正統を守る人離れる人
学問における「正統」と言うことについて、少し考えて見ました。これは、宗教ならば「血脈」と言うし、武術なら「流祖伝来のXX」というところです。
さて、こうした「正しい教え」を受け継ぐことは
元からある深い考えを残す
為にも大事なことです。有名な例では「構造化プログラミング」トラブルがあります。つまり、最初に提案したダイクストラの深い考えを無視し、「gotoなし」に矮小化して、大衆普及を行ったと言う事件です。
構造化プログラミング - Wikipedia
このほかにも、ポランニーの「暗黙知」を、日本では一つの分類手段として、普及させたりしています。
このように考えると
正統の教えを守る
と言うことは大切です。しかしながら、ここに起こる問題は
教えを守る限り師を越えられない
退化論の世界
に陥ると言うことです。
本当に才能のある人は
正統の教えから自由になり
他の教えなども見て
自分の境地を開く
ことで進化をもたらすのです。
これを、日本古来の武道などでは
守:教えられた通りに行う
破:教えを破ってみる
離:教えから離れ自らの流派を立てる
の三段階で教えています。
ここで大事なことは
どこまで守らせるか
の判断です。確かに、能力が低い人間には、そのままやらせることで、大崩れはしなくなります。しかし、力のある人間には
自由にさせる機会
を与えることも大事な指導です。これがうまく出来ない場合を、多く見受けます。実際に
正統派の中枢にいる人
は、本質を理解しているので、自由にさせる場合が多くなります。しかしながら
正統の教えを受けただけの権威依存
の人などでは
教えを破るなどとんでもない
と言うことで押さえ込むようになります。日本の学問には、西洋文明の輸入の影響で、こうしたマウンティングが、時々見受けられます。
しかしながら
自立して新しいモノが出来る人は少ない
のも実情です。そこでは
教え通りにしろ
と言っておく方が、トラブルなく、それなりに活躍できる場合もあります。こうした切り分けが、経営・管理の難しさです。
平等の発想で
全てが大変革にチャレンジ
となると組織は上手くいきません。