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釈迦の十大弟子そのほかのエッというエピソード(須菩提、羅睺羅)


興福寺須菩提

須菩提(じゅぼだい)は空の思想を最も理解しているということで、解空第一、と称せられるとのこと。しかし、空の思想は釈迦没後700年くらい後に龍樹が大乗仏教のツールとして発明したのでは?いやいや原始仏教スッパニータにも世界は空である、など言及があるようだ。テーラワーダでも五蘊の自性は空というらしい。空はsunya でインド人の発明であるゼロのことだと。特に西海岸のインド商人が、お金がなくなったとか、在庫がなくなったという状態を空っぽということで五世紀ころゼロと定義。ほかの文明にはなかったそうだ。桁もインド人の発明らしい。桁がなければ筆算なんかできないからホントに便利。20は漢字では二十、ローマではX X。これじゃ筆算できないよ。ただ中国には算盤があったので、ゼロは不要。確かに算盤ではゼロを考えない。インドは筆算だった。20は10の桁2個、つまり10円玉2個と1の桁ゼロ、つまり1円玉で見れば財布は空っぽ。
空は龍樹の中論読んでもなんのことやら。一部の素粒子物理学で言われるように、真空の場でなんかプラス、水面で言えば凸の波が盛り上がれば、どこかで対応したマイナス、凹のへこみができる。それが色、物質に見えるので、しばらくすると打ち消しあう。世の中はこんな一瞬の凸凹でできてるように見えてるということだと、私は空を理解しているがどうだろう。
とにかく、龍樹も生まれていない、数字のゼロの発明もない時代、須菩提は解空第一とはどういう理解をしていたのだろう?おそらく6世紀ころ般若心経が作られたころ、権威づけに須菩提を利用したのではないだろうか。
エッというのは孫悟空の先生が須菩提だったということだ。そうなのか、解空第一の須菩提は優秀な猿に空を悟っている、悟空と名づけたのだ。悟空の空は五蘊皆空の空だった。

釈迦の息子、羅睺羅。ラーフラ。意味は悪魔らしい。いやいや結婚させられ、子供ができて、出家するつもりだったのでワザと変な名前をつけた釈迦は、ちょっと困った親。久々にカピラ城に帰ってきた釈迦に、息子羅睺羅は重臣に入れ知恵されて、「私に城を相続するように」という証文を書いてくれるよう懇願。そこで釈迦は、舎利弗と目連に命じて羅睺羅を出家させてしまった。釈迦いわく、「私の今の城は仏法である。出家して仏法の城を授けよう」ということであろう。本人も重臣もビックリ、がっかり。出家後も素行が悪くなかなか悟りがひらけなかったようだ。顔つきが釈迦に似ず下品だと揶揄され、果ては釈迦の奥さんが密通でできた子だろうとまで言われた。そこで、「確かに顔は釈迦に似てないが、心は釈迦だ!」と腹を割いて見せたというのが下の写真である。
ところで親鸞とやはりひとり息子の善鸞の関係もうまくない。関東に派遣されたが、邪教を広めたと親鸞から義絶されたという。えらいひととひとり息子の関係は古今東西、いつの時代も難しい。ただ、善鸞ケースは教団の支配をめぐり善鸞を失脚させようとした親鸞側近がいたと見ており、歎異抄の唯円にせよ、後の事実上の本願寺創業の蓮如にせよ、歴史を改竄し、正嫡の善鸞の権威を失墜するよう演出したと考えるのが妥当であろう。釈迦の原始仏教にせよ、親鸞の教えにせよ、後継の権威主義的な教団指導者によって、祖師の神格化と自分たちより本来は権威ある正当を異端と名づけるのは、何処においても常道ということだ。

万福寺羅睺羅腹を割いて父仏陀の顔を見せる

あとのみなさんについてワンポイント「エッ」。
阿那律(あなりつ)。祇園精舎で釈迦の説法を聞いていた阿那律はうっかり居眠りを。お釈迦様はその場では「眠っている時は煩悩がないからいいじゃないか」と言いながら、あとで2人きりになった時、「お前はなんのために出家したんだ!」と厳しくたしなめ。阿那律は「申し訳ありません。私はもう一生眠りませんのでお許しを」と極端な誓いをしてしまった。それで本当に眠らずいたところ、失明してしまったという。お釈迦様、現代ならパワハラといわれますよ。

優波離(うばり)。もとは釈迦族に仕えるシュードラ階級の床屋さん。釈迦族の阿那律や阿南が出家を決めた時、「私も出家したい」と身ひとつ釈迦のもとへ。クシャトリア階級の釈迦族の皆さんは、何だかんだと現世の事後処理に忙しく、優波離のあとで釈迦のもとへ。僧伽の中ではシニオリティ、少しでも早く出家したものが上位者。釈迦族の出家者たちは、もとの使用人に頭を下げなきゃならなくなって不満そう。それを察した釈迦は、「ここへ来たら世俗の階級はない。兄弟子に従いなさい」と。

富楼那(ふるな)。説法第一。豪商の息子。ただし妾腹であったため相続できなかったが、自らの才覚で父をも凌ぐ富豪に。その商才のもとが弁舌の才。アカデミックな弁舌ではなく、庶民、老若男女の喜ぶような弁舌で、西村公朝は、きっと寅さんのような「結構毛だらけ猫灰だらけ、後略」とか「四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水」といったような楽しい説法だったのだろう、と語っている。

迦旃延(かせんねん)。論議第一。
この方についてネット上に、布袋様と同一人物であるという書き込みがあります。真偽不明ですが、どうでしょうか。


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