。だから「遊び」のために宇宙の中の存在の存在理由を否定したり脅かしたりするようなのは、根本的に異分子と言える。だが、そういう異分子自体が宇宙の「遊び」の一環であり、大きな存在理由がある。宇宙の意志に同調して本質的に「遊び」を楽しむなら、嘘や虚構(の存在理由や「遊び」を生成する構造)に対して確信犯でなければならない。


Iluust generated by Aipictors
Prompt:
Young woman in white clothes smiling while driving a car through the city

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