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母に知らせる〜前編〔卵巣腫瘍+開腹手術 道々の記⑬〕

前回、このnoteの連載記事をアップしてから、あっという間に2ヶ月経ってしまいました。ご無沙汰をお詫びいたします m(_ _)m 

下書きはできていたものの…母と私の関わりを、どこまで記したら良いのか悩ましく、投稿する決断をなかなかくだせずに時間ばかり過ぎていました。

おかげさまで、昨日(6/8)、術後の経過観察で2ヶ月半ぶりに病院で診察を受け、腫瘍マーカーの数値など懸念点は全て解消、主治医から「術後の診療はこれで終了です」と言っていただけました。ようやく心底ホッとしたと同時に、これで闘病生活から離れることになり、術後の日もまだ浅かったころより客観的な視点で、この「卵巣腫瘍+開腹手術 道々の記」を続けていける、と思えたので、あらためて向き合う気持ちになれました!

とはいえ、今回と次回の内容は、病気や入院手術、術後の体験とは直接関わりのない部分ですので、ご興味ない方、先を急ぎたい方は、どうぞ ⑬ と ⑭ はスキップしてくださいませ。

一番気がかりだったこと

入院・手術前の準備の中で、一番気がかりだったことは…母に私の病気や入院・手術のことを、いつ、どのように伝えるか…でした。

母はその時点で、83歳。歯が丈夫で、自前の歯で好き嫌いなく何でも食べられ、食べることが何よりの楽しみです。自力でトイレに行ったりお風呂に入ったりもできますが、運動不足と長年の引きこもり傾向でだいぶ太ってしまい、ちょっと歩いてもゼイゼイ言ってしまうほど。ある程度、理性はしっかりしていますが、新しいことを覚えられず、一人で生活するには、日々、様々な混乱が起こり、常に誰かの助けが必要で、昔から依存心の強い性格でもあり、私のところに頻繁に電話をかけてきます。

しかも、ちょうどその夏、母は、それまで住んでいた都内のマンションから私たち夫婦の住まいの隣駅にあるサービス付き高齢者住宅に転居してきたばかり。夏から晩秋へ、やっと新しい暮らしに慣れてきて、新しい家で私たちと一緒にクリスマスやお正月を過ごすことを楽しみにしてくれていました。

…そんな訳で、いつ、どのように母に知らせたか、の話に入る前に、その頃の母との日々について、まず先に触れておきます…

母の転居で、嬉しい再会が2つも!!

話が少し前後しますが、母が引っ越してきて2ヶ月ほど経ったある日(ちょうど3回目の緊急事態宣言が解除されたころ)、母のところに懐かしい知人のHさんから電話があって、家に遊びにきてくれた!と喜んでいたことがありました。驚いて話をよく聞いてみると、Hさんは、父が務めていた会社の同僚の奥様で、私の幼稚園や小学校の頃の幼馴染おさななじみの友達のお母様でもあり、現在は、何と、私たち夫婦と同じ街に住んでおられるとのこと。母が近くに引越してきたことを知って喜んで、連絡してくださったそうでした。
Hさんのことは、私も、子供の頃によくお互いの家を行き来して遊んでいた友達のお母様として覚えていたので、とても懐かしくって、後から電話でお話をしました。Hさんは「今度、駅ビル内のホールで開催されるワンコイン・コンサートに、お母様とみちちゃんと、3人でご一緒しましょう!」とお誘いくださって。母にとっても、転居がきっかけで、いいお友達に再会できて本当によかったなぁ…と、しみじみ感じました。

母にはこれといった趣味はなく、日々の生活の中での楽しみはクラシック音楽を聴くことと、食べること。食器にも関心があり、私の大学時代には、母が芸祭に遊びにきて陶芸科の友人たちの作品を気に入って購入し、また卒業後にも彼らの作品展を訪ねて、器を買い求めたりしていました。その器たちを今でも日々の食卓で愛用してくれています。

そんな母の所有する陶芸作品の作家の一人、友人の陶芸家Mくんの作品展が11月初旬にありました。私が仕事帰りに観に行って、久しぶりに会えた彼に、近況報告のつもりで「母がこの夏、私の家の隣駅に引越してきて…」と話したら、何と! 母の新居がある街に陶芸教室があって、Mくんの奥様がそこで先生をされているとのこと。さらに、私が学生時代に親しくしていたもう一人の陶芸家 Fくんもそこの専門コースで教えている! しかも、翌週の週末にはその陶芸教室で2年ぶりに陶芸祭が開催され、素人でも参加できるワンコイン陶芸体験もあるとのこと。あまりの偶然とタイミングの良さにビックリしつつ喜んで、帰宅してから、さっそく母に電話でそのことを報告すると、母もすごく興味を持って「ぜひその陶芸祭に行ってみたい!」と声をはずませていました。

