二重スリット実験=【結論】情報空間の痕跡
二重スリット実験は、このように解釈できると思われます。
要するに結論、世界はすべて情報によって編み上げられているということです。
その情報が影響しあった結果が二重スリット実験です。
とすると、
人間とは「体内を電気信号が行き交う肉の塊」である以前に、その本性は情報であるということでもあります。
これが本当なら驚天動地の事実!ってやつなんですが
そのイメージや価値が見えづらいためなのか
現実には「ふーん。そうなんだ」で済んでしまいがち。
まぁ、確かに「全ては情報」それが事実だと証明されたとしても、
「情報?何それ美味しいの?お金儲かるの?僕の生活にどう関係するの?どう役立つの?(役立たなそ〜)」
と思う人は多いのかもしれない。
これを伝わるように説明するのは多くの言葉と段階が必要なので難しいけど、電磁波が発見された際も「それが何の役に立つのだ。無駄じゃ」と一蹴され、その価値に大多数の人が気づかず、100年近く技術が発展しなかった歴史がある。
だが電磁波なくして現代社会は成り立たない。
結論的には、それ以上の損失だろう。
目の前に青い鳥がいるのに、それが見えないも同然だ。
そして幸せの青い鳥は当然、外にいると信じて旅に出てしまう。目の前に全部あるのに。もったいない。
さて話を戻す。
2つのスリットなどを中心に広がっている波とは情報です。
例えば「電子はAのスリットを通るのでは?」という思念も情報の一つです。
これらの情報は「可能性の波」として存在します。
なのでスリットから同心円状に広がる波は、観測者たちの意識そのものです。
「どんな結果になるだろう」という可能性にあふれた思念なので波の形をとります。
この波は情報空間にのみ存在しており、物理空間では「干渉縞」という結果としてのみ観測できます。
(装置で直接「波」が観測できるわけではない。感光板が設置された壁に現れた「干渉縞」から逆算することで、壁の手前側に「波」が存在していると推定されるだけ)
この干渉縞は、おそらく情報空間の痕跡です。
情報空間の射影ではないかと思われます。
(射影とは影絵みたいなもの。障子に「鳥のシルエット」が写っていたら、その平面的な影絵像の遷移から向こう側(平面以上の次元)に立体的な鳥の存在を推定できます。干渉縞は、この「鳥のシルエット」に相当する。つまり干渉縞は三次元以上の空間が実在することの傍証だと考えられます)
また観測装置のONOFFも一つの情報です。
ONにすれば、電子がスリットのどちらを通るかが自明となります。つまり可能性が絞られます。
それゆえ電子は粒子化するのだと考えられます。そのように最初から粒子として撃ち放たれるために干渉縞はできない、と考えれば辻褄が合います。
なお観測装置をOFFにした途端、干渉縞が現れ始めます。
これは一般に、
「まるで電子が人間の行動を観察して、自分のふるまいを決めているかのようだ。不気味だ」
などと語られます。
しかし実情は、逆です。
「干渉縞」という結果から逆算して推定された「波の存在」とは「スリットを観察している人間自身の意識」なのです。
つまり「電子が人間の行動を観察している」のではない。
人間が「スリットを観察している人間の意識」をそうとは知らずに観察しており「不気味だ」と言っている。
これは、鏡を知らない動物が、鏡の中の生物(本当は自分の姿)を見て、それが何なのかわからず「不気味だ」と言っているようなものですね。
「なんで観測装置のONOFFを電子は知っているのか?」みたいな言い方もされますが、これは問いの立て方が間違っています。
「観測装置のONOFF」それ自体も情報です。
この情報の波が他の波と影響しあっているだけです。
近頃は「人間の意識」が現象を引き起こしているのだ、だから、これは引き寄せの法則の証拠だなどとも語られます。
これは不正確な表現でしょう。
人間の意識が現象を引き起こすのではなく、あらゆる存在が情報なので「人間の意識も結果に影響を与える。が、それだけがトリガーになるわけではない」が正確でしょう。
(なので「引き寄せ」的な影響はゼロではないが、意識が全ての現象を左右するみたいな表現は誇張が過ぎる。二重スリット実験に及ぼしている影響は「人間の意識 < 観測装置のONOFF」でしょう。
※ただし、祈りや思念で確率が変動することは実験で実証されているそうですから、これは軽視できませんね。すご〜)
存在はまず情報として存在し、情報同士で干渉し合います。
だから上記のような現象が起きるわけです。
(ムードメーカーがいると雰囲気がよくなるのもこれ)
このような情報の絡み合いによって世界が描像されていると考えれば、二重スリット実験の結果もスマートに解釈できるのではないでしょうか。
「スリットから同心円状に広がる波は、観測者たちの意識そのもの」と先述しましたが、つまり
人間とは「体内を電気信号が行き交う肉の塊」である以前に、その本性は情報であるということです。
それが古来より魂と呼ばれてきたものの実像でしょう。
平たく言えば、
僕もあなたも情報なのです。
いえ、あなたや僕のみならず
世界のすべてが情報なのです。
(まぁ「情報」って言い方は、ちょっとドライ過ぎるので、「魂」って呼んだ方がいいのかなぁ〜。でもそれだと語弊も生まれやすいから何か別の言い方があるといいですねぇ)
心と科学を分けずに考える時代は、もうそこまでやってきているんじゃないでしょうか。
フォローさせて頂いている深海月Linaさんが昨日リリースされたばかりの電子書籍、さっそく読みました。
おもしろかった〜。
サクッと読める長さですけど、内容は濃いです。
【覚醒事後に読む本『アンビエント次元』: 無意識に引き起こされるオートマティスムとは?】
全体読んで「もしかして人間は宇宙の細胞であり、かつ同時に、"情報"が映画を見るために作り出したのが人間なのかな〜」なんて個人的には思いましたね。
僕らの本性が情報≒魂なのだとしたら、
いま生きていることそれ自体が奇跡で感動的なことですね。
アンビエント次元の考え方は、これからの時代を生きる上でますます欠かせないものとなるでしょう。
(あと数日はキャンペーン中だそうですので、お早めに〜♪)