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アキのエッセイNo.26ー「頑張れば普通になれる!」を強要してはいけない!発達障害の受容と適切な対応について

こんばんは、アキです。

私は20歳頃に広汎性発達障害の診断を受けましたが、実は3歳頃に「言語の遅れ」が診断されていまして、発達障害の傾向が幼少から見られていたのです。そのため、母に連れられて受診も何回か受けたらしいのですが、小学校に就学する頃には受診を止めてしまいました

就学の際、母は支援級での入学を考えたらしいのですが、祖母が猛反対したため普通学級で入学しました。

幼少期から状況やルール、人の話が上手く理解出来ない私は、勉強は出来ましたが、やり取りなど他人と関わりながら行うこと(グループでの作業など)が大の苦手でしたし、休み時間はいつも一人で絵を描いていました。誰かと遊ぼうにも、遊びのルールが分からない上に、他人と関わることに恐怖(拒絶されるのが怖いから)があったため、いつも一人で過ごしていました。友達は少人数出来ましたが、授業では仲の良い子と一緒に行動できないため、いつも孤独でした。状況や話の理解が苦手でコミュニケーションが上手く取れなかったためか、小1から小6まで集団的にいじめ(主に仲間外れや無視)を受けました。親は学校の担任に相談することはありました。しかし、「親も周りも何もしてくれなかった」という印象しかありません。実際、私は大人しく、目立った問題行動(誰かを攻撃したりなど他害)はなかったため、誰からも私の生きづらさについて耳を傾けられることもなく、いじめも周知されていたのに、卒業するまで続きました。

成長するごとに状況やルール、話の理解力も上がり、やり取りも出来るようになってきました。

ですがやはり、未だにコミュニケーションの苦手意識はあります。常識的な行動が出来ているか常に気になり、気にしすぎるとストレスが溜まります。過剰適応というのでしょうね。

母は「頑張れば普通になると信じていた」と言って、私の成長を喜びました。

ですが、私はその認識に怒りを感じてしまいます

母に言いたいです。貴女は私の何を見てそう言っているのですか?私に対して何をしてきましたか?

私はおそらく、普通ではないです。これから先もそうでしょう。ある程度の社会常識も交流も出来るようになりましたが、未だに苦労します。十分に理解出来ない場合は周囲に聞いたり、ネットで調べたり工夫して対処します。普通の人ではない分、苦労が多いでしょう

それを貴女(母)は知っていますか?普通にはなれなくても私は何とか生きていますが、貴女はなぜ「普通を私に強要した」のですか?

そして、普通を強要した上に、なぜ「何もしなかった」のですか?

小児医療センターに受診、学校の担任に相談など、形式的な対処はして、なぜ「私の話を聞こうとせず、一緒に考えることもしなかった」のですか?

そう言いたいです。

問題点は以下の通りです。

①小児医療センターの受診を、就学を期にやめてしまい、「支援を継続しなかった」こと。
②発達障害を「受容せず」に、ただ頑張ることを強要して「頑張れば普通になれること」を信じた上に、子供(私)の悩みや苦手なことについて話を聞かず、一緒に考えることもなく「放置」したこと。

発達障害は先天的な疾患なため、なくすことは出来ません。本人の対処や周囲のフォローにより、ある程度の「改善」は可能です。つまり、

「対象者の出来る、出来ない、得意、苦手をよく把握して、対処について一緒に考えていく心掛け」や、「普通の枠に当てはめず、対象者の限度や特性を理解し、個人として見ていく」ことが必要です。

その過程を経て、「受容」が出来ます。

そう考えると、母は「子供の障害を受容出来ていない、理解もしていない」ために「普通を押し付けた」ということなります。

①について、支援を絶ってしまったのは大きな間違いだと私は考えます。

障害特性の知識や、問題に対する適切な対処の助言も得られず、どうやって子供と向き合えばいいのでしょうか?

実際、私は状況、ルール、話の理解やコミュニケーションが苦手でしたから、支援により生きづらさの悩みや苦手への対処の助言があれば、孤立やいじめは防げたのでは?と思います。

②について、私が何に悩み、何が苦手か、きちんと把握しようとせず、一緒に考えて対処することもせず、放置したのも誤まりだと私は考えます。寄り添い、話を聞いてほしかったですし、一緒に考えてほしかったです。母は親として子に向き合うよりも、中学校教師という「仕事」を優先して生活していました。子育てに集中するために、ある一定の期間は担任を辞退したらしいですが、それでも仕事人間である母は、子供(私)との会話は、私から声をかければ応じる程度で、積極的に話を引き出して一緒に考えるという行動には至りませんでした。穏やかで柔和な性格の父は割と私の話を聞いてくれる方でしたが、「子育ての主権は母」というスタイルが定着していた我が家では、母の存在が大きく、父が積極的に対処を考えるということはなかったです。そのため母の不理解の影響は大きかったです。

①②により、私は周囲、親のフォローもなく自力で対処してきました。しかし、医療系の大学に入って、サークルやバイト、実習を経て「しごき」を受けました自分の努力だけではどうにもならない場面にも直面し、自分の至らなさに苦悩し、自信を失いました

そして、そこから復活し、自信を回復したのも私自身の力だけではありません。主に就労移行支援事業所のスタッフの方々が私の悩みや苦手について一緒に考えてくれるなど、対処のサポートをしてくれたこと。つまり、「外部からの支援」による「受容」を受けたから、今の私があります

私の経験から申しまして、発達障害の方の生きづらさや問題に対しては出来る限り、他者からのサポートは受けられたほうがいいです。一人では乗り越えられない壁に直面した場合、他者の支えなどフォローが必ず役に立ちます。家族が寄り添い、理解するのももちろん必要ですが、「支援を受ける」というのも手段として活用してもいいと思います

支援を受けることに抵抗がある親御さんもいらっしゃることでしょうし、同意なしに支援は提供できません。
しかし、普通の枠に当てはめ、問題を直視せずに頑張ることを強要することは、誰にとっても良いことはないでしょう。

私はある程度自分と向き合い、対処して社会とも交流出来ていますが

ADHD傾向の兄は(私よりも発達障害の傾向が強いです)、親や周囲のきちんとした理解や対処がなかったため、内に閉じ籠るようになり「引きこもりニート」になりました。

兄を見ていても、やはり、「親や周囲の理解、受容、サポートは必要だ」と感じます。

兄に対しては現在、引きこもり相談に掛け合い、「クラフト療法」というものを実践し、関わり方や理解について模索しているところです。

私は4月から作業療法士に復帰をしますが、「自分のしてほしかったことを対象者様にしたい」と思います

つまり、「対象者様やご家族様に寄り添い、一緒に考えて対処していく」というスタイルで「受容」をし、相手にも「受容を促す」ことができる支援者になりたいと考えています。

また、受容は「受容される経験をし、学習することで出来ること」であり、経験は「積み重ね」により強化されますから、そのことも意識して支援をしていきたいです。

私の母のように、普通を強要し、放置する親御さんはおそらく、そうでない方よりも沢山いると思われます。そして放置されて育ち、それでも自分なりに生きづらさに対処して生きている方々もいらっしゃるでしょう。または、対処しきれずに苦悩し、内に閉じ籠る方もいらっしゃることと思われます。そう考えるととても心苦しいです。私のような、我が家のような状況を作らないためにも、私が出来ることを最大限取り組みたいです。そのファーストステップとしてこの記事を書きました。

読者の皆様

お読み下さり、ありがとうございました!

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