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自動車専門商社→自動車メーカー本社労務課→アメリカ工場工務部→本社技術部→中国工場(成都)→中国本社(北京)→本社技術部→ハウスメーカー(名古屋、東京)→ようやくスローライフ

最近の記事

サルトルの実存主義が今日の新自由主義的格差社会をつくった

現実の歴史を振り返ると、サルトル以降、怒れる若者たち、ビートニック、フリーセックス、ロック、麻薬、過激派、そしてその世代が中堅や支配層の世代になってグローバリズムや米国巨大多国籍企業による世界支配、ビルゲイツやイーロンマスクによる世界の富の集中につながっている。一連の歴史的な流れにおいて、サルトル以降の文化的・思想的変化から、20世紀後半から21世紀にかけてのグローバリズム、巨大多国籍企業、そして一部の超富裕層による世界支配への流れを考察し、どのようにこれらの現象が互いに結び

    • サルトルの実存主義とスピノザの汎神論や仏教思想は対極

      サルトルを代表とする実存主義において、「実存」とは個々の人間の**主観的で具体的な存在**を指しています。これは、近代の哲学的伝統、特にスピノザの汎神論やドイツ観念論、仏教思想との対比においては大きく異なるものです。 ### 1. **サルトルの実存主義と「存在」** サルトルの有名な命題として「**実存は本質に先立つ**」という考えがあります。これは、次のように理解できます。 - **実存**とは、個々の人間が具体的に「ここに存在している」という事実のことです。サルト

      • 初めてスピノザを読んで仏教と似てるな、と。

        釈迦の内省とスピノザの存在や自由についての内省には、異なる哲学的・宗教的背景がありますが、いくつかの共通点も見出すことができます。両者は、真理の探求や個人の自由の本質についての深い考察を行っています。 釈迦の内省(初期仏教) 釈迦は悟りを開く過程で、以下のような根本的な内省を行いました: 縁起と無我 釈迦は、すべての存在は相互依存しており、恒常的な実体(我)は存在しないと説きました。これは「無我」(アナッタ)の教えに集約されます。人々は自分自身を固定的な存在と捉えがち

        • 宗教の意味が変わる日本(中外日報を読んで)

          中外日報にこんな記事があった。 “日本は102カ国中、最低 「宗教は非常に重要」米研究所調査 インドネシアは最も宗教的(2024年8月27日) 米国の世論調査研究所ピュー・リサーチセンターによると「宗教が人生において非常に重要である」と答えた成人の比率は、調査対象102カ国・地域の中で日本が最低の6%だった。同じアジアでもインドネシアは成人のほぼ全てが「重要」と答え、極端な差を示した。 同センターは2008年から23年にかけて世界各地で宗教に焦点を当てた調査を実施してき

        サルトルの実存主義が今日の新自由主義的格差社会をつくった

          佐藤哲朗さんに喜ばれて嬉しいことです

          YouTubeで佐藤哲朗さんが清水俊史さんの新著を紹介しておられて、聖書のフェノメナという意味がどうかなと言っておられた。どこかでカントがフェノメナは見えてるだけで、ほんとうじゃない。プラトンの洞窟の影絵のようなもの。本当のことは知恵で見抜くしかなく、それはヌーメノン、プラトンのイデアと同じと。で、これは仏教の諸行無常、五蘊皆空、諸法無我やバスバンドゥ(世親)の唯識、無明から知恵による悟りと似てるなぁ、カントは仏教を読んでるかなぁ、プラトンはギリシャ人だから、ミリンダ王とナー

          佐藤哲朗さんに喜ばれて嬉しいことです

          日本大乗仏教はヒンドゥー教とともに世界を救う

          鈴木大拙の英文による100年以上前のデビュー作を、佐々木閑さんが初訳者として日本語訳してる?佐々木閑さんは私と同い年のはずなのに、前世の佐々木さん⁉️ と、思ったら、大拙の遺言で訳してはならぬ、という掟を破って、米国留学から帰ったばかりの佐々木さんが指導教授の命で翻訳することになって、という因縁らしい。 禅を始め日本の大乗仏教を西欧世界に広げた大拙の大乗仏教論、是非読まねばということだったが、佐々木さんによるあとがきに、大拙の大乗仏教理解は、この書が最初に刊行された20世紀の

