ヴィーコの近代科学批判は、数学や物理学での『間違いない』議論の欠点を突く。古代ギリシャの自然学は、色々な観察や推論を重ね合わせて、結論を出す。現在の科学でも、判らないことは多い。それを考えると、このような発想も有効だと思う。
現在の科学は『確実なモノ』を提供するが、確からしいモノが落ちる可能性がある。これを活用する『実践知』について、もう一度見直すべきだと思う。この為には理論的な知識、経験的な知識の多様な情報を活用して、安定するモノを求めることが重要だと思う。