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番外編:デカルト哲学の二人の敵

今回は、ヴィーコとヒュームについて取り上げます。番外編ということでいつもの書式はとりません。

番外編の意図

 デカルトの後にスピノザを紹介しましたが、次はカントです。しかし、デカルトの後、カントまでの時代に、哲学史(哲学の歴史)からみて重要な哲学者がいます。その中から全く違った意味でデカルト哲学のという立場をとった哲学者を二人紹介したいと思います。一人はイタリアの歴史哲学者ヴィーコ。もう一人は、イギリス経験論の到達点といえるヒュームです。

ブサイクな引用

 私がこのnotoでの哲学者紹介で大事にしていることは、哲学者の生きた時代背景や個人的な事情を紹介することです。そんなものは必要ない。誰かの哲学を理解(引用・利用)するのには哲学書(あるいは解説書)を読めばいいんだ。……このような哲学との付き合い方は、ありです。否定しません。また、格言みたいに哲学の本の一節だけ取り上げるのも、まぁ、いいでしょう。ただ、明らかに――そうですね例えばアリストテレスが言いそうもないこと、あるいは絶対そういうふうには考えるはずのないような文脈で、引用されているのは、見ていて虚しいものがあります。そして多くの場合、その引用者は、本来の意味も間違えていることが多いです。
 こういうことは、ビジネスシーンでも、ぶっちゃけアカデミックな場でもあるのですが、見る人が見るとプレゼンなり、論文なりが一気に説得力のないものに感じてしまいます。そういうことを防いでいく一つの方法として、やっているわけですね。

哲学史上の重要性

 逆に言えば、哲学史を教科書的に追っていくつもりはないです。ないんですけど、それでも、哲学とは流れです。流れにおいてはキーパーソンがいます。今回取り上げるのは、そういう二人なんですが、一人ひとりをこれまでの形で紹介することはやめました。どっちも現代的意義が低いからです。低いけど、流れのためには知っておくべき……ということで、番外編として扱います。

ヴィーコ:『新しい学』

 ヴィーコは、マイナーだと思います。もっとメジャーな哲学者をとばしているのに、何故。というのを含めて紹介しましょう。
 彼は、デカルト死後、すぐの時代の人です。デカルト哲学がおおいに流行っていた時代を生き、自分の意志で完全に敵対した人です。

人生

 ただ、人生というか、背景の方でも極めてデカルトと対象的です。デカルトは、お金持ちのお坊ちゃん。独身で好きなときに好きなように住む場所を変え、しかもお金に困るようなこともなかったようです。ヴィーコは、地域で一番小さな本屋さんの息子として生まれ、小さいときに階段から落ちて以来、病気に悩まされ、世帯も持ち(妻と4人の子ども)、おおよそ貧乏でした。大学の分校(ようするに正式な大学じゃないってことです)を出て、レトリックの先生の職につくんですが、当時、レトリックの先生というのは、今でいう法学部の一般教養のような位置づけで収入も低かったのです。
 最初は、先に述べたように流行りであったデカルト哲学の理解者でもあり、まぁ、だからこそ教授の職にもありつけたわけですが、ある時を境に、自分をデカルトの敵と位置づけ、数学的な厳密さこそ学問だという当時のデカルト哲学に対して『新しい学』という本で真っ向勝負します。明らかに、ベーコンの『ノヴム・オルガヌム』(新機関)を意識したネーミングですね。
 ここから、その内容をかいつまんで見ていきますが、この『新しい学』は、ヴィーコの生きている間はまともな反響はありませんでした。ヴィーコが注目されるのには300年ぐらいの時間がかかることになります。つまり、貧乏なままの人生だったということです。パートナーは、家事を全くせず(なにか事情があったのでしょう)、娘さんは病気がち、長男は完全にグレていて、警察のお世話になるタイプです。ただ、次男さんは、ヴィーコの後を継ぐ形でレトリックの教授になったそうで、それは良かったなと思います。

ヴィーコの重要性1

 「デカルトの哲学」とデカルト哲学は分けて考えてください。これは、デカルトに限りません。マルクス哲学(マルクス主義って表現の方が多いでしょうが)とマルクス本人の哲学は別だというのと同じことです。
 その上で、デカルト哲学は、学問の厳密性のモデルを数学としました。私たちが高校で勉強する数学のイメージでOKです。公式があって、証明ができて……とかですね。そのモデルで、数学以外の学問も基礎づけていくと、今でいう、マクロ経済学とか、社会心理学とか、そういうふうなのだけが学問という考えになります。ようするに歴史とか文学は学問にならないよねということです。
 ただ、みなさん高校の物理のテストを思い出してほしいのですが、「これこれの条件でボールを投げたとき云々……(ただし空気抵抗は考えないとする)」こういう問題文、ありませんでしたか。私は、いつも思ってました。そこまで条件が決まっているなら実際に投げて確かめたらいいのに、と。それはさておき、数学ベースに自然現象を計算すると、実際とは違う答えになる、というのが重要です。
 ヴィーコは次のように考えます。①神が創った自然というリアリティの世界②人間が作った数学というフィクションの世界。と分けたとき、私が「実際に投げて……」というのは①です。そして、デカルト哲学で学問とされているのは②です。そして、それらと別に③人間が作ったリアリティの世界があるよね、ということです。それが、歴史や文学(レトリックを含む)の領域で、この領域でも厳密な学問が成立すると考えたわけです。で、そこを新しい学と名付けると、そういうことですね。