一緒に外出を楽しみながら…逡巡しゅんじゅんする

母にとっても私にとっても嬉しい再会が2つ続いた一方で、私の身の上には、人間ドックから卵巣腫瘍が発覚し、精密検査が進んでいました。

そのことは未だ胸に秘めたまま… 新型コロナウイルス感染拡大もようやく収まりつつある状況の中、母が新しい環境での生活をより楽しめるように、気をつけながら、一緒に近場の外出を楽しめるように心がけました。

まずは、11月半ばの週末に、Mくんが知らせてくれた陶芸祭に出かけ、ワンコイン陶芸体験に母と一緒に参加しました。それぞれに簡単な器を一つずつ作り、色付けをして、焼成は陶芸教室の方にお任せして、1ヶ月後に受け取りに来ることになりました。母はこのとき、陶芸教室の専門コースの先生をしているFくんや、生徒さんたちのサポートを受けて、自分用に晩ご飯のおかずを載せるお皿を作っていました。なかなかいい感じにできて、とても楽しかったようでした。

11月末には、Hさんからお誘いいただいたワンコイン・コンサートに、母と共に出かけました。正味30分ほどのピアノ・デュオのプログラムでしたが、綺麗なドレスを着た若い女性のピアニストによる生演奏や、コンサートを楽しんだ後の Hさんとのティータイム等、久しぶりに華やいだ雰囲気の刺激を受けて、母はかなり喜んでいました。

12月初旬には、お正月の前に髪の毛を切りに行きたい、という母の要望に応え、駅ビル内の私の行きつけの美容院に母と連れ立って行きました。母がシャンプー&カットや顔剃りをしていただいている間、私も、長かった髪を(入院に備えて)ボブスタイルに切りそろえてもらい、だいぶスッキリしました!

母が喜んでいるかたわらで…

転居前の母の暮らしはどうだったか、といえば… 7〜8年前に、父と一緒に都内の一戸建てからフラットフロアのマンションに移ったのですが、居室が9階だったため、エレベーターで長いこと知らない人と一緒になるのが嫌だと言って、ほとんど家から出ない引きこもりの状態が続いていました。日々の買い物などは父がやってくれていて、父の亡き後は訪問介護のヘルパーさんに頼っていたため、家から出なくても何とか生活できていたのです。

そんな母は、ずいぶん久しぶりの外出が、だいぶ楽しかったらしく、「次はクリスマスのコンサートに行きたいわ♪♪」とか「今度、陶芸教室に作品を取りに行くときにはHさんも誘って行こう!」とか、あれこれ想いを巡らして嬉々としていました。

傍らで母のそんな様子を見ながら、今の母の歩行状態の不安定さと新居の周りの地理を把握できていない状態では、とても一人では出かけられないのは明白なので、入院手術が迫ってきている私の胸のうちは複雑でした。

いよいよ話す決心をしました

母は昔から、ものすごく心配症で、娘の受験や夫の仕事の問題など心配事を相談されると、相手の不安な気持ちをおもんぱかるよりも、母自身の不安が膨れ上がってしまい、その不安を、相談してきた当人に覆いかぶせるような傾向のある人でした。さらに近年では、老化もあって、生活上の変化に弱く、些細なことでも変更があると、それに慣れるまでかなり不安になって騒ぎます。

そんな母の傾向を熟知しているために、私には、母に今回の入院手術のことを、話すべきか否か、が、まず悩みの種でした。夫は、あえて入院手術のことは話さず、仕事を理由にクリスマスもお正月も一緒に過ごせない、と言えばいいのでは、と提案してくれましたが、そんな理由では母が納得しないのは私がよく知っています。やはり、どんなに母が不安になっても、きちんと理由を話して、状況を理解してもらわないと、今後の母との関わりにも影響してくると思い、話す決心をしました。

とは言え、あまり早く話すと母が不安になる期間も長く、その分、私たち夫婦に跳ね返ってくる"とばっちり"も増えるだろう…と容易に想像できたので、12月半ばすぎ(入院1週間前)の、病院で入院手術前のオリエンテーションや診察を受けた後に話すのがいいだろうと考えました。(後編につづく)

左手前が母の作ったお皿、右は私が作った小物入れ。
グレーに見えている陶土の部分は、焼き上がるとクリーム色に変わりました!


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