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玄奘三蔵の弟子、三車和尚慈恩大師窺基は車を3台持っていた

三車和尚窺基のお話を知って、ああ大乗の日本で戒律が怪しくなったのもむべなるかな、と感じた次第。
玄奘三蔵が仏典をインドから持ち帰って翻訳を急いでいた時、窺基という若者が大変に優秀で、出家させて手伝わせたいと思っていたが、窺基本人は乗り気でない。
そこで玄奘三蔵はどうすれば出家してくれるか条件を尋ねたところ、窺基は禁欲しなくていいなら出家してもいいよ、と。やれやれ。
ところが玄奘三蔵はこの条件を受け入れる。
のちに出家して玄奘三蔵の翻訳を手伝うようになった窺基は、外出するときは3台の車で出かけたので、三車和尚と呼ばれたそうだ。
1台目の車には経典。これは当然。
2台目の車にはワインやおつまみ。え〜っていうところ。
そして3台目には、な、なんと美女たち。なにこれいいの〜???
というわけで、都の皆さんから、三車和尚という、ちょっとバブルのセレブっぽいあだ名で呼ばれたと。
おいおい、玄奘三蔵もなかなか柔らかいね。
最近Xのポストでブッダという男の清水俊史先生が、浄土宗の和尚にはフェラーリが似合うみたいな話をあげておられますが、この時代からの慣行なのですね。
窺基大師は新唯識をとなえ、法相宗の始祖なので、薬師寺、興福寺につながる方。
日本仏教の柔軟さの起源には、このくらいの懐の深さがあったわけですね。

慈恩大師基さんの肖像


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