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日本大乗仏教はヒンドゥー教とともに世界を救う

鈴木大拙の英文による100年以上前のデビュー作を、佐々木閑さんが初訳者として日本語訳してる?佐々木閑さんは私と同い年のはずなのに、前世の佐々木さん⁉️
と、思ったら、大拙の遺言で訳してはならぬ、という掟を破って、米国留学から帰ったばかりの佐々木さんが指導教授の命で翻訳することになって、という因縁らしい。
禅を始め日本の大乗仏教を西欧世界に広げた大拙の大乗仏教論、是非読まねばということだったが、佐々木さんによるあとがきに、大拙の大乗仏教理解は、この書が最初に刊行された20世紀の始めには間違っていた、それで、カッコ悪いので本人が封印したといういきさつが書かれている。
当時フランスのドラヴァレー·プサンがこの本の書評を出し、大拙の大乗仏教はインドの大乗仏教とは似て非なるものであり、むしろヴェーダーンタなどのヒンドゥー教の哲学に近いものと断じたのだ。
おそらくプサンのようにインドにおける大乗の成立から研究をしてきた西欧の仏教学者に対し、この時点では、大拙には日本の大乗仏教こそ大乗との思い込みがあったのか。大拙のこの書物の出版時点では、村上専精による大乗非仏論批判が発表されていたかいなかったかの時期だけに、大拙は日本大乗の位置付けをよくわかってなかったのか?
とりわけ真言宗の如来藏思想、天台宗の本覚思想はアートマンを実在としブラフマンたる宇宙真理と梵我一如まで日本仏教は行ってしまっており、これはヒンドゥー教だ。また真言宗こそ現代に生きるタントラということでもあるし、そういうような理解のもとに、自らが学んだ日本大乗はインドで成立した頃の大乗と違わないまま、と信じこんでいたのが、大拙の誤解のもとだったのかも知れない。
そうした誤解をプサンの書評の後は大拙も理解して日本語訳を封印したものと思うが、佐々木さんがあえて日本語に訳出し、大拙は穴があったら入りたいかも知れない。
しかし佐々木さんも述べているがこれでよかった、スッと腹に落ちるというのは私も同感だ。
日本「大乗仏教論」であればこれでいいのだ。
むしろ日本仏教は極東の辺境で細々と灯明を点していたのではなく、離れていても、本家インドの現代ヒンドゥー教の精髄のごとく高度に昇華理論化され、14億のインド人の80%の信仰と同じ極みで再び邂逅したとみれば、世界の大宗教とともにあるものとして日本大乗には世界の救済に向け様々な可能性が見えてくる。

追記
佐々木さんのあとがきの最後に翻訳のお手伝いへの謝辞があるが、これがブッダという男の清水俊史さんを弾圧した東大の馬場紀寿さんの若き日の姿とすると、佐々木先生は最近は清水さんをサポートする論文を書いたりしており、複雑な人間関係の綾を垣間見た気がします。

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