農耕神サトゥルヌス
ここで「黄金の時代」という言葉が登場するが,これはギリシア神話のいわゆる「黄金時代」(χρύσεον γένος)を指している.
ヘシオドス『仕事の日々』には五時代説話が叙述されており,彼は黄金時代、白銀時代、青銅時代、英雄の時代、鉄の時代という五つの時代区分を示している.
この歴史観においては,人類は神々とともに平和に暮らしていたが,徐々に争うようになり,人類は堕落へと進んでいったとみなされる.
ここで登場するサトゥルヌス(Saturnus)とはローマ神話に登場する農耕神のことである.サトゥルヌスは初めて人間に農耕を教え,太古のイタリアに黄金時代を築いたとされる.
「観念の一様性」と「共通感覚」
神々というのは今となっては地上の存在ではなく天界の存在と考えられているが,古代の人々にとっては神々は地上にいたのも同然と思い込まれていたので,神々は英雄と交わっていたという逸話が生まれた.ただしこれは古代人の想像力の賜物であり迷妄に過ぎなかったとヴィーコは指摘している.その迷妄が解かれる過程のためか,人類の推理・認識能力が発達したためか,次第に神々と英雄の位置付けは天界の星々へと移動していくという.
ここで「観念の一様性」という言葉が登場する.地域の異なる国民(ここでは例えばオリエント人,エジプト人,ギリシア人,ローマ人など,地球上で見れば割と近い地域に属している国民と言えるかもしれない)が互いに知らない間柄であるにもかかわらず,共通の観念を抱いていたことをヴィーコは「観念の一様性」と呼んでいる.この点は,本書第2部の箇所で「共通感覚」とともに改めて論じられることとなる.
クロノス(Κρόνος)とクロノス(Χρόνος)
ヘシオドスによれば,黄金時代の神々の支配者はクロノス(Κρόνος)だったとされている.クロノスはギリシア神話における大地および農耕の神であった.そのため,ローマ神話における農耕神であるサトゥルヌス(Saturnus)と同一視されてきた.一つ注意が必要なのは,同じ読み方でクロノス(Κρόνος)とは別の神であり時間の神であるクロノス(Χρόνος)の存在である.クロノス(Χρόνος)は「年代学」の由来でもある*7.
サトゥルヌスであれクロノスであれ,これらの神々が互いに混同されてきたとはいえ,麦穂の収穫の周期という点から農耕と時は密接な関係を持っていたわけで,そのかぎりで農耕の神が時を司る神とみなされてきたと思われる.
祭壇と天
祭壇とは神聖なものなので,祭壇の上に余計なものを乗せることは不適切だと思われる可能性がある.だからヴィーコは,なぜ祭壇の上に地球儀が乗っかっているのかを説明しなければならなかったのかもしれない.
ここで「第一天」という表現はよくわからない.おそらく地上と非常に近い天界をそのように呼んでいるのではないだろうか.
西洋占星術では,12のサイン(宮)を合わせて黄道十二宮などと呼ぶ.
古代の人々はオリュンポス山のような地上に神々が住んでいたと考えており,これは「人類の幼児」の持つ「想像力」によるものである.ヴィーコは歴史の初期の段階を「幼児」になぞらえて表現しており,「幼児」の特徴について本書第2部で次のように述べている.
「幼児」の特徴は凄まじい「記憶力」と「想像力」にある.だからこそ古代人は神話を持ち得たのだといえるかもしれない.
ヘラクレスの「火」
祭壇の上に置かれている「火」は,ヘラクレスを表象しており,地球儀の中に描かれている獅子と隣り合わせになっている.ヘラクレスの十二の功業により,獅子は獅子座という星座になり,ヘラクレスはヘルクレス座という星座になった.ヘラクレスとネメアの獅子については『新しい学』第4部「詩的家政学」でも次のように触れられている.
しかし気になるのは「火」である.ヘラクレスの神話にはどうやら「火」は出てこないようなのである.何か手がかりはないものか.
ゼノンの運命論(宿命論)とエピクロスの原子論
ここで2人の哲学者が登場する.キティオンのゼノン(Ζήνων ὁ Κιτιεύς, 335–263 BC)とエピクロス(Ἐπίκουρος, 341–270 BC)である.ゼノンはストア派の創始者である.彼の言葉に「運命 πεπρωμένο に従っていっさいは生ずる」というものがある.『すべては超越的な力によって左右されている』というこうした考え方は「運命論」や「宿命論」等と呼ばれる.
ここでヴィーコが言及しているエピクロスの生み出した「偶然 Caso」とは,エピクロスの原子論と関係がある*8.エピクロスはデモクリトスの原子論を継承したが,デモクリトスの原子論が決定論的であったのに対して,エピクロスにはいわゆる「クリナメン」,つまり原子の〈逸れ〉という考え方があったとされる*9.もっともエピクロス自身の著作は散逸してしまっており,彼の思想が伝わったのは,ルクレティウス(Titus Lucretius Carus, 99–55 BC)やディオゲネス・ラエルティオス(Διογένης Λαέρτιος)らの著作を通してである.
