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ホルクハイマー:『批判的理論の論理学』

フランクフルト学派の活動母体であった「フランクフルト社会研究所」所長をつとめたホルクハイマーの紹介です。

はじめに

フランクフルト学派とは

 このように名付けられたのはホルクハイマーの70歳の祝賀会でした。またアドルノは(ポパーの)実証主義を批判する立場の総称として「いわゆるフランクフルト学派」と言っています。まぁ、明確な定義はないってことですね。活動母体であった社会研究所の設立主旨は、「政治や経済との連関を重視する社会研究と、そのために諸学問の枠を超えた共同研究」でした。だから、社会学や経済学だけでなく、フロイトの精神分析も導入しています。成果として有名なものとしてフロムの『自由からの逃走』などがあります。
 ホルクハイマーが所長に就任したときの講演では、ドイツ観念論、新カント主義、実存主義、実証主義と区別して自律した個人を前提とするのではなく、社会的集団に帰属する人間の営為を社会全体との関係で考察する、社会科学と融合した哲学(社会哲学)と表現しています。

時代背景

 生まれた順は、ホルクハイマー、ガダマー、アドルノ、といった感じです。したがって時代背景はガダマーと同じです。ホルクハイマーはドイツ生まれのユダヤ系だったので、ナチスが台頭してきた際には国外に亡命することになります。

どんな人物・なにをした

会社の副社長

 お父さんは大規模な繊維工場の経営者でした。第一次大戦のときにはホルクハイマーは副社長をしていました。

哲学者になる

 青年時代にまず労働運動を通してマルクス主義の活動や考えを知ることになります。大学では、心理学、哲学、経済学を学び、一時期はフッサールの生徒でした。社長であるお父さんとしては、会社経営に役に立たない哲学を学ぶ息子を心配して、フッサールに面談で相談します。その際、フッサールの「息子さんは哲学の才能がある」という言葉に説得されたというエピソードがあります。あとは、当然ハイデガーの哲学にも惹かれた時期でもありました。
 哲学者としては、後に決別するマルクスの哲学を通して(ヘーゲルの)哲学の自律性と絶対生への信頼は否定された、というところから出発します。出発点から、かなり現代的になってきましたね。
 だから例えば、マックス・シェーラーに代表される哲学的人間学の欠陥は、自然と人間、個人と社会が相互に規定し合い変化することを見逃しているところだ、と批判します。もっと一般的には、歴史と無縁の絶対的な真理の想定は誤り、と言い切ります。この辺りは、ニーチェの影響、および解釈学へのつながりが見えるところですが、ホルクハイマーとしては、歴史の「意味を解釈」しようとしたヴィーコから着想を得て、さらに歴史が野蛮に逆戻する可能性すらも、ヴィーコから読み取っています。つまり、啓蒙、そしてマルクス主義が前提とする進歩的な歴史観と、ここで決別しているわけです。

アメリカへ亡命

 ナチス政権にとっては、マルクス主義を研究対象としていた社会研究所は弾圧の対象です。建物ごと没収されたことをきっかけに、まずは(研究所の支所のあった)スイスへ。その後、ニューヨークに亡命しました。したがって、フランクフルト学派の多くの成果はアメリカからのものなんです。ホルクハイマーは、多くの亡命知識人の援助を行い、また研究所活動の運営でも優れた手腕を発揮しました。やっていることは立派だし、さすがは元副社長といったところでしょうか。

ファシズム台頭の原因究明

 研究対象は、まずは目の前のファシズムがどうして文明の最先端である西欧で起こりえたのかになります。聞き取りやアンケート調査などから得た結論は、近代の合理的な思考は、宗教とか世俗権力者の権威から人びとを脱出させたけれども、その思考が人類全体への関心を失い(つまり形而上学を意図的に捨て去ったということ)、個々の行為の合理性だけを判断基準にしたとき、一見合理的である行為が「新たな」権威への服従に変わる。というものでした。「新たな」というのは、かつての権力者のように、特定の宗教や人物ではなく、名指しできないものです。ホルクハイマー自身が挙げる具体例は、資本主義経済において、労働関係は本来的に自由な個人同士の契約だから、権威への服従ではないはずだけど、労働者も経営者も利潤の増大のために、みずからの意思で決定できない「匿名の必然性」に服従している。というものです。つまり、資本主義社会は構造として権威主義的となります。
 そして、社会という観点からは、(啓蒙が成し遂げた)市民社会の行きつく先こそがファシズムだと主張します。決して市民社会がうまくいかなかったからファシズムが生まれたのではなく、うまくいったからこその帰結だということです。

権威主義的な社会構造を維持しているもの

 例に挙げた、会社はもちろん、教会学校スポーツ団体などの集団。そして家庭であるとホルクハイマーはいいます。フーコーの生政治の先取りともいえる観点に感心するとともに、どうりで世の中の経営者はスポーツ選手が好きな(あるいは事例としてスポーツの話題を好む)わけだな、と納得しますねぇ。

