見出し画像

スピノザ「エチカ」


スピノザは17世紀オランダの哲学者である。

スピノザの代表作である「エチカ」は、人間の幸福や本質についての詳しい考察がされており、そこから学べることは非常に多い。

ただ、スピノザの考え方は少し突飛な部分があり、なかなか万人には受け入れられない。

本記事では、そんなスピノザ「エチカ」について、解説したい。

…………………………………………………………

〈目次〉
1.スピノザとは
2.スピノザ「エチカ」の解説
(1)神
(2)人間の本質
  ①欲望
  ②喜びと悲しみ
(3)自由
  ①本性に従うことが自由
  ②受動と能動
  ③意志への過度な信頼をやめる
(4)真理
(5)幸福
(6)力(コナトゥス)を意識する

…………………………………………………………

1.スピノザとは
バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)はオランダの哲学者である。

17世紀近世合理主義哲学者として知られており、その哲学体系は汎神論と考えられている。

オランダ生まれのユダヤ人で、裕福な家庭で育ったが、神への考え方が異端であったためにコミュニティを追放され、そこからはレンズ磨きで生計を立てていた。

スピノザの思想は一般的なものとは一線を画す。

事実、彼は生前には世間から嫌われ糾弾されていた。

しかし、スピノザの思想は後世の哲学界に多大なる影響を与えていくのである。


2.スピノザ「エチカ」の解説
スピノザの代表作が「エチカ」。

「エチカ」とはethics(倫理学)を意味する。

5つの章で構成されており、内容はとても難解である。

第一部 神について
第二部 精神の本性および起源について
第三部 感情の起源および本性について
第四部 人間の隷属あるいは感情の力について
第五部 知性の能力あるいは人間の自由について

以降、できるだけ分かりやすく解説していく。

(1)神


エチカは、人間や世界を理解するために、まずは神について考える。

スピノザは神を無限で絶対的な存在だと考えた。

一方、人間は時間的にも空間的にも有限である。

神は無限であるため、内側も外側もない。
物理空間で縛られることがない。

すると、全ては神の中に存在していることになる。

つまり、私たちもみな神の一部である。

神は1つであっても、それはすべてに通じている。

この思想は「汎神論」※と呼ばれ、人格神はおらず、全てが神の現れだと考える。

※汎神論とは、人格神を否定し、全てが神の現れであることを主張すること。

また、この宇宙(自然)全てが神に通じている、ということを「神即自然」※と表現します。

※神即自然とは、全てのもの(自然)は神に通じていることを指す。

これらの思想は、17世紀のヨーロッパでは全く受け入れられなかった。

人格神を崇め奉っていた当時の宗教家たちは、スピノザを徹底的に批判した。

彼の主張は、宗教を信仰する人々が今まで行ってきた行為を否定する主張だったからだ。

事実、彼は生まれ育ったユダヤ教のコミュニティを破門になっている。

一方で彼の主張を支持する人もいる。

アインシュタインなどは、スピノザを神の定義を信じていたようである。


(2)人間の本質
人間の本質とは何か?という問いは永遠に答えが出ないであろう難問である。

この問題にスピノザはある回答を出している。

それは、「人間の本質とは力(コナトゥス)である」ということ。

万物は神の現れであることを前提としたうえで、スピノザは、全ての存在には自分を維持し続けようとする力(コナトゥス)があると言う。

この、今、存在している状態を維持し続けようとする努力(傾向)が人間の本質である。

分かりやすい事例で言うと、動物のホメオスタシスの原理(恒常性維持)がこれに近い。

・水分が足りないと、水分を欲する
・栄養が足りないと、食事を欲する
・疲労がたまると、眠くなる


このような、現状を維持しようとする力こそが人間の本質なのである。

①欲望
人間の本質は力(コナトゥス)である。

そして、スピノザはコナトゥスの現れが欲望であると考えた。

一般的に欲望は否定的に捉えられる。

例えば、アリストテレスは、人間とは欲望と理性の戦いを強いられている、と考えた。

しかし、スピノザはこの欲望を人間の本質に近しい存在だとして、否定しない。

スピノザは欲望とは人間の本性であると捉え、欲望自体には善も悪も存在しないことを主張した。

②喜びと悲しみ
人間を力という観点から観察すると、色々なことが分かる。

例えば、スピノザは喜びと悲しみを力によって定義した

喜びとは、人間の活動能力を向上させ、完全性を上昇させることである。

悲しみとは、人間の活動能力を低下させ、完全性を低下させることである。

このように、力という観点から感情を定義できる。

スピノザは最終的に、人間に生まれ得る全ての感情は喜び・悲しみ・欲望の3つから構成される、と主張している。


(3)自由


スピノザは一般的な自由を否定する。

一般的な自由とは、全ての意思決定は自己責任で自分で勝手に決めたことと思いだろう。

しかし、スピノザは自由な意志の裏に必ず原因となるコナトゥスが存在すると考えた。

多くの人は欲望の結果のみに注目しがちで、その欲望の原因を意識できていない。

例えば、ある人がお昼にかつ丼を食べたとする。

これは自由な意志ともと、ある人が自由に決定したものだろうか?

