鈴木良実
瞑想について色々書きましたのでまとめます
現在の私達に大きく影響している『アメリカ文明』この特徴について、日本文明と比較して考えました。
課長になり、そして組織を維持し、部下を育てる過程を小説形式で、シミュレーションしました。
動機付けについて、日本文明と西洋文明の違いなどから、色々と書きたい。
40年ほどのメーカー勤務の経験から、会社生活で、知識を生かす方法について、色々と書いています。
始めに私が書いている記事は AI、哲学、宗教、社会学、経営学、社員育成など いろいろな分野に広がっています。これでは 何の専門なのか解らない という感じを持たれた人もいると思います。 しかし、私の軸は 心の力の活性化 です。これに役立つと思い、色々な観点からnoteを書いています。 ここで 心の力 にこだわるのは 頭脳だけではない という想いからです。 振り返り高校まで この発想は、高校生時代の成功体験があります。私は高校生時代に、カッパブックス等の
科学的な知識の使い方には 特定の原理からの展開 現実の世界から関係を見いだす と言う二つの道があります。 前者の代表的な例は 法律の適用 です。基本原理である、憲法前文の世界から、憲法そして他の六法と、展開する議論法です。 後者の一例は 経済の議論です 社会の色々な要素が、人々の動機として働く、こうした世界を上手く切り取り、モデル化して、因果関係を見いだします。 例えば サマータイムの是非の議論 において 人々の健康を求める権利 朝日を浴び健康になる
前に 不浄観について|鈴木良実 (note.com) を書きました。今回は 私たちの知識の影響 について考えます。 前にも書きましたが 死体を前にして瞑想する不浄観 は、摩訶止観などに書かれてた修行法で、日本では平安時代までは、あったようです。さて、この修行が行われた時代を考えると 死体が野辺に捨てられていた 状態でした。従って 実際に死体が朽ち果てる姿 を見ることが出来ました。 さて、私たちは学校教育などで 人体内部構造 を学んでいます。骨格や筋肉の
私たちは「和魂洋才」という言葉を、聞いたことが、ある人は少なくないでしょう。しかしその前の「和魂漢才」を聞いた人は、少ないのではないでしょうか?さて、ここで使われている「和魂」ですが、両者には大きな違いがあります。 まず、「和魂漢才」は、平安時代に遣唐使廃止の議論などからでています。この場合 漢才:儒教などの理論的知識 和魂:現実に合わせた智慧 という意味合いがあります。日本の文明は 中華文明のいいとこ取り が特徴です。聖徳太子の17条憲法から律令政治も、中華文明や
我が国の学校教育は よい成績を取れば良い大学へ 良い大学からは良い企業へ という 一つの方向への動機付け で、勉強の意欲をかき立てています。 また、会社に入ってからは 課長などへの出世 と言う、これまた一本道での動機付けが行われていました。 しかしながら、このような動機付けでは ピーターの法則 人は自分が無能と証明されるまで出世する 従って組織の大部分は無能人材の集まり と言う状況になります。 なお、戦前の日本の軍隊などでは 大卒とは別の出世コース 一
動機付けについて、感情面の力を活かす方向で、何度か書きました。 しかしながら、我が国の教育には 感情の力を抑える 方向が大きく働いているように見えます。 この理由を考えてみました。 私の仮説は 復讐心を捨てさせる ことが 国政の安定に重要だった です。 これは、明治の教育制度の設立時点を考えると 維新前の殺戮状況 その恨みは色々と残る と言う状況でした。それを、新政府の力で、なんとか押さえ込んでいたのです。例えば、幕末で尊皇攘夷で知られている、水戸藩では
今の日本社会では 心の底から納得した動機付け が出来ていないようです。よくある事例は 良い大学に入れ 良い会社に入れ で勉強させても それで何をしたいの? には答えられない人たちです。さらに言えば、会社生活においては 出世したい だけで 課長になったら何するの? 部長になりたい 部長になったら何するの? 重役になりたい ~~ と言う状態の人がいます。 さて、この問題に対する一つの答えは 関係者も含めてよくする と言う活動です。もう少し言うと 自分を