ヴィーコは「後者〔の卑賤な肉体的快楽〕によって col secondo エピクロスは偶然を生み出した」と述べているが,「快楽 piacere」と「偶然 caso」を結びつけているのはなぜか.エピクロスの原子の〈逸れ〉という考え方は,従来の決定論的な考え方を退け,人間の「自由意志 libera voluntas」の肯定につながった.この「意志 voluntas 」という語は,「快楽 voluptas」という語と「アルファベット一文字の違いでしかない」(中金2017:5)という点で似ており,この点でエピクロスの原子論がかれ固有の快楽主義(とっても彼は肉体的快楽の追求を称揚したのではないが)と密接な関係を持っている可能性がある.
ヴィーコは『新しい学』の中でストア派のゼノンやエピクロスについて次のように述べている.
ヴィーコは,彼らが自然学の方面にばかり目を向けて,国家社会の事柄にかんしては「神の摂理」を考察してこなかったと指摘している.こうした観点は「著作の観念」冒頭の「哲学者たちはこれまでずっと神の摂理を自然界の秩序のみをつうじて観照してきたので,ただたんにそれ〔神の摂理〕の一部分をしか論証してこなかったのであった」(Vico1744: 2,上村訳(上)18頁)という箇所にも通じている.
〈私的なもの〉の表現としての「平面」と〈公的なもの〉の表現としての「凸面」
ここで注目すべきは宝石の形状である.形而上学が身につけているのは「平らな piano 宝石」ではなく「凸面の conversso 宝石」だという.「平ら」と「凸面」の形状の違いはどこにあるのだろうか.
宝石の平らな形状は,自己の私的な領域のうちに閉じこもってしまうこと,いわば物事を矮小化してしまうことの表現である.それは「自分だけ私的に知的なことがらによって照らし出され,ひいては,ただたんにおのれひとりの道徳的なことがらだけを統御するようなこと」だという.
これに対して宝石の凸面の形状は,外に広がっていくこと,公的な事柄の表現である.「宝石は凸面で,光線はそこで反射して外部に拡散している.これは,摂理を立てている神を形而上学は公共的な道徳的なことがら,すなわち,諸国民がこの世に登場し自己を保存してきたさいに手立てになっている国家制度的な習俗のうちに認識するのでなければならない,ということなのである」.この箇所をよく読むと,道徳には二種類あることがわかる.一つは前者の〈私的な道徳〉であり,もう一つは後者の〈公共的な道徳〉である.口絵の形而上学が身につけている宝石は凸面状であるから〈公共的な道徳〉を志向する表現となっている.
ヴィーコはスコラ哲学のように社会から引きこもって自己内反省することで神を観照するような仕方を退けているわけで,そういったやり方ではなくむしろ社会の「習俗」のうちに神を観照するという方法を採用する.「哲学者たちがおこなってきたように」という箇所で批判されているのはスコラ哲学者の形而上学だとも言えるのであり,ヴィーコはここでいわば〈社会-形而上学者〉のような立場をとっている.
口絵の光線と『新しい学』の叙述の順序
冒頭に「同じ神の摂理の光線が形而上学の胸のところで反射して,拡散しながら,わたしたちのもとに届いている異教世界最初の著作家であるホメロスの像にまで達している」とあるが,要するに光線の向かう順番が『新しい学』の叙述の順番を表現している.すなわち,「神の摂理」が『新しい学』第1巻「原理の確立」に対応し,その光線が向かう「形而上学」は『新しい学』第2巻「詩的知恵」に対応し,さらに光線が反射して向かう「ホメロスの像」は『新しい学』第3巻「真のホメロスの発見」に対応しているのである.
観念の原理と言語の原理
実際ヴィーコは『新しい学』最初の1725年版を出版したのちにその構成を反省し,以後の1730年版と1744年版で叙述を大幅に変更している*10.この辺りの事情についてはヴィーコ『自伝』で次のように述べられている.
ヴィーコはこのように「秩序の力」によって『新しい学』の構成が変更されたと伝えているが,この構成変更は「観念の原理と言語の原理」の扱い方という本質的な問題を含んでいた.
ヴィーコによれば「注解」スタイルはネガティヴな方法であり,なぜならそれは観念の原理と言語の原理を個別に切り離してしまうからだという.彼のポジティヴな方法はそうではなく,観念の原理と言語の原理が一体となってそこから主題が秩序をもって生まれるようなものである.