          日本大乗仏教はヒンドゥー教とともに世界を救う

          玄奘三蔵の弟子、三車和尚慈恩大師窺基は車を3台持っていた

          三車和尚窺基のお話を知って、ああ大乗の日本で戒律が怪しくなったのもむべなるかな、と感じた次第。 玄奘三蔵が仏典をインドから持ち帰って翻訳を急いでいた時、窺基という若者が大変に優秀で、出家させて手伝わせたいと思っていたが、窺基本人は乗り気でない。 そこで玄奘三蔵はどうすれば出家してくれるか条件を尋ねたところ、窺基は禁欲しなくていいなら出家してもいいよ、と。やれやれ。 ところが玄奘三蔵はこの条件を受け入れる。 のちに出家して玄奘三蔵の翻訳を手伝うようになった窺基は、外出するときは

          玄奘三蔵の弟子、三車和尚慈恩大師窺基は車を3台持っていた

          「我々という存在は夢と同じもので作られている」ピカード

          ピカード提督は、データ少佐がネメシスで宇宙艦隊の同僚を守るため殉職して以来、量子シュミレーションの中で意識としてながらえてきた少佐のメモリスティックを再生機から抜き去る。その時「我々という存在は夢と同じもので作られている」と同座のみなにつぶやいた。これは唯識そのものじゃないか。阿頼耶識、識のメモリーが作り上げるこの世という夢。 データ少佐を安楽死させるに等しい彼の意識を断ち切るピカードの行為は、少佐が量子シュミレーターの中でピカードに依頼したものだった。データはいう。「限りあ

          「我々という存在は夢と同じもので作られている」ピカード

          一切衆生悉有仏性から山川草木悉皆成仏の経緯分かった!

          「山川草木悉皆成仏」と覚えていたが、これはインチキだった。梅原猛さんが創作して言い出して、中曽根総理が国会の演説に使い、日本の自然を尊重する文化、アミニズム的な人々の意識を説明するにうってつけとして今日まで残って来たのだが…。おそらく乃木希典の漢詩「金州城」の「山川草木うたた荒涼」の歌い出しから梅原猛が思い込んだものではないか。私も詩吟をやっていたので、いい調子で唸っていたものだ。 もし仏教史に存在するものとすれば、「草木国土悉皆成仏」が天台宗で言われるようだ。人間や動物とい

          一切衆生悉有仏性から山川草木悉皆成仏の経緯分かった!

          私の先祖は30世代で20億人 

          中村元と奈良康明の師弟対談。中村元はダンマパダやスッパニータを初めてわかりやすい日本語で大衆に紹介したことで、それまでの伝統的な宗派仏教に救いを求め、安寧を得ることのできない多くの日本人に、本来のブッダの教え、初期仏教を普及した役割は本当に大きい。その東大印哲の学生で、のちに駒澤大学学長となる奈良康明は、今や黄檗宗を招来した隠元禅師以来の我が国への仏教新宗派を招来したかのような隆盛を誇るテーラワーダのスマナサーラ長老の駒澤大学留学時代の指導教官であるようだ。奈良康明は曹洞宗永

          私の先祖は30世代で20億人 

          ダンマパダ292、293偈 やらなきゃいけないことがたくさんある時は気をつけた方がいい 煩悩で頭が混乱している証拠、であると

          292 、 なすべきことを、なおざりにし、なすべからざることをなす、遊びたわむれ放逸なる者どもには、汚れが増す。 293 、 常に身体(の本性)を思いつづけて、為すべからざることを為さず、為すべきことを常に為して、心がけて、みずから気をつけている人々には、もろもろの汚れがなくなる。 ダンマパダのこれらの偈を普通に読むと、すべき良いことを行うべきで、すべきでない悪いことはやらないように、ということで、なんだかあったり前のことだよな、となんらの啓発もないものと思っていた。