高校の国語教育に於いて 古典漢文の不要論 がSNS等に出ています。私の意見は 古典の教養は重要 但し 入試など試験には疑問 です。 理由は 無理に客観的にした試験 に対する反発です。無理に客観的にする一つの手法は 文法の問題などを主として出題 です。また別の面では 現在文への翻訳 漢文の書き下し文への展開 等です。これは、私達のような「教養としての古典・漢文」の立場では 多く出ている現在文訳や 漢文の書き下し を読めばよいと思っています。もう少し言え
総合職としての会社生活では、文書作成の機会が多くあります。そこで文書作成能力を高めておくと、時間の有効活用も出来ますし、自分の能力を正しく認めて貰えます。そのためここで、文書作成に必要な力について、説明します。 1 文書全体の制御1.1 目的と読み手の明確化 文書を作成するために、「何のために作成するか?」を明確にする必要があります。まず読 者と、彼の活躍する状況をキチンと想定します。同じ読者でも、目的によって要求する内容は異なります。 目的にあわせて、記述することで余分
学生から会社員への切り替えで、大切なことの一つは 決められた範囲の厳密->全体を見た確からしさ の切り替えがあります。 このことを理解できない人が、特に技術系の真面目な人に多くいます。私は、新入社員育成などで、こうしたトラブルを見てきました。彼らは 自分で決めた範囲の技術力 をアピールしますが、その力は一つの要素で、それだけで充分ではありません。こうした人たちが漏らす不満の一つは 「この会社では、技術でなくA3用紙1枚の文書を作る力が重要」 です。確かに会社では
会社生活において、建前では 「自由に発言してよい」 と言われますが、実際は調子に乗って発言すると 「分をわきまえない」 と顰蹙を買うことが多くあります。 さて、このような「発言資格」について、17世紀末から18世紀頭に、デカルトに対立したイタリアの社会学者ヴィーコは 「聴講生は聴くだけで発言は許されない、しかるべき力を示した後に発言が許される」 と言う大学の仕組みについて述べています。 私は、この問題について、ルーマンの社会システム記述に対する トートロジー
私たちの納得の方法には、大きく分けて二つの道があります。つまり 単純化して原因結果を明確化 経験などで太らせてイメージを持つ と言う道です。つまり、細く絞り込むか、広げてそれを囲む世界に入り込む発想です。1.の単純化の道は、いわゆる、西洋文明の伝統に連なる 科学的思考 の発想です。ユークリッドの幾何学は、図形の本質的な要素だけで議論します。ニュートンの力学は、物体の質量を一点にまとめた「質点」の関係で、成立しました。 さて、2.の太らせる道は、東洋文明の流れが強く
昨日の記事あるモノから秩序を生む|鈴木良実 (note.com)に、関連して 承久の乱 承久の乱 - Wikipedia についてもう少し言いたいことがあります。私は、承久の乱から北条泰時の御成敗式目制定までを 日本的な市民革命 だと考えています。御成敗式目については 御成敗式目 - Wikipedia を参考にして下さい。 さて、この発想はすでに山本七平が、「日本的革命の哲学」で 一部書いていますが、私は、山本七平には 市民 という観点が弱いと思います。つ
先日書いた 現実の泥から結晶したモノ|鈴木良実 (note.com) にある、創造の2方向について、もう少し考えてみました。つまり 澄んだ理論が先行 混沌の泥の中から結晶化 という二つの道です。西洋文明や、中華文明では 澄める天が濁る地を導く という発想で 理論知識が先行し指導する が主体になります。 しかしながら、日本の文明では、これだけでなく 今あるモノから秩序を生む 発想があります。古くは、聖徳太子の十七条憲法や、北条泰時の御成敗式目です。 この発
大学の教育には、理系なら トップレベルの研究者を育てる 先端技術成果を理解する と言う目標があります。 例えば、電磁気学を教えるとき 静電力の法則からマックスウェルの方程式に至る マックスウエルの方程式を教えてその適用法を教える と言う二つの道があります。1.の道は、先人の発見の道を追体験し、そこから 発見者の心に至る と言う考えです。一方、2.の道は、電磁気学の基本法則を学んで、それが実際のアンテナなどに実践できるように、演習問題を解いていきます。 さて