ヴィーコの重要性2

 実際は、こっちがポイントです。ヴィーコが②のように考えたのは、「私たちが幾何学の命題を証明できるのは、私たちがこれらの命題を作っているからだ」というのが先にあります。これってすごくないですか。後の数学の公理系の概念を先取りしているともいえます。もっと簡単な言葉で言い換えると、そういう前提で考えてるならそういう答えになるわな、です。論理的に結論がでるように、議論の枠組みをつくっているから、証明が成立するんでしょう、という、こういう観点はまさに哲学的であり、その意義は現在でも光り輝くものあると思います。

現代的意義

 はっきりいいますが、『新しい学』読まなくていいです。上記の「重要性」は素晴らしいですけど、目次を見れば十分わかるように本の中身(の話題)はどーでもいいです。興味がある人は、序文の役割を果たしている口絵の説明だけでいいでしょう。
 このように考える理由は2つあります。一つは、デカルトとほとんど変わらない時代なので言論の自由にかなり制限があり、デカルトほどではないにしろなにかと神がでてきます。まぁ、言葉としては(神の)摂理でまとめている場合が多いですが、どっちにしろ私たちには関係のないことです。
 もう一つは、『新しい学』はヴィーコ自身が何度も手をいれた形跡がそのまま残っている状態で、はっきり言って読みやすさは犠牲になっています。読みやすさだけに限っていえばデカルトの書き方の方が上手です。

ヒューム:『人間本性論』

 ヒュームを取り上げる理由は、かなり哲学史的な意味合いが強いです。ヒュームについての予備知識無しでカントを読むのは、率直にいって馬鹿げている。そんなところです。とはいえ、できるだけ短くまとめますね。

デカルト哲学との関係

 デカルト本人や紹介したスピノザ含め、デカルト哲学的発想で学問を考えていくのを大陸合理論といったりします。それに対するのが、イギリス経験論です。大陸ってのは、(島国である)イギリスから見ての表現ですね。ヒューム以前に経験論の蓄積はあるのですが、その到達点であり、カントへ直接つながるので、ヒュームに代表選手になってもらいます。
 そして、デカルト哲学との関係性ですが、次のように整理できます(教科書的にはなりますけれど)。合理論の方は、A先験的認識だけが確実な真理を把握できる → B人間は先験的認識ができる → C人間は確実な真理を把握できる。経験論の方は、A先験的認識だけが確実な真理を把握できる → B'人間は先験的認識なんてできない → C'人間は確実な真理を把握するのは無理。先験的というキーワード(テクニカルターム)はカントのときに軽く触れるので今は無視してください。
 結論が、全く逆になっています。それは、デカルト哲学(特に第一哲学=形而上学)の成立可能性について、完璧なダメだしをしたということです。

合理的判断の不可能性

 少しだけヒュームらしい考え方を取り上げますと、例えば、倫理の領域で「~でなければならない(must)」という表現をするけれど、よく考えたらそれは、習慣(経験に基づいて未来を推測するという心理的な習慣)からそう思っているだけで、絶対ではないよね。つまり、倫理というものも、相手への共感が基であって、理性にもとづいてはいないよね。というようなものです。
 ヴィーコの切り口とは全く違いますが、これもかなり根本的な批判だといえるでしょう。さらに、ぶっちゃけ、これ、今でも通用するレベルで正しいです(後のラッセルもそう言ってます)。行動経済学といった学問は、そのあたりを詳しく見ていっているものとも言えるでしょう。
 ところが、哲学の伝統はそっちに行かないんですね。ヒュームを受け入れつつ、形而上学を守ろうという方向に進んでいきます。

ヒュームの意図

 せっかく哲学史風になっているので、補足しておきますが、ヒュームは合理論の基礎をひっくり返してやろうという意図でこの結論に至ったのではありません。そもそもは、経験論ですから、経験(ものの観察)による自然科学的な認識に対する疑問(限界づけ)から始まって、流れ弾のように第一哲学(形而上学)も被弾したという経緯です。
 その証拠というか、ヒュームだって時代の制約を受けている部分は、さっきの「ABC」のAは全く同じというところです。ようするに、合理論と前提は一緒なんですね。

現代的意義

 ないです。番外編なんだから察してください。理屈でいえば、合理論と共有していたAの前提は、現代では崩れています。今さらヒュームに立ち返る意義は、薄いでしょう。
 あとは、人柄でもあるんですがヒュームは、こういういい意味で現実的な常識人にありがちなゴリゴリの白人至上主義です。差別の仕方がストレートすぎて、炎上すらしないレベルです。総じて、時代遅れってことですね。ヒュームのせいではないですけど。

さいごに

 哲学の「流れ」として2人の哲学者を取り上げました。そしてこの先(カント)につながっていくのですが、この後、哲学が学問全体の中でどのように自己主張、特徴づけしていくか、というのがポイントです。ひとつは、この記事でも既に兆候が表れているように、大学の哲学になっていくということです。ようするに、学問的に難しくなっていきます。今までは、そうじゃなかったともいえます。デカルトもスピノザも大学の先生ではありませんでした。デカルトなど、わざわざ分かりやすいように書いているぐらいです。しかし、今後しばらくは違います。
 もうひとつは、哲学が哲学であるために、尖っていくということです。これも、今までは違いました。どちらかというと、他の学問分野をつないだり、またがったりしていたものです。今後しばらくは違います。

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