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          悟りと葬式(大竹晋)、教養としての世界宗教史(島田裕巳)から「やっぱり仏教だよね❗」

          何ひとつ不自由のない王子として生まれた釈迦が、恵まれた生活や人生に苦を感じ、そこから逃れるため出家し悟りを求めた。身分も、豊かな生活も、全て苦と感じた。苦とは単に貧しいとか、痛いとか、住むところもなく、尊厳もないということではなさそうだ。むしろ王侯の生活には、もっと領土を、もっと富を、子孫の繁栄を、敵国の征服を、もっともっとの不満足。あるいは奪われ失いはしないかという不安。 現代社会の私たちは、健全な家庭に生まれて、親や周囲から期待され、教育を完成し、安定し発展する組織に所属

          悟りと葬式(大竹晋)、教養としての世界宗教史(島田裕巳)から「やっぱり仏教だよね❗」

          大乗非仏説村上専精の入覚寺参拝した日、大竹晋さんの新著を発見

          母が亡くなり菩提を弔うにあたり親鸞の正信偈を初めて学び毎日唱えていた。そのうち法蔵菩薩の十八願や、龍樹、天親から源信、法然に関心が及んだ。佐々木閑さんのYouTubeを2回り聞くうちに、ブッダの教え、部派仏教、説一切有部、天親(世親)の唯識、龍樹の空の思想、維摩経、法華経、華厳教、浄土三部経、密教、テーラワーダなどにつながってきた。もっともっとの煩悩の苦しみから逃れるには、ブッダの教えの原始仏教が今の私の境遇にピッタリで、今まで追ってきたものは架空でしょ、もう人から命じられた

          大乗非仏説村上専精の入覚寺参拝した日、大竹晋さんの新著を発見

          村上専精の入覚寺参拝

          村上専精は初代東京帝大印哲教授である。日本の宗派宗教者による研究に発した明治の日本の仏教学は、サンスクリットやパーリ語仏典を西欧哲学や神学、文献学の学術的手法で研究確立された欧米の仏教学からみると、すべてが戯言であると喝破した。村上は「大乗非仏説」を著し、日本の宗派宗教は大慌てで宗門の若手優秀者に西欧の学問を学ばせ、自派の宗祖がいかに釈迦と結びついているか必死に研究した。村上は大乗非仏説を著したことで一旦は大谷派を追われる。その後復権するが、真宗大谷派では清澤満之の系統が教理

          村上専精の入覚寺参拝

          浄土と涅槃は異なると思いますが、どう?という問いへのChatGPTの答えは,まずまず

          浄土(じょうど)とは、阿弥陀如来(あみだにょらい)が誓願した浄土(浄(じょう)=清らかな、土=世界)のことです。この浄土は、念仏(ねんぶつ)という阿弥陀如来への信仰を通じて、生前にその功徳を積んだ者が、死後にそこへ往生(おうじょう)することができるとされています。念仏を称えることで、人は阿弥陀如来の慈悲によって救われ、浄土に生まれ変わると信じられています。そして、その後、浄土での修行を経て、阿弥陀如来の力によって涅槃(ねはん)に入ることができます。涅槃への到達は、仏教における

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          釈迦の十大弟子そのほかのエッというエピソード(須菩提、羅睺羅)

          須菩提(じゅぼだい)は空の思想を最も理解しているということで、解空第一、と称せられるとのこと。しかし、空の思想は釈迦没後700年くらい後に龍樹が大乗仏教のツールとして発明したのでは?いやいや原始仏教スッパニータにも世界は空である、など言及があるようだ。テーラワーダでも五蘊の自性は空というらしい。空はsunya でインド人の発明であるゼロのことだと。特に西海岸のインド商人が、お金がなくなったとか、在庫がなくなったという状態を空っぽということで五世紀ころゼロと定義。ほかの文明には

          釈迦の十大弟子そのほかのエッというエピソード(須菩提、羅睺羅)