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大乗非仏説村上専精の入覚寺参拝した日、大竹晋さんの新著を発見

母が亡くなり菩提を弔うにあたり親鸞の正信偈を初めて学び毎日唱えていた。そのうち法蔵菩薩の十八願や、龍樹、天親から源信、法然に関心が及んだ。佐々木閑さんのYouTubeを2回り聞くうちに、ブッダの教え、部派仏教、説一切有部、天親(世親)の唯識、龍樹の空の思想、維摩経、法華経、華厳教、浄土三部経、密教、テーラワーダなどにつながってきた。もっともっとの煩悩の苦しみから逃れるには、ブッダの教えの原始仏教が今の私の境遇にピッタリで、今まで追ってきたものは架空でしょ、もう人から命じられたことはやめて自分のことに集中したらどう、と言ってくれているようで心地よい。一方この世が夢、幻であることの合理的理解には、すでに大乗思想の領域に入っている空、あるいは唯識が腹に落ちている。
小乗と大乗の関係は?という疑問を自分なりに昇華しようとしているところに、オリオンクラウタウさんの著書で村上専精を知り、その名前を大竹晋さんの著書「大乗非仏説を超えて」に見出し、大乗が歴史的仏教とある意味で断絶があってもいいんだ、という論を見出した。そして、今の寓居からも近い三河御津入覚寺に参拝したその日、同氏の新著「大乗仏教と小乗蔑視」を発見し、手に取ることができた。そうなんだよ。旧約聖書のユダヤ教、そこに新訳が加わってキリスト教、さらにイスラム教と、それぞれ近い教理、戒律を持ちながら違う宗教。キリスト教でもカトリックがローマ教会を通して神とつながるのに対して、プロテスタントは私と神が直接つながる。同じように、原始仏教、部派仏教、その戒律をそのまま引き継ぐテーラワーダと大乗仏教、とりわけ律を失い、ほとんど救済の一神教のようになった阿弥陀如来信仰やタントラそのものに進化した真言密教は違うものに成長発展したと考えたらいい、と大竹晋さんは言っている(細かくは違うかもしれないが、大体は)。
村上専精の入覚寺に思い立って参拝したその日に、偶然このまさしく日本の大乗に新時代を開く本に出会うのは、仏教らしくえにしを感じる。

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