健常者が言う、何かしらを通じての出会いはどうのっていうが、それに興味がない人を下に見てたなら、同時に障害当事者のことを悪く言ってないとしても結局巻き込んで下に見ている。 障害当事者からしたら、『健常者と同じものに興味ないとならないのなら、余計に世間と関わりにくいじゃんよ』って話。
毒親による機会損失 ・子の資産形成(かなり飛躍してるものの、金を渡さなかったりすることで回り道させられ疲弊するため起こる) ・子の挑戦する機会(同居する毒親が指図しては責任感じると知らん顔=ネグレクトしてる) ・自立(毒親が金を渋るため、子はほしい資格取れずスキルが上がらない)
健常者たちの多くは いつも障害や困難がある人を下に見る理由を作っているよね また、健常者の多くは、助けることが出来ない理由作りもしてるよね だから困ってる人が困ったまま、更に『最初から助けを求めるな』だの『まず自分からやれよ』とか健常者の言葉により追い詰められてしまうんだよ。
健常者って、否定形の言葉を使ってなければ否定にならないと思い込んでる人多いよね。 そういう健常者って無理解なこと言ったり広めてしまい、障害当事者や困難のある誰かを自ずと不利にしたり傷つけたりする。 健常者側が言葉の前後に気をつければそこでOK なぜ健常者はそれが出来ないの?
発達障害当事者たちは自分の中にある困難による大変さを割とよく知ってる 知らないと思っていたい健常者は表面上しか見えてない。それで判断する主義だの、上辺に内面が出るだのって言うなら健常者として稚拙 だから毒親の上辺にも騙され、その言い訳に仕事と家庭は別だとかって言い訳しがち。