スピノザは、この意思決定は意志だけによって生まれたものではない、と言う。

なぜなら、この意思決定の背後には、習慣・無意識・他者からの影響・性格・気分など、ありとあらゆる要素が存在しているからだ。

人間は自らの意志だけで行為を決定していると勘違いしがちだが、実は他からの影響を大きく受けている。

①本性に従うことが自由
スピノザの自由の定義は、人間の本性に従うことだ。

我々が本来所有する心と身体にある固有の性質である本性に、上手く従うことができたときに人間は自由なのである。

逆に本性に反している行為は全て不自由ということになる。

人間の本性に従う = 自由
人間の本性に反する = 不自由


自由であることは、自分の制約の範囲内において自由であるということだ。

人間は空を飛べたら自由になれるとか、魚は泳ぐことから逃れられないから自由ではないとか、そのような話ではない。

身体と心の本性を上手に活用できている時が、自由な状態なのだ。


②受動と能動


力(コナトゥス)をもとに人間の行為を考えると、行為が外部の力によって強制されているときは受動、行為が自らの力を十分に表現している状態を能動と呼ぶことができる。

受動 = 外部からの強制によって生まれる行為

能動 = 自らのコナトゥスによって生まれる
     行為 


受動を増やしすぎると人間はコナトゥスのバランスが崩れ、自殺してしまう。

逆に能動を増やすことができれば、人間はより自由に幸福に生きることができる。

そして重要なポイントは、この受動と能動のバランスを、つまり力(コナトゥス)を、人間はコントロールできるということだ。

全てを能動に変えることは神でなければできない。

しかし、少しだけ受動を減らし、能動を増やすことはできる。

意志だけに頼ることなく、自分を取り囲む環境のコナトゥスを認知し、その認識を少しずつ変えていくことで、人間は自らコナトゥスをコントロールできるのだ。


③意志への過度な信頼をやめる
現代社会の問題点に、多くの人が意志力を過信している、という点がある。

・やる気がない
・気合が足りない
・根性がない
・意志が弱い


これらの言葉は、スピノザの主張から考えると、人間の行為を生み出す構成要素の1つでしかない。

人間が行動する理由は、意志だけではない。

このことを考えると、

・引きこもり
・ブラック企業
・不登校
・自殺者


これらに関連するような、世間的には意志力が弱いとされる人々も、本当は意志力だけが原因ではないことが分かる。

つまり、これらは本人の責任だけではない。

行動の結果だけではなく、力(コナトゥス)の関係性を考えると、これらが本人の意志だけで構成されている訳ではないことがわかると思う。


(4)真理


真理とは、物事の正しい知識や道理を指す。

一般的にこの真理とは、全ての人に共通であると考えられいる。

誰でも理解することができて、万物に等しく共通することが真理であるとされる。

しかし、スピノザはこの一般的な真理の解釈に疑問を呈している。

スピノザは、そもそも真理の正当性を測るためには、また別の真理の定規を持ってくる必要があり、無限に真理の基準を定義することができないと言う。

つまり、客観的に真理を定義することはできない

ではスピノザは真理をどのように考えたのか?

スピノザは真理と自分自身の関係性に注目した。

他者は関係なく、自分が真理をどのように理解するかにフォーカスをあてた。

つまり、人間の世界を見る目が変化すれば、得られる真理も変わってくると考えたのである。

人それぞれに違った真理が存在する。


(5)幸福


人間は生まれたばかりの頃は自由ではなく、欲望の因果律に閉じ込められている。

しかし、認識を獲得し、世界の見え方が変わっていくことでだんだんと自由になっていける

成長すればするほど、認識できる真理も変わっていく。

思考の幅を広げることで、より自由で正しく世界を認識できるようになる

今までは、うつ病になってしまうのは心が弱いからだ、と思っていたとしても、当該者を取り巻く環境とコナトゥスの関係性を読み解いていくと、実はそこには本人の意志以外にも多くの要因が存在しており、当該者だけの責任ではない、ということが分かる。

そして、世界の真理を会得していくことは幸福につながる

正しい世界の在り方を理解していくと、受動から能動になるチャンスが増える。

つまり自由になれる割合が増えるのだ。

自由とは幸福と結びついているので、結果的に幸福を感じる回数も増えていく。

人生において何よりも有益なのは知性ないし理性をできるだけ完成することであり、そしてこの点にのみ人間の最高の幸福、すなわち至福は存在する。

(6)力(コナトゥス)を意識する
人間は自らのコナトゥスに従って行動している時、自由になる。

自由ということは能動的に行動ができていることだ。

そして能動的に行動すると、幸福を感じる回数は増える。

つまり、コナトゥスを意識して、コナトゥスに従った生き方をすることが幸福に生きるための秘訣と言える。

これは個人だけの話ではない。

コナトゥスを理解し自由に生きている人は、他人に対しても優しく接することができる

自分のことを大切にできる人は、他人のことを大切にできるだろう。

個人の本性を抑圧し、画一的な真理に当てはめるような社会では、いつか必ずその歪みが現実に表現される

スピノザは、幸福に生きるためにも、健全な社会を作るためにも、一人ひとりがコナトゥスについて考えることが重要だと考えた

全ての人が自分のコナトゥスに理解を示し、他者のコナトゥスを理解できるようになれば、人類はより幸福になれるのかもしれない。


参照元: 「MIDESTSALON」Webサイト

以上

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?