真のホメロスの発見とウァッロの三時代区分
ヴィーコはこの『新しい学』の中でマルクス・テレンティウス・ウァッロ(Marcus Terentius Varro, 116–27 BC)という共和制ローマ期の学者に繰り返し言及している*11.ヴィーコが言及しているウァッロの著作は "Antiquitates rerum humanarum et divinarum" である(ただしこの著作はすでに散逸してしまっている).暗闇時代/物語時代/歴史時代の三区分はウァッロによるものである.
註
*7: 詳しくは本書「詩的年代学」で論じられる.「神学詩人たちは,このような天文学に合わせて,年代学に始まりをあたえた.なぜなら,ラティウムの人々によって〈サトゥス〉satus,〈種播かれた土地〉ということからサトゥルヌスと呼ばれ,ギリシア人からクロノスと呼ばれていた神(ギリシア人のもとでは〈クロノス〉は時間を意味する)は,最初の諸国民(最初の諸国民はすべて農民で成り立っていた)はかれらのおこなっていた麦の収穫(それは,農民たちがまるまる一年を費やしていた,唯一の,あるいは少なくとも最大の仕事である)でもって年数を数えはじめたことをわたしたちに理解させてくれるからである.そして,かれらは最初のうち口が利けなかったので,麦の穂,もしくは麦藁の数によって,収穫をおこなった回数と,またそれと等しい数の年数を表わそうとしていたにちがいないのだった.」(Vico1744,上村訳(下)180–181頁).
*8: エピクロスの原子論における〈逸れ〉について詳しくは中金2017をみよ.
*9: 彼らの自然哲学の差異に着目したものとして,若きマルクスの学位論文がある.マルクスの学位論文について詳しくは加戸2017をみよ.
*10: この点について詳しくは上村忠男による解説(ヴィーコ2018b:540以下)をみよ.
*11: ヴィーコは第1巻「原理の確立」でウァッロについて次のように述べている.「この時代区分をマルクス・テレンティウス・ウァッロは受け継いでいないが,かれはその無尽蔵な学識のゆえにローマ人の最も開花した時代であるキケロの時代に〈ローマ人のうちで最高の学識の持ち主〉と称賛されていたほどなのだから,それは受け継ぐことができなかったのではなくて,受け継ぐことを欲しなかったのだと言わざるをえない.なぜなら,おそらくかれは,これらのわたしたちの原理からすれば古代の諸国民すべてについて真実であることが見いだされることがらをローマ国民のものであると,すなわち,ローマの神と人間にかんすることがらのいっさいはラティウム〔ラツィオ〕で生まれたと理解していたのであった.このために,かれは,時が不公平にもわたしたちから奪ってしまったかれの大著『神と人間にかんすることがら〔の古事記〕』において,それらローマの神と人間にかんすることがらのいっさいにラテン起源をあたえるべく努力したのである(そのウァッロに十二表法がアテナイからローマにやってきたという作り話を信じていたという説があるとは!)そして,世界の全時代をつぎのような三つ,すなわち,まずはエジプト人の言っていた神々の時代にあたる暗闇時代,ついで英雄たちの時代にあたる物語時代,そして最後に人間たちの時代にあたる歴史時代の三つに分けたのであった.」(Vico1744,上村訳(上)96–97頁).ここでヴィーコがウァッロの時代区分と対照しているのはヘロドトスの時代区分(神々の時代/英雄たちの時代/人間たちの時代)である.
文献
Verene, 2015, Vico's "New Science": A Philosophical Commentary, Cornell University Press, Ithaca and London.
Vico, 1730, CINQUE LIBRI DI GIAMBATTISTA VICO DE' PRINCIPJ D' UNA SCIENZA NOUVA, D' INTORNO ALLA COMUNE NATURA DELLE NAZIONI, Napoli. (Bayerische Staatsbibliothek, 2014)
Vico, 1744, PRINCIPJ DI SCIENZA NUOVA DI GIAMBATTISTA VICO, D' INTORNO ALLA COMUNE NATURA DELLE NAZIONI, Napoli. (Österreichische Nationalbibliothek, 2015)
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ヴィーコ 2018a『新しい学』上村忠男訳,中央公論新社.
ヴィーコ 2018b『新しい学の諸原理〔1725年版〕』上村忠男訳,京都大学学術出版会.
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上村忠男 1998『バロック人ヴィーコ』みすず書房.
加戸友佳子 2017「マルクスの学位論文における認識論」『神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究紀要』第11巻第1号.
柄谷行人 2010『トランスクリティーク カントとマルクス』岩波書店.
木前利秋 2008『メタ構想力 ヴィーコ・マルクス・アーレント』未來社.
小坂国継 2015「アリストテレスの形而上学」『研究紀要』79.
桑木野幸司 2018『記憶術全史 ムネモシュネの饗宴』講談社.
中金聡 2017「庭園をつくる——エピクロス主義の〈逸れ〉について——」『政治哲学』第23号.