第二次世界大戦後

 ドイツのフランクフルト大学からお誘いがありました。ホルクハイマーは、身内がナチスの犠牲になっていることもあって迷うのですが、アメリカの大学が研究活動を「これからは経験社会学優先していくよ」と言ってきたこともあって、ドイツに帰還します。そして、再建された社会研究所所長に就任。また、大学学長もつとめます。
 定年後はスイスで静かに暮らしていましたが、自分にとっての「過去」である「批判的理論」や『啓蒙の弁証法』が、国家に抵抗する運動として世界的に広まった学生運動の原動力となるのを目にすることになります。学生運動についてホルクハイマーはコメントを残していませんが、どういう思いだったのでしょうか。

読むならこれ!『批判的理論の論理学』

 今回は、ホルクハイマーの哲学の内容については、小出しに紹介する形にしてみました。この本は『啓蒙の弁証法』を出版する前、1930年代に書かれた代表的な論文をまとめて一冊の本にしたものです。こういう言い方が良いかどうか分かりませんが、アドルノの難解さが混ざる前の、クリアな文体で読むことができるものとして選出しました。

現代的評価:★★★

 批判的理論「でない」ものとして主に想定されているのは実証主義です。実証主義がなぜ批判的でないかというと、その思考自体が既成の社会の保存と再生産を担っているということを自覚していないからです。
 しかし、こういう構造は、現代において実証主義以外でも多くの理論、思考に当てはまることだと思います。その理論にとって都合の良い対象をあらかじめしぼっておいて、検証の結果、正しかった……そういうのは〈トートロジー〉だとホルクハイマーは言います。そして、注目すべきは、そのようなトートロジーがもたらす結果の社会は、権威への服従の社会だという点ですね。
 哲学の独自性の一つは間違いなく、批判的思考(クリティカル・シンキング)です。そういう意味で、社会哲学者のホルクハイマーの現代的評価としたいと思います。

批判的理論の弱点

 後の世の視点からではありますが、弱点も見ておきましょう。まず、想定されている主体はあくまで個人です。精神分析を経由したからでしょうが、個人主義的なんですね。そうなると、社会運動の理論には実際的にはなりません。また、社会研究の「手法」はあくまで既存の社会学や経済学の方法(つまり経験主義的な方法)を使っています。その部分は拒否していない、というか、時代の限界の一つといえるでしょう。

さいごに

 じつは、アドルノとの共著である『啓蒙の弁証法』を紹介するつもりでした。ただ、紹介のために再読してみると、哲学の(だけではなく幅の広い)予備知識がないと読んで理解することが難しいと感じました。
 『啓蒙の弁証法』における「啓蒙」とは、教科書にのっているいわゆる啓蒙主義のことではなくて、合理主義的な理性の使用と実践のことです。そして、そのような思考形式は、なんらかのかたちの支配に(歴史の運動としての弁証法をへて)帰結する。その理由は啓蒙そのものにある(啓蒙の非真理)のだから、実証主義とかカント哲学で解決することは原理的にできない。あるいは、実社会における差別/排除は、理性の論理的法則の排他性に由来するものである。啓蒙によって自由になったのは人びとではなくて、理性の方であり、開放された理性はひたすら決められた目的(支配)を果たすための道具になった。「人間を自然の暴力から連れ出す一歩ごとに、人間に対する体制の暴力が増大してくるという状況の不条理さは、理性的社会の理性を、陳腐なものにすぎないとして告発する。」「啓蒙は、現代に奉仕して、大衆に対する全体的な欺瞞へと転身する。」……ざっとこういった内容です。
 お気づきの方がいるかもしれませんが、こういう支配の構造って、現代の(ごく少数の例外を除いた)会社と被雇用者との関係に当てはまります。実際、本文の中でも(支配する側として)「社長」という言葉も出てきます。そう考えると、私たちは啓蒙の時代にまさに生きているといえます。この支配――つまりは、主人と奴隷の関係については、もう一度アリストテレスに遡って、別記事にしたいと思います。
 『啓蒙の弁証法』は、現代の古典:基礎的な教養ともいえるものです(と思っていましたが、そのように紹介するものとしては敷居が高すぎると判断したということです)。気になった方は是非、Ⅰ章の「啓蒙の概念」だけでも読んでみてくださいね。

市民社会と文明の関係

 ちょうどよい機会なのでここで整理しておきましょう。これは日本語だと分かりにくいのですが、英語であればとっても簡単です。市民はcitizenですね。文明はcivilizationです。つまり、文明とは人を市民にするということです。そして、ホルクハイマーによれば、そのプロセスが啓蒙といわれるものです。したがって、市民社会とファシズムとの関係と同じように、「文明の道は服従と労働との道であった」と書かれることになります。


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